第3話 世にも奇妙な隣人たち


 鶏冠とさかが舞う。

 後を追う、ドス黒い血の奔流。

 命の斬獲者は舌なめずりをして、首を失ったまま痙攣する身体に容赦なく刃物を振り下ろす。

 解体。目の前で鶏が鶏肉になっていく。生命が食材になっていく。

 焼き鳥にも水炊きにもせず、恐ろしい顔をした斬獲者は、生のまま血の滴る肉にかぶりつき……。

 僕を睨んだ。

「うわあああっ」

 自分の絶叫で目が覚める。

 考えつく限り最悪の目覚め方だ。

 朝っていうものは、鶏の鳴き声で始まるべきものであって、猟奇的な解体ショーで始まるべきじゃない。

 こんなのは嫌だ。二度寝して、まともな起き方をしよう。どうせ学校はお休みなんだから……。

「おきろーおきろーおきろーおきききききききききききき」

 うるさいっ。

 想像を絶する不快な濁声は、友人から誕生日プレゼントに貰った目覚まし時計から放たれたもの。

 目覚まし時計の音で起きるのは、朝の目覚めとしては及第点だけど、僕はなんだかとても悲しくなった。いいぞ、このまま死にたくなってしまえ。

 カーテンを開ける。いい天気だ。ああ、しまった。朝日に当たるとなんだか晴れやかな気分になってきてしまった。折角の憂鬱な気分が! でも、憂鬱な気分で死にたくはないなあ。どうせなら、ハッピーな気分で死にたい。いや、ハッピーなら死ななくていいじゃん。いやそうじゃなくて。たとえば、美少女に罵られて心臓発作とか……そうだ、美少女!


「父さんおはよう」

 居間で朝の時代劇を見てる父さんに挨拶。早起きだけは勝てる気がしない。まともな服装とかたわらのスポーツドリンクから推して、未明の散歩から帰ってきて一休みしているところみたいだ。とても健康的な生活を心がけている父さんである。

「グリセーダを紹介したいから、カップルと七さんに声をかけて。二階は僕が行くから」

「七さんは、もう仕事に行った。三日くらい明けるってさ。カップルは昨日遅くまでイチャコラよろしくやってたみたいだから、起きるかどうか……」

「そっか。なら、二階のやつらだけでも……」

 算段を立てた僕は、二階へ向かう。

 そもそもグリセーダが早起きタイプかどうかわからないけど、もう少ししたら起こしても失礼に当たらない時間になる。

 まずは202号室。住民は工藤律二くどうりつじといって、僕の幼馴染のひとりでクラスメイトでもある。

 インターホンを押すと、爆速で扉が開く。

「よく来た、同志よ! 中へ、中へ!」

 赤い鉢巻を巻いた少年が、町中に轟かんばかりの声で僕を招き入れる。悪夢にも悪趣味な目覚まし時計にも起こされなかった日は、たいてい律二の大声に起こされることになる。

「朝早くからごめんよ。今日来たのは」

「ふ、ふふ……みなまで言うな、同志よ! わかっている、俺はわかっているぞ! 新たな……新たな同志が昨晩、隣室に入ったのであろう!」

 背中に爆薬を仕込んでいるのか、ってくらいの熱量と爆音で、わりと図星をついてくる。

「知ってたの」

「ふふふ、俺は昨日、貴様の帰りが遅いのを心配していた……宮内庁の犬に噛みつかれたかとな。救援に行こうかとも思ったが、貴様の力量と判断を信じ、夜半まで待った……そして、貴様は帰ってきた! そう、燃えるような赤髪の少女を連れて! あの美しさ、あの闘志! あの髪の赤さは間違いなく、我らを勝利へと導く瑞鳥の羽! 革命万歳! 万歳! ばんざーーーーーーい!」

 自分の発言を燃料にセルフオーバーヒートするんだから、とんでもない熱機関だ。工藤式エンジンを搭載した車は海に落ちても走り続けるんだろう。


 発言からおおよその見当はついたかもしれないし、単になんだこいつと思ったかもしれないけど、彼は極右思想の持ち主で、革命趣味の変態だ。天皇陛下を敬慕し、ことあるごとに万歳三唱し、大東亜共栄圏を未だ夢見る熱いキチガイだ。

 同時にネットオタクでもあって、『Fire bird』『circle』『広場』といった様々なSNSで論争を繰り返している。

 暴力的で火薬製造の知識があって放っておくとやばいやつだけど、老人は敬うし子供には優しいし、軍国主義者で国粋派だけど無差別に外国人を排斥したりはしないし、料理はうまいし家事洗濯もお手のものだし、まあ悪いやつじゃない。というか、幼馴染やってるんだからまあ、好きっちゃ好き。うん。絶対に口に出さないけど。

 

「君が望む革命の同志になってくれるかは、わからないかな」

「なってくれる。心ある者ならば、我が理想に共鳴せぬはずがない!」

「その心がいま、深く傷ついているんだ。あんまり刺激しないでやってね。あっ、でもうまく刺激したら、いい感じに死にたくなってくれるかも……」

「心傷か……ふうむ。男なら拳で殴り合って、過去の憂さなど忘れろと喝破してやるのだが、女を相手にそれは……ううむ」

 悩み始める律二に、一時間したら101号室に来るよう伝えて、部屋を後にした。


 続いて、203号室。

 やや立て付けの悪い扉の隙間から、瘴気のようなものが流れ出している、ように感じる。

 インターホンを鳴らす。返事はない。起きているのか、いないのか。

 扉に鍵はかかっていない。

 この部屋の主は、勝手に入っても怒らない。むしろそれを望んでいる節さえある。

 扉を開けて、中に入ると、まず目に飛び込んでくるのは壁中に貼られたピエロの絵。派手なメイクに耳まで裂けた口、狂気とシュルレアリスムを感じさせる。

 居間に入ると、部屋主のコレクションが雑多に積み上げられている。凹んだ金属バット、便箋の束、ボロボロの手記、楓をあしらった栞、オリーブの実、ホルマリン漬けの脳味噌、そして無数の骸骨と十字架。常人には耐えられない、いや一般的な狂人でもおそらく発狂、つまりは一周回って常識人になってしまうような、それほどまでにファナティックな空間が、我がアパートの隅っこに出来上がっている。


 寝室。

 元々あったベッドは撤去され、代わりに無機質な鉄製の箱が置かれている。

 人が寝るには材質的にも性質的にも相応しくない、一般的に『棺桶』と呼ばれる箱の中で、僕の友人たる小笠原力弥おがさわらりきやは眠っている。

 棺桶の蓋を開けると、力弥はゆっくりと目を開ける。

「や……やぁ。ゆ、ゆきくんが起こしに来てくれるなんて、嬉しいょ」

「僕よりも、ルイス・ガラビートに殴られて起こされる方が嬉しいんじゃない」

「あ、ははは……それは、そうなったらとってもいいけど……お、おはよぅ」

 彼は大きく伸びをする。

 白眉の美少年。何もかもが白い。髪も、眉も、肌などはグリセーダにも勝る白さで、美しさを超えて病的なまであるけど、得てして美とは病的な要素をふんだんに含有するから、力弥がガラビート好みの美少年であることは、疑いようのない事実だ。

 そんなことよりも究極的に病的なのは、部屋の有様が示す通り、極度のシリアルキラーマニアであること。世界中の快楽殺人鬼に関連するありとあらゆる物品を買い込み、溜め込み、積み上げる。夢は殺人鬼の毒牙にかかって死ぬことであり、もちろん僕はその夢を応援している。

「201号室に、新しい住民が引っ越してきたんだ。あとで紹介したいから、五十分くらいしたら下に来て」

「ど、ど、どんな人?」

「うーんと、綺麗でちょっと冷たく見えて、まあ実際冷たいのかな? うん、いずれは冷たくなる人」

「ゆきくんとは、その、仲良しなのかな」

「それは、多分だけど、僕が一方的に入れ込んでるだけだね。向こうは……まあ、向こうが僕のことをどう思ってようと、そんなことはどうだっていいんだ。みんなが彼女を受け入れて、彼女が死ぬまで楽しく生きれて、楽しくしねるなら、それでいいんだ」

「な、仲良くできるように、頑張ってみるよ……ま、まあ、僕はほらこんなだから、引かれちゃうかもだけど」

「それはそうだね。僕風情の言動で結構引いてたから、そりゃもう盛大に引くだろうね」

 まあ、それならそれでいい。どの人と、どう関わろうが、それは自由だ。二人が仲良くなってくれるなら、僕としては嬉しいけども。

「じゃあ、また後で」

「うん。ま、また後で」


 僕は時間を確認しグリセーダの部屋のインターホンを押す。

 数拍おいて、覗き穴が開き、また数拍、扉が開いた。

「おはよう」

「ええ、おはよう。久しぶりにいい夢が見れたわ」

「そんな……僕が悪夢で、君が瑞夢なんて、あべこべじゃないか」

「いい朝……あなたのおかげね。どうもありがとう」

 お礼を言われても、なんだか嬉しくない。良いことなんだけど。祝福すべきことなんだけど。でもやっぱり、扉を開けた彼女が『私はやっぱり生きるわけにはいかない。もう一度あの場所へ連れて行って』と言ってくれることを期待していた。

「何よ。私が素直にお礼を言ったのが、意外?」

「いやそれは全く」

「そう?」

「全てこっちの問題なんだ。それで用件なんだけど……下に来て、一緒に朝食を食べないかって誘いに来たんだ。部屋の中には調理器具とかは揃ってるけど、肝心の食材がないでしょ。朝ごはんを食べて、食べ終えた頃に律二と力弥……ああ、二階の隣人ふたりね。二人が来るから、紹介だけして、それから買い物に行こうって思うんだけど」

「……あなたって」

 グリセーダが、半目になっている。別におかしなことは言ってないと思うけど。少なくとも、律二よりは。

「意外と物怖じしないのね。あなたのお父様も素性の知れない人に難なく部屋を貸すし、なんというか……」

「危機感が足りない?」

「ええ。私が過敏なだけかもしれないけど」

「戦争や亡命を経験してたら、そうもなるさ」

「……え。亡命って、どうして」

「ああ、亡命で合ってるのかな。永住ビザを家族分揃えて、日本に逃亡してもそれほど不自由なく暮らせるくらいだから、結構なご身分のお嬢さんだと思ったんだけど」

「……」

 それに、初めて言葉を交わしたとき『あいつらの仲間じゃなさそう』なんて言っていた。あいつらが何を指すのかはわからないけど、きっと敵性のなにかだろう。そんなのに狙われるってことは、やっぱりある程度の身分なんだと思う。

「まあ、そこのとこは深く聞くつもりはないよ。君が死ぬ理由は、もう既に心に刻んだからね。あとは熾火が再び燃え上がるのを待つだけさ。話したくないことを無理やり話す必要はない。話したいことがあったら、いつでも聞くよ」

「……好きね、口説き文句が」

「幼い頃から愛読してる詩集がこんな調子で、すっかり染み付いちゃったよ」

「私なんかに構ってないで、交差点で女の子を口説いてきたら?」

「そんなことをしても、僕が死にたくなる理由にはならない」

 

「……あなたはどうして死にたいの?」

 グリセーダは一度そう言って、

「じゃなくて、どうして死にたいと思いたいの?」

 と、核心をつく質問をしてきた。

 彼女だって話してくれたんだから、僕も正直に話すべきだと思う。でも、これを語るにはまだ、僕たちの付き合いは短すぎる。僕という存在がいかなるものか、彼女が体感しないうちは、理解してもらえない。

 

「話すよ。いつか、必ずね。君が死ぬまでに、必ず。だから今は、朝ごはんを食べよう。君がこれまでどんな朝ごはんを食べてきたか知らないけど……父さんのお味噌汁にはきっと感動するよ」


 僕は、逃げ出したようで少し罪悪を感じつつ、階段を足早に降りた。

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君に捧げるトーデストリープ 大魔王ダリア @mithuki223

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