20代
当然のように成人式には行かず、私は引き籠もりの生活を続けていた。
何ヶ月も他人と会っていなかったし、もういっそ一生部屋から出ずに生きていこうとすら思ったけれど、でもやっぱり、お父さんだっていつまで働けるかわからないんだし、私も少しくらいは働かないといけないはずだと、労働を拒否する脳味噌に鞭を入れ、タウンワークを眺めてみる。
自分にはなにができるんだろう。
どんなことなら、自分でもできるんだろう。
人と話すことも駄目だし、動きも悪いし、ミスも多いし、記憶力だって最低だから、一度覚えてもすぐに忘れてしまう。
こうなると、あの日、私の脳に病気が見つからなかった時の両親の落胆が理解できてしまう。
なんで私はこんなにもできないんだろう。他人よりも、なんでこんなに劣っているんだろう……。
考えていても答えなんて出るわけがなくて、とりあえず採用してくれるならなんでもいいやと応募した結果即採用された清掃員の仕事を始める。
そこの会社は、色んな施設や市町村からの仕事依頼を受けていて、学校のトイレ掃除だったり、マンションの共有スペース清掃とか、路上の草刈りもあった。
まずは会社に出勤してから作業し易い服装に着替えて、基本は二人か三人のチームで現場に車で向かい、半日かけて綺麗にするみたいな感じだ。
とにかく体力がない私は、どの現場でも役立たずで、チームメイトの苛立ちと舌打ちを肌で感じながら、なんとか一日の作業をこなすだけで精一杯だった。
でも、幸いだったのは、誰も直接私に注意をしてこなかったことだ。それが会社的にはいいことではないとはいえ、私にとってはこの上なく有り難かった。
どこに行っても罵倒の嵐で、私は身体よりもまず先にメンタルがやられてしまう傾向があるので、甘ったれな私に対して苦言を呈すような人がいない職場というだけで居心地がいいとすら感じてしまった。
そして、私は二つ歳上の男性とお付き合いすることになる。
車の運転が得意らしいその男性は、いつもドライバーに抜擢されていて、車の免許を持っていない私はペアを組まされることも複数回あった。でも、気を使って話し掛けても気の利いたセリフは返ってこないことがほとんどで、車内はいつも気まずい空気感が漂っていた。彼は、寡黙というか、沈黙そのものみたいな感じで、仕事中も無駄口を叩くことなく、文字通り黙々と清掃作業を行っていた。
で、ある日彼は私を食事に誘う。
いやいや、ろくに話したこともないのに……とびっくりしたものの、お金は出してくれると言われたのでまあいいかなと、仕事終わりに駅前で待ち合わせして私達は歩き出す。
気付けばお酒を飲める年齢になっていたらしい私をチェーン店の居酒屋に誘ったその男性は、三杯目のチューハイを八割くらい飲んだところで「好きです」と告白してきた。
でもなぜか私は驚きの感情は薄くて、なぜ私のことが好きなのかと冷静な口調で訊いてしまう。
まるでモテる女を気取っていると思われたら嫌だなとかもちょっと思ったけれど、でも私のことが好きらしいし、これくらいいいのかな? でもこれで嫌いになられたらちょっといやだな……みたいなことを考えていたら「一緒にいて気持ちが落ち着くから」と言われる。
私と一緒にいて気持ちが落ち着く人間なんてこの世に存在するとは思ってもいなかったから、私はここで初めて驚いてしまう。
他人の気持ちを逆撫でることしかできなかった私に、安らぎを感じるだなんて、恐らくこの人の感性がおかしいんだろうとかいう自虐的な考えは、「気を使わない人と初めて出会えたから」と続く彼の言葉で雲散霧消。
そして私は彼の告白を受け入れる。
一年ちょっと付き合って、私達は結婚する。
父親は少しだけ複雑そうな顔をしていたけれど、母親は心底安心したみたいで、「馬鹿な娘だけどよろしくお願いします」と深々と頭を下げた。
それから半年後に私は妊娠していることが発覚し、仕事を辞めて出産の準備に取りかかる。
話には聞いていたけれど、悪阻に尋常じゃない吐き気に襲われ、吐瀉物に塗れのたうち回るのが日課になっていた。
安定期に入っても体調不良は続いていたし、食欲もなかったり風邪を引きやすくなっていたりで、陰鬱な気持ちで日々を過ごしながらも、出産予定日の二週間前に私は無事に子供を産む。
……無事と言っていいのかはわからないけれど。
家に一人でいた時に突然腹部に激痛を感じ、待ちきれなくなった子供がお腹から飛び出そうとしているのを実感する。
そして激しい陣痛で泣き叫んだ私は自分で救急車を呼んで病院に運ばれる。身体を引き裂かれるんじゃないかってくらいの痛みのあとに、三千二グラムの女の子がこの世に生を受けて、おめでとうとかおつかされまとか色々言われるけれど、私は子供のことよりも自分の身体がどうにかなってしまったんじゃないかってことで頭がいっぱいだった。
鼻水と涙で二目と見られない顔だったであろう私にナースは子供の顔を見せる。ああ……まあ、可愛くはないな。そんな風に思った。
そんな初対面だった私と娘だったけれど、意外と相性が良かったのか、思っていたよりも手がかからず育ってくれる。
当然夜泣きもあったし、初めての育児でテンパってばかりだったけれど、彼女は食事と排泄の要求時意外はほとんど泣くこともなかったし、なにかに触れて怪我をしたり誤飲したりもしなくて、一歳の誕生日に立ち上がったかと思うと、一週間後にはフラフラと歩くようになっていた。
徐々にではあるけれど、親としての自覚も芽生えてきて、母親としての責務を果たすことに私は全力を尽くす。
食事作りなんて実家にいた頃は一度もやらなかったし、結婚してからもレトルトとかばっかりだったから、包丁を握ったのは数回程度しかなかった。
なんにもわからない。でもやるしかない。
ネットで色々調べて、本を見ながらレパートリーを増やして、実家の母親にも助言を仰いだりもして、とにかくできることをする。
でも私は絶望的に料理のセンスがなくて、味も見た目も最悪だった。
なんでこんなに不味いんだろうっていうくらい不味くて、見た目は基本黒ずんでいたし、色彩感覚も人並み以下な私が作る料理のイメージカラーはベージュだった。
子供が三歳になった時、遅ればせながら私は公園デビューなるものを果たす。
世間の親子は一歳くらいでデビューするらしいのだけれど、私はすっかりそういう世間との繋がりみたいなものを失念していたのだ。
昼間の公園なんて来たのはいつ以来だろう。
そこには多くの親子ペアがいて、大抵は子供同士で遊んでいる少し離れたところで井戸端会議みたいに母親達が歓談していた。
いわゆるママ友セオリーみたいなものがあるのかもしれないけれど、不器用な私の場合、逆に考えすぎて失敗するパターンの方があり得るので、ここは行き当たりばったりで挑戦することにした。
娘はトコトコと砂場へ歩いて行き、他の子に見向きもせず淡々と山を作っている。
それを横目に「こんにちは〜」と、なるべく柔らかい雰囲気を演出しながらママ友グループに声を掛ける私。
しかし、反応は「…………」だった。
無言。
無視。
闖入者である私のせいで一瞬止まった彼女たちの会話はすぐに再開され、私はそこにいないものとされる。
私は引き攣った表情のまま滑り台まで行き、泣く。
滑り台から滑り降りてきた少年に背中を蹴られ、暴言まで吐かれて、更に泣く。
もう嫌だ。なんでこんな風に邪険にされなきゃいけないの。
一頻り泣いたあと、数メートル先の砂場にいる娘と目が合う。
彼女はボーっと私を見ていた。
馬鹿にしているのかな。情けない母親だと思っているのかな。私は娘にも見下されてしまうのかな。……もう見下されているのかな。
でも彼女はなにも言わないし、砂で作った山にも触れない。
ただ私を暫くの間見ていて、不意に立ち上がる。
そして私のところに歩いてきて、「かえろう」と言った。
鼻水だらけの手を服で拭いて、私は娘の手を取り歩き出す。
家に着くまで、どちらも無言だった。
まるで私の子供ではないみたいに、娘は社交的だった。
幼稚園ではいつも友達に囲まれていて、先生からも彼女の評判は頗る良かった。
私は娘が褒められた時は、嬉しいというよりも、安心感のほうが勝っていて、素直に喜んではいなかったと思う。
それは偏に、「私の子供が私と同じ様に出来損ないではなかった」という安堵だった。
私という母親から生まれてしまったばっかりに、娘も私のような人生を歩ませるのは忍びないと常々考えていたし、そのために習い事をたくさんさせたほうがいいのだろうかとか、なにかしら才能の片鱗を感じ取るためにはとにかくさまざまな経験を積ませるべきなのだろうかとか、夫ともたくさん話したのだけれど、彼は「そんなに神経質にならなくても、自然でいいんじゃないかな」と楽観的なことを言っていたので、なんだか考えすぎていた自分が馬鹿らしくも感じてしまい、結局、習い事に関しては本人が希望することだけをやらせていこうということになる。
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