第7話 新しい側室の宮
あれから、ウィリアムとは新しい側室の話はしていない。朝食を一緒に取る儀式は再開した。側室の入内の準備は、ウィリアムの側近であるオルター侯爵とマクレガー子爵が中心になって行っているようだ。
私から何か言うと、前回のように余計な事を言ってしまうかもしれないし、何よりこれ以上傷つきたくないという気持ちの方が強かった。私はあえて平静を装い、いつものように義母の話相手など面倒事等をこなしていた。こんな時は仕事に没頭するのに限るのである。
朝食の席で、唐突にウィリアムが新しい側室の入内日を告げてきた。反対する理由も意欲もなかったので、私は承諾の意だけを表した。
「何か準備をする事がございますか?」
「いや、マクレガーが万事行っている。ビアンカやアリアドネには私から話す予定だ」
本当に今回の側室の迎えの準備については、私は全く関わらなかった。ビアンカは結婚前から後宮にいたが、アリアドネを迎える時は、彼女の実家とのやり取りも含めすべて私が行った。
「そうですか……」
ウィリアムは、私と新しい側室の接点を絶とうとしているように思えた。
(それはそれで、楽でいいのだけどね……)
「とにかく、彼女は平民なので……色々と不足に思う事はあるだろうが、そなたが率先して気を付けてやってくれ」
「承知いたしました」
私は深く息を吸い込んだ。
後宮から招きがあったのは、それから数日してからだった。ビアンカとアリアドネの連名で、お茶会の招待状が届いたのだ。
(珍しい事。どうしたのかしら?新しい側室の事?)
予想は当たった。二人は相変わらず美しく着飾り、流行りのお菓子でもてなしてくれた。私は甘い物を好むのを知ってくれているのだ。王妃と側室がお茶会をするのは、他国は知らないがこの国では珍しい事ではない。
「王妃様、単刀直入に申し上げます。私、承諾できませんわ」
まずは、ビアンカが口火を切った。
「側室を受け入れられないという事?」
「……いえ、側室を持つのは陛下の権利ですから。そんな事は仕方のない事です」
そう言いながら、アリアドネにチラッと視線を走らせた。
「私もです、王妃様」
最初はあどけない容姿だったアリアドネだが、最近はビアンカの影響か、きらびやかな女性といった佇まいになってきた。サラサラの茶色い髪は、やはり若々しくて美しいが。
「側室をお迎えするのは、陛下のご自由です。我々が不満を申し上げるような事ではありません。陛下はまだお若いですし、お子もエドワードとデイジーの二人だけですから、周囲も好意的に受け止める者が多いようです」
私は心にもない事だが、王妃として側室に言うべき事を言った。
「ですが、王妃様。その者は平民で町娘だというではありませんか!この後宮にそのような、よくわからない者をお迎えするのは、恐ろしいですわ!」
アリアドネが高い声を出した。私は額を抑えて、心を落ち着かせた。
「王妃様、新しい方がこの後宮のどこにお部屋を賜るか、ご存じでいらっしゃいますか?」
ビアンカが射る様な目で私を見てきた。
この後宮には五つの宮がある。中心に広いガゼボがある開けた場所があり、それを囲むように花壇があり、見ごたえのある庭を配置している。その周りをさらに囲む回廊があって、五つの宮につながっていくのだ。今お茶を飲んでいるのは、その中心のガゼボだ。簡単に東西南北の名前を付けた宮と、ムーンガーデンと呼ばれる宮がある。
ビアンカは南の宮。アリアドネは東の宮に住んでいる。東西南北それぞれには、特に格はない。二人とも、過ごし易さで選んだようだ。
西か北しか残っていないが、聞いてみた。
「新しい方はどちらに?」
「ムーンガーデンですわ、王妃様!」
アリアドネが叫んだ。後ろに控えたアリアドネの侍女が彼女の肩を掴み、落ち着くよう諭している。実家のカトル家から連れて来た、年嵩の侍女だ。
(いい侍女を連れてきてくれてよかったわ……)
「ムーンガーデンと、決まったわけではないでしょうに……どなたから伺ったのですか?」
「陛下ですわ」
今度はビアンカが叫んだ。
(まさか!)
「陛下が私たちの所にお見えになって、もちろん別々でしたが、新しい側室の事を伺いました。気持ちのいいお話ではないですが、これはやむを得ない事ですし、側室が文句を言う筋合いでない事はよく存じております。でも、ムーンガーデンにお部屋を賜るなんてっ……!」
ビアンカが泣き崩れた。
ムーンガーデンは後宮の特別な宮だった。
後宮は円形に縁どられた四つの東西南北の宮と、ガゼボの庭を挟んで、もう一つ円形の宮がある。東西南北の宮を合わせて星の宮という。もう一つは四つの宮を合わせた円形と同じ大きさの宮で、月の宮といい、ムーンガーデンと呼ばれている。明らかに他の四つの宮とは格が違う側室が住む事を表している。
(信じられない……)
私は、自分の心臓がトクントクンと早鐘を打つのを感じた。
この国の国王は太陽を表している。それに対して、王妃は月を表す。王と王妃で日月が揃い、国を昼夜なく明るく照らすという象徴だ。
かつて王妃を亡くした王がいた。だが王は既に子供が成人していて、王太子もいた。新たに王妃を迎える必要もなかったため、位が低く王妃になれない側室を一人置いただけだった。王はその側室を深く愛していたため、後宮に新たに月を表す宮を設けて、彼女を王妃と同等に扱ったという。
王と側室の甘い恋物語として、伝えられている話だ。
王妃が不在の時期、側室が立后する前など、一時的にムーンガーデンが使われていた事はある。実はウィリアムの生母、マーガレット王太后が王妃になる前に住んでいた。貧しい男爵家の出身だったが、ウィリアムの立太子の際に立后が決まったのだ。本来は王妃になれる家系ではなかった。
先王には、三人の王女と王子であるウィリアムがいた。男子はウィリアムだけだったので、自動的に王太子になる事が決まった。ウィリアムの出自の弱さは、私との縁組で補強した。ウィリアム自身も王子時代、この宮に住んでいた事がある。
(陛下は、どんな気持ちでこの宮を新しい側室に与えるのかしら……)
他人事のような気持ちでそんな事を考えていると、ビアンカが泣きながら訴えてくる。
「王妃様、私は一番最初に後宮に入りました。陛下の最初のお子デイジー王女を授かり、ずっと陛下には心からお仕えして参りました。それなのに、後から来た側室にムーンガーデンを与えるとは、あんまりではございませんか!」
ビアンカの気持ちも分かる。彼女の立場がない上、何よりこの先デイジーの立場が危うくなる可能性がある。
「王妃様は何とも思わないのですか?王宮、王妃宮、後宮という序列が崩れてしまうのですよ。王妃宮とムーンガーデンは同等の扱いになってしまうかもしれません!」
アリアドネが言いにくい事を言ってくれた。
「私、こんな扱いを受けるなら……受ける事がわかっていたなら、側室などなりませんでした!」
アリアドネも泣き出した。
まだ、側室になって一年、子もなしていないのだから、ある意味貧乏くじを引いたようなものかもしれない。高位の貴族に縁づいて正妻になった方が、妻としての立場も強く幸せになれたかもしれない。カトル子爵は富豪で力も強い貴族である。ひょっとしたら、この状況に黙っていないかもしれない。
(ああ、それより、私のお父様が聞いたら何とおっしゃるか。陛下は一体何を考えているの)
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