第2話 最初の仕事(後編)

夜が更け、あたりはまっ暗になった。ロタクたちはそれぞれ足下に小さな焚き火を熾して、その傍らに座って野犬が来るのを待った。


しばらく待っても何も異変は起こらなかった。たまに焚き火に魅かれて飛んで来た蛾が火の中に飛び込んではぜるだけだった。


ロタクは夕食で食べたバターの塊のせいか胸焼けがして、居眠りすることもできなかった。


横を向くと、少し離れたところにある焚き火のそばに座っているピダランの姿が見える。熊手を抱えながら眠っているようだ。ヤオラは厩舎の反対側にいるので、ロタクのいるところからは見えなかった。


「今夜は何も起こらないかな?」とロタクが思ったその時、森の方から野犬の遠吠えが聞こえた。


はっとしてピダランの方を見ると、ピダランは立ち上がって熊手を構えていた。ロタクも近くに置いてあった投石を両手に持って立ち上がった。


ピダランは熊手を持ちながら、数か所に用意してあったらしい薪に火をくべ始めた。ピダランの前方が少し明るく照らし出される。さらにピダランは夕食のバターの残りを焚き火の中に投入した。バターが焦げる香ばしい匂いがロタクのいるところまで漂って来る。


突然、森の方から獣の低いうなり声が聞こえてきた。ロタクは足下の石を懐に詰め込み、火の着いた薪を1本拾うと、声がする方向、つまり、ピダランの近くへ走り始めた。


ロタクが近づくにつれ、暗闇の中に焚き火の灯りでかすかに照らし出された野犬の姿が見えてきた。


野犬と言っても地面から肩までの高さが大人の背丈と同じくらいあり、その口は幼児なら人飲みにできそうなくらい大きかった。・・・野犬などではない。魔獣だ!


魔獣とは通常の獣より遥かに大きく、遥かに強い力を持つ怪物の総称だ。中には炎を吐く魔獣もいると聞く。ロタクたちの旅の目的地であるレクチェル王国までの途中にあるドワイコミス山脈に棲息しているとも言われている。


それがラプランス王国の王都に近いこんなところに出現するなんて、聞いたことがない!


ピダランは大きな魔獣に熊手を向けていた。その横に同じく熊手を構えるヤオラの姿も見えた。巨大な魔獣に対して何とも心もとない武器か。ロタクは火の着いた薪を投げ捨てると、懐に入れていた石を両手に握った。


魔獣は片手を振り上げると、その鋭い爪でピダランを裂こうと振り下ろした。その腕を熊手で何とか受け止めるピダラン。その隙にヤオラが熊手で魔獣の腕を刺そうとするが、その厚い毛皮は熊手を跳ね返した。


このままではピダランたちがやられる!そう思ったロタクは右手に持った石を魔獣目がけて投げつけた。


魔獣の目の近くに当たる石。ほとんどダメージを与えていないようだが、魔獣の目がロタクの方を向いた。


唸りながらロタクに近づく魔獣。ピダランとヤオラが熊手で食い止めようと奮闘するが、ほとんど意に介さずに魔獣はロタクに迫って来る。


手が震えて懐から取り出した石を地面に落とすロタク。死を覚悟して目をつむったその瞬間にロタクを黄金色の光が照らし始めた。


目を閉じていても感じられるその光に驚いてロタクが上を向くと、ロタクの真上に黄金色の鎧に身を包んだ巨大な戦士が出現していた。


普通の戦士の背丈の十倍はありそうな巨大な戦士は、巨大な両手剣を地面に立て、両手でつかんでいた。頭には王冠のような金色の兜をかぶっている。


「ロ、ロタク!」ピダランの叫び声が聞こえるが、巨大な戦士の股の下にいるロタクは驚いて身動きできなかった。


ロタクに近づいていた魔獣もその巨大な戦士に気づき、戦士目がけて咆哮を上げた。


微動だにしない戦士。戦士に向かって魔獣が飛びかかる。


しかし戦士の体に跳ね返されて、魔獣は「ギャン!」と仔犬のような鳴き声を上げた。


後ずさって戦士に向かって唸る魔獣。戦士は動かなかったが、その眼差しを魔獣に向けた。その目力にひるむ魔獣。


しばらく魔獣は唸り続けていたが、ついに身を翻して森の方に走り去って行った。


「ロタク!」ピダランとヤオラが走り寄って来た時には巨大な戦士の姿は消えていた。焚き火の光でかすかに照らされているロタクの肩をつかむピダラン。


「おい、ロタク、あの戦士は何なんだ!?」


「戦士?・・・僕の頭の上にいた?」


「そうだ。あれは何だ!?いや、誰だ!?なぜ現れて助けてくれたんだ?」


「わ、わからない」と答えるロタク。彼も何も知らなかった。


しばらくして魔獣が去ったことを実感すると、ロタクは逆にピダランとヤオラに聞き返した。


「僕の上にいたのは何だったの?」


「巨大ないにしえの戦士のようだったぞ」と今度はヤオラが言った。


「城に飾られていたタペストリーで見たことがある。この世界を統一した古代の王が描かれていたが、まさにそのお姿のようだった・・・」


「とはいえあんな巨人がこの世にいるわけがない」と言い切るピダラン。


「俺たちが幻を見たと考える方が納得できる」


「でも、あの魔獣も幻に吼えかかっていたよ。魔獣にも見える幻なのか?」とヤオラ。


「・・・思い出したことがある」とピダランが言った。


「特殊な天稟スキルに、『幻術』スキルや『魔術』スキルがあると聞いたことがある」


「幻術?」「魔術?」とヤオラとロタクが同時に聞き返した。


「ああ。一般的な天稟スキルは何かの仕事に関する技術の取得が有利になる程度の神からの恩恵だ。しかしそんな天稟スキルと違って、『幻術』スキルや『魔術』スキルは不可思議な技が使えるようになるらしい」


「不可思議な技?」再びヤオラとロタクが同時に聞き返した。


「そうだ。『幻術』スキルは周りに思い通りの幻を見せることができ、『魔術』スキルは手に持っているものを隠したり入れ替えたりして見ている者の目を欺くことができるという話だ」


「・・・それが何かの役に立つのか?」と聞くヤオラ。


「普通の仕事では必要のない技だ。だが盗んだものを隠したり、追っ手から逃げるのに役立ちそうだから、敵地に侵入する間者や泥棒には便利なスキルだ」


「じゃあ、さっきの巨大な戦士の幻も誰かが天稟スキルを使って見せたものなの?・・・そうだとしたら一体誰が?」


ロタクに聞かれてピダランはヤオラとロタクの顔を交互に見た。


「二人は天稟スキル恩寵の儀で何の天稟スキルももらわなかったと言ったな?本当か?」


「本当だ!」と力強くヤオラが答えた。


「ロタクも僕も変な天稟スキルばかり呈示されたから断ったんだ。ロタクが断ったところを僕は見ていたし、僕のことも教会の中にいたおおぜいの人が・・・父を含めて、見ていたから間違いない」


「断ったつもりで最後に示された天稟スキルを得てしまうことがあるかもしれない。ロタク、お前が最後に神から授けられようとした天稟スキルは何だった?」


「お、『男娘おとこのこ』・・・」


「何だ、そりゃ?」


「女の格好をする仕事の天稟スキルだって。もちろんすぐに断ったよ」


「女装と巨大戦士の幻は関係なさそうだな。・・・王子は?」


「僕は『女傑アマゾン』だったよ。男なのに周囲をかき乱すような女になるんだそうだ。馬鹿らしい!」


「それも女装するのか?・・・いずれにしろ巨大戦士の幻とは関係なさそうだな」


考え込む3人。その時ロタクはヤオラの言葉を思い出した。


「王子はさっき、あの巨大な戦士がいにしえの王に似ていると言ったよね?」


「そうだ」と言ってうなずくヤオラ。


「僕が最初に授けられそうになったのは『国王キングオブラプランス』だった。もちろんすぐに断ったけど、それがあの幻と関係あるのかな?」


「『国王キングオブラプランス』?それはどんな天稟スキルだ?」と聞き返すピダラン。


「新しい王になれるようなことを言われたよ。そんな気はないからすぐに断ったけど」


「その天稟スキルがあの幻と関係あるのかわからないが、一度断った天稟スキルの力を得ることはできないはずだ。ほかにはどんな天稟スキルを神様がおっしゃられたのか?」


「『男娘おとこのこ』以外は、『王子プリンスオブラプランス』だった」


「それもよくわからない天稟スキルだな。・・・王子は?」


「僕のはもっと単純だ。最初が『農民』、次が『鍛冶』、最後がさっき言った『女傑アマゾン』だ」


「それらも幻とは関係なさそうな・・・」と言ってピダランは首をひねった。


「ロタク、さっきの幻が現れた時、お前は何をしていたんだ?・・・あるいは何を考えていた?」


「な、何も。・・・あの魔獣が近づいて来て、恐怖で震えていただけだったよ」


「仮にロタクがあの幻を出現させたとして、どうしたらもう一度あの幻を出せると思う?」とヤオラがピダランに聞いた。


「本人が出し方を知らない以上、もう一度怖い目に遭うしかないかなあ?」とピダランが首をひねりながら言った。


「そんなのやだよ!」とロタクは拒否したが、二人は聞いていなかった。


幸いなことに、その夜、魔獣が再び現れることはなかった。

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