40代

 大学を卒業した娘は、広告代理店に就職する。


 パソコンを人差し指で打ち込むことで精一杯な私は、娘が部屋でパチパチ仕事で使う資料だかを作成しているのをたまに覗いては、ますます自分が産んだという自信を失っていく。


 相変わらず彼女は多弁で、聞いてもいないのに仕事内容や職場での出来事をつらつらと話すのだけれど、横文字や業界用語だらけで言葉の意味すらわからない私は異国の文化の話みたいにしか聞こえず、生返事で相槌を打つ。すると娘に「ちゃんと聞いてる?」と怒られる。


 私と違って優秀な娘は、三ヶ月もするとだいぶ仕事にも慣れていて、少しずつ仕事を任されるようになり、終電で帰宅することも増える。


 お酒には弱いみたいで、三杯が限界らしい娘は無理やり四杯目を飲ませた課長だか部長の頭を引っ叩いてしまう。でも不問にされる。それはもちろん、彼女が会社に必要とされているから。上司からも同期からも、そして後輩からも愛され、頼りにされる彼女は一年後にはリーダー的な存在になっていたらしく、忙しいながらも充実した毎日を送っていたが、ある日、人生の伴侶と出会うことになる。


 少し前に入社した後輩であるその男性の雰囲気に惚れたのだとか。恋愛経験のない年頃の女の直観だなんて圧倒的に信頼の置けないものでしかないだろうけれど、私はその話を聞いて「まあいいんじゃないの」みたいな適当な返事を返す。すると娘は翌日彼に告白し、二人は付き合い出す。


 デートの度にどこそこに行っただの、何を食べただの楽しそうに話していた。私が食べたことのないスペイン料理とかロシア料理とかの感想を一通り告げたあとに、「来月結婚することにしたんだ」と、まるで今思い出したみたいな感じで付け加える。


 流石にちょっとびっくりはしたけれど、まあ私が焚き付けたようなものでもあるし、彼女が見初めた相手だと言うのなら私が意見することもないなと、「そうなの」とだけ返す。


 夫はかなり落ち込んでいたけれど、まあどうせいつかは結婚するんだろうし、遅かれ早かれじゃないかなという私の慰めの言葉で簡単に慰められてしまう。意外とこういうところは私と似てシンプルな脳みその構造なのかもしれない。


 で、トントン拍子に結婚式を迎える。


 私が結婚したのはもう二十年以上前だったから、当時とは全然違うのかなと思いきや、全体的な雰囲気とか流れみたいなのはほとんど変わらなかった。


 相手方の両親にも挨拶を済ませ、足の短い私にはやや高めの椅子に座る。友人代表と名乗る男性複数人が余興を始め、ゲラゲラ笑う人や冷めた目で眺めている人達もいて、なんだか変な空間だなと感じる。


 絶対自分では作らないような料理が並ぶテーブルに視線を落としながら、早く帰りたいなとか考えていると、新婦の挨拶みたいな感じでウエディングドレスに身を包んだ娘が立ち上がり、手紙とマイクを握りしめて一礼。私はもう終盤も近いかなと思いながら娘を見遣る。


 で、ふと考える。


 娘も結婚したんだな。これで私の役目は終わったということだろうか。私には全く似ていない彼女は、私とは真逆な程に優秀で、ほとんど手もかからず、立派過ぎるほど立派に育ってくれた。そのせいで、私は子育てが大変だと感じたことはほとんどない。大変なのは子育てではなく、だけだった。なにをやっても人並み以下でしかない私は、生きることが辛くて、嫌で嫌で仕方なかった。他人から疎まれ、蔑まれ、褒められた記憶なんて片手で数えるまでもない。一度だけ、父親に言われたことがある。「誰かの役に立つ人間でありなさい」と。でも私は誰の役にも立てなくて、そばにいることすら罪悪感があって、幸い結婚することができたけれど、でも私自身にはなんの能力も魅力もなくて、私なんて存在している理由はひとつもないんじゃないかみたいなことを一万回以上思ってきたし、多分一万回くらい泣いてきた。


 でも、私には娘ができた。彼女はとても優秀で、彼女をこの世に産み落としただけでも私は誰かの役に立ったんじゃないかと思いたい。そうでもなければ、私は生きてきた意味も資格もなにもなかったことになってしまう。


 そして今日、娘は結婚し、家を出て彼女の第二の人生を歩み出す。それは同時に、私の唯一の責務と生きる意味を失うという意味でもある。


 最早用無しになってしまった私は、これからどうやって、一体誰の役に立てばいいのだろうか。


 自分が生きていてもいいと肯定するには、一体どうすればいいのだろうか。


 虚ろな目でやや緊張気味な娘を見ていると、タイトルも歌手の名前も知らないBGMとして流れていた洋楽が突然止まる。

 娘が手紙を読むのは、多分両親への感謝みたいなことだろう。


 私も両親に手紙を読んだし、多くの結婚式で当然のように行われているイベントだから、まあ今回もあるだろうなとは思っていたけれど、普通、こういうのって感動を演出するために感じのいいバラードなんかを流すものなんじゃないだろうかと思っていたら、娘が手紙を読み始める。


 彼女はまず父親に対する感謝を述べた。


 彼は寡黙だったけどそれなりに過保護でもあって、一人娘ということもあったから、とにかくなんでも買い与えたし、大事に大事に育てていた。可愛くてしょうがないと顔に書いてあるんじゃないかってくらい溺愛していた娘の結婚式に「俺は出ない」と駄々を捏ねていたけれど、流石にそれはどうかと思うよと引っ張り出して連れてきて正解だった。


 娘の手紙にズルズル鼻を啜りながら夫は「うう……うう……」と唸っている。その声を煩わしく思い始めたタイミングで、今度は私に対する感謝を、娘は口にする。


「……私は、お母さんが大好きです。どれくらい好きかと言うと、一番好きです。たとえば、手先が不器用で、裁縫が下手なのに、指を血だらけにしながら体操着に名前を縫い付けてくれたお母さんが好きです。口下手なのにママ友の会話に入ろうとして無視されて、滑り台の下で膝を抱えていじけながら知らない子供にどけよおばさんって文句を言われているお母さんが好きです。パート先で話す話題をノートに書いてから寝る習慣があるお母さんが好きです。テレビを観ているお父さんに話しかけて返事がなかったあとは必ず自分も一回お父さんを無視してから返事をするお母さんが好きです。味も色彩もあんまり良くはないけど、野菜の切り方だけには拘りのあるお母さんのお弁当が好きです。私に興味がないフリをして遠回しに彼氏の情報を聞き出そうとするお母さんが好きです。私が初めての給料で買った腕時計はもうとっくに壊れてるのに、お風呂に入るときも外さないでずっとずっとつけてるお母さんが好きです。……誰よりも繊細で、誰よりも打たれ弱くて、いっつも泣いていて、逃げ出したりもして、でも、それでも一生懸命生きてるお母さんが、私は大好きです。お母さん、私をお母さんの子供に産んでくれてありがとう。生きててくれて、ありがとう」


 涙を流しながら私に対する感謝を口にしていた娘よりも私は泣いてしまう。


 私の人生を――私が生きてきたことを、私が生きていくことを、私の存在を肯定してくれた娘から私は目が離せず、馬鹿みたいに口を開けたまま泣いてしまう。


 なにも言えず、ただ、泣いてしまう。


 ネガティブな記憶ばかりの過去が走馬灯みたいにフラッシュバックしながら、それは全てこの時のためにあったのではあったのかもしれないと思う。

 私はこの時のこの感情を感じるためだけに生きていたのかもしれない。


 私は、生きていてよかったのかもしれない。

 私は、死ななくてよかったのかもしれない。


 心臓を鷲掴みにされたみたいに、痛いような痒いような感覚がいつまでもなくならず、私は静まり返った場内で、一言も発さずに、まばたきなんて必要ないってくらいに両目を濡らしながら娘と見つめ合う。


 ……いてて。


 どうやら私はいくつになっても痛みに弱いらしい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

まいすいーとぺいん 入月純 @sindri

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ