第8話 側室のお披露目

シンクレア伯爵夫人と二人で、私は自分の部屋に戻ってきた。後宮で聞いた話は、伯爵夫人にとっても衝撃だったようだ。私たちは後宮から王妃宮に戻るまで、口を開けなかった。


 部屋では、今日はマチルダが食事の準備をしてくれていた。シンクレア伯爵夫人の手配で先ぶれを出し、今日は自室で夕食を取る事にしてくれたからだ。




 そして食事の席についても、最後にアリアドネが言った、”宮の序列が崩れる”という言葉が頭の中で繰り返されていた。未だかつて、私が知りえる限り王妃宮とムーンガーデンに同時に主がいた事がない。私はウィリアムが何をしても、自分の王妃の立場や役割の心配をした事がなかった。今初めて、自分の置かれた状況がこんなにも脆い事に気づかされたのだ。




 食事の後にシンクレア伯爵夫人だけ残ってもらった。


 私はその場で手紙を書きつけた。後宮での事は、マチルダ嬢にはまだ伝えていない。




「今日の件は、内密にお願いします。この手紙を明日の朝一番で、フォースリア公爵に届けてください」


「公爵様にお伝えするのですね……」


「他から聞かされるわけにはいきませんから。父がどう出るかはわかりませんが、事前に相談して欲しいと思っています」


「承知いたしました。明日一番でお届け出来るよう手配いたします」


「お願いします」




 王家の婚姻に大切なのは、同盟と信頼だ。愛や恋でするものではない。そしてその婚姻が双方に利がある事が重要なのだ。夫は私と結婚する事によって王太子、王になった。私は王妃になり、実家は王家の姻戚になった。これは、側室云々でどうこうなる問題ではないのだ。




(だのに、なぜこんなにモヤモヤするのかしら……)




 だが、ムーンガーデンに側室を住まわせるのは論外だ。平民だからではなく、王妃がいる時代にムーンハウスは開けてはならない宮なのだ。二人の側室からも、王妃の務めとしてこれを阻止するよう要求された。


(陛下とこの話をするのは、気が重いわ……)






 翌日朝食の際に、ウィリアムに時間をとってくれるよう頼んだ。


「今ここでは出来ない話なのか?」


「食事中ですし……」


「いいではないか。夫婦なのだから、そんなに畏まらなくても話などいつでもすればいい」


 父に手紙が届いた後、何らかの連絡を待ってから話をしたかった。だから、午後に時間を貰えれば良いと思い、朝食で提案したのだ。




 なぜかウィリアムは話を促す。


「ええ、大した事ではありませんが……、ムーンガーデンの事で」


 ウィリアムがピクリとした。




(だから、食事中は止めた方が良かったのに。食事がおいしくなくなるわ)




 私は覚悟して、直球で話をすることにした。


「ビアンカさんやアリアドネさんに伺いました。新しい方にムーンガーデンを賜る予定とか。王妃のいる時代にムーンガーデンを開くのは賛成できません」


「……なぜだ?」


「私がいるからですわ」




「そなたは王妃だが?ムーンガーデンは後宮だ。そなたの存在を脅かすものではないぞ」


「ムーンガーデンの意味をご説明しなくてはいけませんか?」


「……難しく考える必要はない。構わないではないか」




 私はナプキンで口元を拭い、両手を膝に置いた。


「陛下、私は陛下にとって良い妻である自信はありませんが、この国にとっては価値のある王妃だと自負しております。ですから、陛下。今少し私の尊厳について、ご配慮頂けないでしょうか」


 私は真っすぐウィリアムを見つめ、出来るだけ堂々と、そして何気ない口調に聞こえるように言った。




 ウィリアムは暫く黙っていた。


 私は彼が私の言い分を聞いてくれる自信あるわけではない。ただ、ここでウィリアムがどう出るかで、今後の私たちの関係が決定づけられる事だけは理解していた。




「……わかった。西の宮を与える事にする。それでいいだろう」


「ご理解いただけて、嬉しゅうございます」


 何だか、ビアンカのような言い方になってしまった。






 実はウィリアムが、あんなに簡単に受け入れてくれるとは思わなかった。言い争いも覚悟したせいで、拍子抜けしてしまった。侍女たちにも、今回の事情は伝えておく必要がある。四人を集めて、シンクレア夫人と共に現状を共有した。


 想像通り、ローレンの怒りは大変なものだった。私も同感なので、ひとしきり彼女のウィリアムへの恨み言をお茶の供にして聞いていた。




 午後には、フォースリア公爵である父が訪ねてくる事になった。今日は執務を休む事にしたので、本を読みながら到着を待っていた。


 父一人ではなく、母も一緒だった。




「ソフィア!」


 会うなり母が私を抱擁してくれた。心配をかけたようだ。胸が熱くなった。母は典型的な貴族女性だが、家族の間では感情を豊かに表す人だった。いつも子供たちと共に泣いたり笑ったりして育ててくれた。




 落ち着いた頃、父と母を前にして手紙では書けなかった詳しい話をした。人払いをしたので、言葉を崩して話をした。


「陛下がオートナムに頻繁に行かれていたのは知っていたが……。その側室の事は全く知らなかった。側近がよほど情報をコントロールしていたようだな。私の方でも今調べさせている。」


「ムーンガーデンの件は、何とか阻止できましたが、今までの愛人たちとは様子が異なっています。かなりご執心だと思われますわ」




「どこが、陛下のお心に響いたのか分からぬが、ただの町娘をムーンガーデンに入れようとするとは。とにかく、お前には私たちがついている。陛下もそれは分かっておられるはずだ。無体な事はなさらないと思うが」


「ソフィア、何かあったら、遠慮しないですぐに知らせなさい。私たちがしっかりあなたと王子を守りますからね」






 両親を見送る時、母が手を握ってくれた。


「王妃陛下、どうぞお心を強くなさってください。私どもがいつもついております」




 両親に慰められて、少し心が軽くなった。王子もいる王妃が、こんな事で動揺するなんて恥ずかしい。もっとしっかりしなければと、気持ちを引き締めた。








 だが、その日の夕食の席でのウィリアムの話で、そんな決心も簡単に意味のないものにされた。




「王妃、新しい側室のお披露目を行おうと思う、そなたと側室二人で準備をしてくれ。場所は、王妃宮のボール・ルームを使ってくれないか」


 何を言っているのか、理解するのに時間がかかった。




「陛下、側室のお披露目など、聞いた事がありません」


「わかっている。普通側室は貴族だから、お披露目などせずとも皆に知られている。だが、彼女は平民で、このままでは社交界に出て行く事が出来ぬではないか。デビュッタントの代わりに何かせねばと思っていたのだ。それに王妃宮で行えば、そなたが認めた側室として彼女の立場が立とうというものだ」




(この方は、私を侮っているのだろうか?)




「陛下、王妃宮で側室のお披露目など、絶対に出来ません」


 ウィリアムは、意外な事でも聞いたように私を見つめた。


「……なぜだ?」


「当たり前ではありませんか!私が笑い者になります」


「そなたは、自分の体裁しか考えられないのか……。それに、そんなにきつい物言いをして。もう少し、新しい側室について思いやっては貰えないか?」


 私は二の句が継げなかった。




 それでも、ウィリアムが追い打ちをかける。




「ムーンガーデンを諦めたのだ。それ位、良いではないか!彼女がここへ来た時に、少しでも辛い思いをしないようにさせたいのだ。どうして、王妃はそれを分かってくれないのだ……」




 私は、何かが心の中で崩れ始めているのを感じた。きっとそれは、私の尊厳だろう……。


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