第23話 宿屋の娘の真実
夕方になって、執務が一段落した頃に、”友人のリンカ嬢”から手紙が届いた。
グリッドからの報告だ。早速封を切って読んだところ、思いもかけない事が書いてあった。
「『峠の我が家』の令嬢はブラウンの髪と瞳で、養女になられて玉の輿に乗って首都に行かれたそうですわ。気立てが良く美しいので隣国の裕福な商人に見初められたそうです。素敵ですわね」
宿屋の娘はブラウンの髪と瞳?隣国の商人とはなんの事だろう?父の情報網にはなかった事だ。私は手紙を火にくべた。
ドアがノックされた。
「王妃様、ロッドランド様がお見えです」
「どうぞ」
「王妃様にはご機嫌麗しく……」
魔塔のローブを診に纏ってティムが現れた。どこかへ行くのだろうか。
「実は、少し魔塔で所要がありまして。数日王宮を離れたいと思うのですが、お許し頂けますでしょうか」
「もちろん、構わないわ……。いつ頃戻るのかしら?」
「十日以内には、戻ってまいります。そこで……こちらを」
丸いロッドランド家の紋章の入った小さな時計だった。
「なあに?」
「私だと思って、お持ちいただけますでしょうか?」
「……ティム!」
「ふふ。冗談ですよ。何かお困りの事がありましたら、この時計の裏蓋を開けて、ここを押してください」
声を低くして、そう囁いた。
(何かって……何?)
「では、くれぐれも、先日お伝えした事をお忘れにならないように……」
意味深な言葉を残して、ティムが魔塔に帰って行った。彼はS級魔導士なので、彼にしか出来ない仕事があるのかもしれない。でも、王宮にいなくなると思うと、無性に心細くなってきた。
***
それからまもなく、グリッドが戻ってきた。私は愛馬のデルフィーナに新しい馬具をプレゼントするため、厩舎を訪れた。デルフィーナにも喜んで貰えるだろう。
新しい馬具を装着しながら、グリッドは小さな声で報告してくれた。
「表向きについては公爵様の調査と変わらないもので、私も諦めかけたのですが……。宿屋の娘と親しいという男から話を聞く事ができました。宿屋『峠の我が家』の娘の容姿は、フローリア様とは似ても似つかないものでした。髪も瞳も薄いブラウンだとか」
「……別人ということ?」
「男は宿屋の娘に恋慕していて、突然領主の養女になっていなくなったので、酒場で荒れていたのです。その男も急に鉱山の人手が足りないからと駆り出されて、仕事が終わって急いで戻ったら娘がいなくなっていたという事でした」
「宿屋の主人はどうなの?」
「良い縁談を領主様が持ってきてくれたと、支度金も相当弾んで貰ったようで。喜んでいましたよ」
「替え玉が来たという事なのかしら……」
「いえ……」
グリッドは一瞬言い淀んだが、言葉を続けた。
「オートナムに娼館があります。ダイアモンドの買い付けに、貴族や裕福な商人が多く集まる町です。自ずとそういう店も出来て……」
(娼館?)
「陛下はそちらを、常宿にしてらしたようです。町で一番いい宿に泊まっているように見せかけて、実際は夜にはそちらに」
(ウィリアム!あり得ないわ!あなた、何をしているの?)
「身分のある客を相手にする店のようでした。娼妓たちも選りすぐりだとか」
「どうして、誰も気づかなかったの?」
「陛下は宿でお休みになったように見せかけ、こっそり抜け出していたようです。裕福な商人のふりをして、町の平民の馬車を使ったと思われます。ですから、公式には陛下は宿にずっといらした事になっていました。知っているのは、側近のオルター卿とマクレガー卿だけかと」
「どうやってわかったの?」
「酒場で、お忍びの若旦那の話が聞けましたよ。プラチナブロンドの……」
「宿屋に手伝いに来ていた娘って、娼館の娼妓の事だったのね。話が弾んだとか、いい加減な事を!」
忌々しいマクレガー子爵の話を思い出して、私は怒りが込み上げた。
(貴族を相手にする娼妓なら、ダンスくらいできるのかも……)
私はフローリアの今までの態度に、納得がいった。初めて王妃や貴族の夫人に相対しても、どこか余裕を持って構えているように見えた。貴族の男性の相手をしているので、臆する事がなかったのだろうか。
それにあの言葉遣い。とても、普通の平民の町娘とは思えなかったが、そういう事情であれば頷ける。あの態度や言葉を何と表現していいかわからなかったが、そう、挑戦的なのだ。
正妻や他の妻を言葉で落とし込んでいくような、女そのものの態度だと思えば理解出来る。
妖精のように美しいけれど、どこか禍々しい。おそらく、男性では気づく事が出来ないのもの、生粋の貴族のビアンカが根を上げたもの、その正体がやっと分かった気がした。
「それで、その本当の宿屋の娘……無事なのかしら?」
「……おそらくは」
私は自室に戻りぐったりとベッドに横たわった。お行儀が悪いけれど、とにかく疲れ切ってしまった。
これをウィリアムに問い詰めても、どうにもならない。娼妓を側室に上げたのだ。どれだけ惚れ込んでいるかが、よく分かる。それに、そういう前例がない訳ではない。そもそも、そういう存在が側室だともいえる。咎める有効な大義名分が思いつかない。
(余計な事を言えば、身分で人を貶めると私が責められる。またもや、怖い王妃様にされるわね)
私は苦笑した。
父に言っても同じ事だろう。少なくとも、この先フローリアの産んだ子が男の子だとしても、かえってエドワードの脅威にならない事が判明した訳だから、フォースリア公爵家にとっては吉報だ。
(結局、私や側室たちが不愉快であるというだけだものね)
ただ、ティムが言った危険とはどういう事なのだろう?彼は、フローリアが娼妓だと知っているの?
私はティムの置いていった時計を眺めながら、あれこれと考えを巡らせた。ティムがいないと落ち着かないが、フローリアの、ある意味不気味な言動の理由らしきものがわかって、少しほっとした。彼女が娼妓でも何でも、私や王家にこれ以上入り込む事がないなら、もうどうでもいいというのが本心だった。
(寵姫の特別扱いを黙認するくらい、きっと何でもない。私に害がなければ、だけれど)
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