第18話 海辺の館
ウィリアムには宮廷医のルイスから、療養を提案してもらった。エドワードも落ち着いており、宮廷医の提案なので特に反対はされなかった。
海辺の館を訪れるのは、新婚の時以来だった。それ以降は、公務以外の旅行は行っていない。執務やら何やらでとても旅行など、行く気になれなかったのだ。ウィリアムにオートナムに誘われた時も、疲れ切っていた。
何しろ私は、旅行に行く気力も体力もなかったのだ。
だが、それが悪かったようだ。いっそどこかに気晴らしに出かけていれば、ルイスから療養を勧められる程、体の調子が悪くなったりはしなかったはずだ。
「王妃様は真面目すぎるのです」
と侍女やルイスが口を揃えて言った。仕事を少し持ってくるつもりだったのだが、それもローレンに止められた。自分では気づかないが、物事を生真面目に考える質なのかもしれない。
(それで、ウィリアムが気詰まりなのかもしれないわね……)
エドワードの体調はすこぶる良く、馬車の移動中も終始機嫌が良かった。乳母の膝で眠りこけたり、窓の外を見てはしゃいだり、私の隣で絵本を開いたりして過ごしていた。
馬車は三台で、私とエドワードと乳母、リッチモンド夫人以外の侍女たち、そして荷物を詰めた馬車だった。今回は、少し長めの休暇にしようと目論んだのだ。
(だからこそ、仕事を持って来たかったのだけど……)
「王妃様、それでは休暇になりませんよ!」
シンクレア伯爵夫人に呆れられてしまった。
早朝に王宮を出て、海辺に到着したのは深夜だった。すっかり寝込んでしまったエドワードを乳母に預けて、私も寝室に行った。侍女たちにも、もう遅いのでそれぞれ休むように言った。
私の寝室は、海に面したバルコニーのある部屋だ。新婚の頃はウィリアムも一緒で、政略結婚とはいえ、慣れ親しんだ幼馴染なので楽しい旅行だった記憶がある。
(あの頃は、こんな関係になるなんて予想もしなかったわ……)
到着が遅くなる事は伝えてあったので、既に湯あみの用意が出来ていた。私は一人でバスタブに身を沈め、ふうっ……と息を吐いた。
幼い頃は王妃になって、国のために頑張るのだと教えられた。執務や外交、社交の覚悟は出来ていた。側室制度もあるので、自分以外の妻がいるのも不思議には思っていなかった。
(でも、こんな風にないがしろにされるなんて、誰にも教わらなかったわ……)
ローブを羽織てバルコニーに出てみると、気持ちのいい風が吹いてきた。来て良かったと思った。ウィリアムや仕事の事をすっかり忘れる事はできない。いつも頭のどこかにそれらがある。けれど、王都を離れてみると、王宮とは違った時間の流れを感じる。さわさわと木の葉を揺らす風の音とともに、心が凪いでいくのを私は静かに感じていた。
海風に吹かれて、どのくらい時間が経ったのだろう。ふと気づくと、背後に人影が揺れている。空気の流れが止まり、人影が人の姿となって現れた。この感覚は二度目だ。
「……ティム」
「こんばんは、王妃様」
「こんな夜更けにどうしたの?魔法陣を勝手に人の寝室に設定したりして。魔塔では許される事なのかしら?」
そもそも、人を移動できる魔法陣を使える魔導士自体が少ない。王宮には専属魔導士がいるし、王宮内に勝手に魔法陣を張る事は許されない。どうやっているのか知らないが、彼の魔法陣は王宮の守りの魔法陣に引っかからないようだ。この別邸にも、保護の防壁魔法を張っているはずなのに。
「王妃様専用の魔法陣ですからね。今私は、王妃と王子専用の魔導士ですから」
ふふっと笑いながら、ティムは言った。
「だめよ!見つかったら大変な事になる!」
「だからさ、見つからないようにすればいいんだよ。ソフィア」
「ティム、立場を考えて頂戴」
「君がこんなにボロボロになるまで、自分を酷使しているのを、黙って見ていろって言うの?」
「ボロボロだなんて……」
「君はボロボロだよ。言われないと休む事すら、自分では出来ないじゃないか!」
「……療養なんて、思いつかなかったの」
「いいかい。君はいつも衆目にさらされ、公務で忙しい。子供や義母や側室の面倒まで見て、その上夫の暴言にも耐えないといけない。これでどうやって、元気でいられるんだ?」
「さあ、手を貸してご覧」
ティムが両手を差し出した。また魔力を流してくれるのだろう。あまりの気持ち良さに、つい甘えて手を伸ばしてしまう。すると、光の粒が空気中から湧き出して、私たちの体を包んで回り出した。ふっと、体の重力が下に落ちる感じがした後、足裏の感触が変わった事に気づいた。
「ティム!ここはどこ!」
どこに連れて来られたんだろう。目の前には夜の暗い海が広がり、波の音が響いている。側で聞くと大きな音に圧倒される。月の光だけが頼りの、夜の海だった。
「入り江の人目につかない所」
「こんな事、許されないから!」
「ねえ、ソフィア、一体君は誰に許されないといけないの?」
「……私は王妃よ」
「分かってる。君は王妃様だ。七年前王宮に上がる時、僕が言った事覚えてる?」
「……幸せになって?」
「そうだね。そしてこうも言ったよ。もし辛い事があれば、僕が必ず君を助けるって、言ったよね。それは忘れてしまった?」
そうだった。彼はいつもこうやって、私を慰めてくれる人だった。
「どうして、こんなになるまで僕を呼ばなかったの?」
暗さに目が慣れてくると、ティムの表情がよく分かるようになってきた。いつも冷静でおどけた振りをするティムと違って、真剣な眼差しが私を捕らえている。
「こんなになるまでって……」
「君の体のマナ、行き場がなくて暴れている。君が感情を抑え込むたびに、マナが行き場を失うんだ」
「……どうすればいいの?」
「君は、王妃様でないと嫌かい?」
そんな事は考えた事がなかった。六歳から王太子教育を受けて、十一歳で王太子妃、十九歳で王妃になった。それ以外の生き方など考えた事もない。
「答えられない事を聞いてご免……。悪かったよ」
ティムが優しく髪に触れた。思わず体を引いてしまった。
「ソフィア、これから部屋に君を戻すよ。その前に大切な事を伝える。だから、絶対に忘れないで」
そっと、私の手を取り細く魔力を流してくる。
(戻る前に、癒してくれるのね……)
「いいかい、ソフィア。フローリアは危険だ。ドット子爵も信用してはならない。そして、最も気を許してはならないのが、国王ウィリアムだ。今はこれだけしか言えない。絶対に忘れないで……」
その言葉と共に体を光が包む。
私は思わず顔を上げた。すると、浜辺に来た時と同じように、ふっと重力が変わりクラっとした。次の瞬間には元の部屋に戻っていた。夢でない証拠にスリッパの裏には、砂が付いている。
もうティムの姿はどこにもなかった。そして、私はティムの言葉を思い返して身震いした。
(ティム、あんな事を聞かされては、眠れなくなるわ……)
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