第9話 夜泣きの理由

昨日のウィリアムの言葉に、私は思ったより衝撃を受けていたようだ。朝起きたら、体が動かなかった。




「王妃様、今日はお休みください」




 リッチモンド男爵夫人が休むよう言ってくれる。だが、先日両親が訪れた時に休んでいるし、最近は執務も溜まっているという罪悪感があって、簡単に休む気になれなかった。だが、男爵夫人はそれを察して、言葉を続けてくれる。




「お休みになるのも、お仕事の一つですわ。少しお休みになって、また頑張って頂いた方がきっと良い結果になると思いますもの」




 優しい声にふっと気が緩み、それもそうかもしれないと思う。




「そうね、そうさせて頂こうかしら……」


「ええ、ベッドでゆっくりお過ごしください。ご気分が良かったら、お散歩や読書をなさるといいですわ」




 私は彼女の提案通り、午前中はベッドで読書をして過ごした。何もしないで横たわっていると、昨日の会話が蘇ってくる。ああ言えば良かった、こう切り返してやり返せば良かったと、あまり健全でない思いが湧き上がってくるから。




「あら、珍しい本をお読みなのですね……」




 部屋で一緒に読書をしていたマチルダが、私の読んでいる本のタイトルに目をやって言った。




『魔力の起源』




 昔読んだ、魔法の基本書だ。あまり知られていないが、私は魔力がある。小説より、こんな本の方が気晴らしになるような気がしたのだ。




 この国では魔力のある子供が産まれるのは、あまり珍しくない。貴族にも産まれるが、貴族は魔導士を雇用するので、自分で魔力を使う事はほとんどない。私も二歳の頃に魔力が発現したが、それ程大きなものではなかったので、自分でも思い出す事はほとんどなかった。簡単な魔法の歴史や作法、制御の仕方を習った位だ。




「王妃様は魔力があるのですよね」




 リッチモンド男爵夫人が、知っているとは思わなかった。




「ええ、基本書を子供の頃に学んだ程度で、すっかり忘れていたわ」


「フォースリア公爵家の遠縁に何とおっしゃったかしら?有名な魔導士の方……」


「ティム?ティモシー・ロッドランド。私の幼馴染だわ」


「ああ、そうですわ。最年少で魔塔に所属されたのですわよね。外国に留学されて最近戻られたと聞きましたわ」


「ええ。彼がお堅い魔塔に所属するなんて、何だか変な感じだわ」




 午前中ゆっくりベッドで過ごしたせいで、少し気晴らしが出来たようだ。夕方から侍女二人と庭に散歩に出た。




 王妃宮の庭は、私が嫁いでから全て一新して好みに作り変えた。元々の庭園は、管理が行き届いているのはいいが、私は少し自然な趣きがある様子が好みだった。実家の領地の草原の風景が、私の原風景になっているのかもしれない。






「王妃様」




 ふいに呼び止められた。王妃を呼び止める者など、ウィリアムと義母以外は王宮にはいない。振り返って、私は驚いた。




「ティム!なぜここに?」




 今日話題に出た彼が、目の前にいる。濃い緑のローブに金の縁取りのある、一目で魔塔の関係者とわかる長いローブを着ている。




「まあ、なぜこちらに……」


 男爵夫人やマチルダは驚きつつも、ティムの態度に少し不快感を示している。王妃宮で彼が歩いている事自体がそもそも不思議だ。




「ああ、大変失礼しました、王妃陛下。王国の月にティモシー・ロッドランドがご挨拶申し上げます。本日は、宮廷医師から要請があり、王妃宮に参りました。唐突にお声をお掛けした無礼をお許しください」


 ティムが私の手を取り、口づけをした。


(相変わらずね)




「宮廷医師が呼んだの?どんな用件か伺っても?」




「もちろんです。王妃様。エドワード王子について、助言を求められました」




(エドワードですって!)




 息子の名前が出るとは、聞き捨てならない。私は急遽庭にお茶の席を設けてもらった。秋の花が盛りで美しい。本来なら花を愛でながら旧友とおしゃべりをしたいところだが、それより今は王子の話が聞きたい。




「さあ、召し上がって。あなたの好きな銘柄のお茶よ」




「覚えていて下さったとは。王妃陛下、光栄です」


 黒髪に黒い瞳。懐かしい低い声でからかうように言う。ちょっと皮肉を込めて笑う癖が懐かしい。




「やめて頂戴。それより、宮廷医師にはなぜ呼ばれたのです?」


「王子の夜泣きについて、意見を求められました。薬も聖水も効かず、様子がおかしいので魔塔の領域かと、私が呼ばれました。多分王子は魔力をお持ちかと」




「……魔力?でも、王子は魔力の発現がありませんよ……」


「私の考えですが。珍しい事ですが、魔力が発現せず体内に渦になっている可能性を疑いました」




 産まれてから数年は、魔力が発現する可能性がある。この国では健康診断の時に、専門の魔道具で魔力を測る。四歳位までに発現しなければ、ほぼ一生魔力が現れることはない。エドワードも何度も魔力を測ったが、魔道具の針は動かなかった。多少なりとも魔力があれば、発現までいかなくても少しは針が動くものだ。多分、あの子には魔力がないと思っていたのだ。






「それは、どういう事ですか?」


「魔力の出口がないのかもしれません。お目にかかってマナの流れを確認しない事には、正確な事は申し上げられませんが。多分宮廷医師から、王妃様にお話があるかと思います。直診の打診を受けましたから」


 懐かしい対面ではあったが、エドワードの体の話が出たため昔話をしている場合ではなくなった。ティムとの会話を終えてから、急いで宮廷医師を呼んだ。






「魔導士のロッドランドに話は聞きました。それで、あなたの所見は?」


「私も、一度直診を行う必要があると思います」


 直診とは、魔導士が患者の体内のマナに直接自分の魔力を差し込んで、流れを変えたり整えたりする事だ。




「子供に行っても、危険はないのでしょうか……?」


「ロッドランド魔導士レベルであれば、安全に行えると思いますし、しない場合のリスクが心配でございます」


「……あなたも魔導士でもありましたね」




「はい。私は医療に進みましたので、魔力を直接扱う事はありませんが。最近、王子のマナの量が増えているのを感じます。その割には魔力測定では魔力の針が動きません。夜になると体内で魔力が暴れている可能性を感じました……」




「リスクとは?」




「体内で魔力が破裂する可能性が……」


「は、破裂?」


 鼓動が早くなった。




「体内に流れるのは血液ばかりではありません。魔力がある者は、マナが血液に乗って流れているのです。そのマナが血液の流れより早く流れると、心臓に強い負担をかけるようになります。マナがその量を増やして出口がなければ、体がそれに耐えられなくなります」


「はっきり言ってください」




「お命に危険があるかも……しれません」




(何て事!)




「宮廷医と国家医師団が協議をしてからの事になりますが、両陛下にご相談させて頂く所存です。今少しお時間を頂ければ……」




 医師に協議を急ぐように言って帰した後、私はソファにへたり込んだ。マチルダが体を支えてくれたが、心臓の鼓動は早いままだった。魔力がある者は、感情が高ぶると血液と一緒にマナが回る。今もマナが回っているのが分かる。だから、呼吸を整えて、マナを鎮めるのを幼い頃に学ぶのだ。だが、出口がないという事があるのを初めて聞いた。




(エドワード!)




 最近は嫌な事ばかりだったが、まさかこんな事が起きるとは思わなかった。




(陛下に伝えなければ……)


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る