2-7 ヤンデレ雪女は、秘密をばらされると切れます

それから数十分ほど経過した。



「ふう……それにしても、ぬらりひょん様の垢、美味しかったですう……」



普段は雪女に邪魔されることも多いが、今日は心ゆくまで俺の体を嘗めまわせたためだろう。アカナメはすっかりご満悦といった様子で、タオルを取り出して俺の体を拭く。



「それならよかったよ……ん?」



だけど、こんなタオル見たことないな。

それに妙に小さいし、なんか変だぞ?



「おい……それ、ひょっとしてタオルじゃないんじゃないか?」

「え? そんなことないよ、ほら! ……あ……」



そういってアカナメはバサッとタオルと思い混んでいたそれを広げた。


案の定といったところだった。

……それはタオルではなく下着……ありていに言ってしまえばパンツだった。



「きゃあああああ、私のパンツ! 見ないでよ、エッチ!」


そういいながら慌ててそのパンツを隠すアカナメ。

まったく、そっちから見せておきながら……。



「エッチって言い方はないだろ? というか、パンツで体を拭かないでくれよ、まったく……」

「ご、ごめんね、ぬらりひょん様……。けど、このパンツはちゃんと洗ったやつだから汚くないからさ!」

「そういう問題じゃないだろ?」

「……そうだ、良かったらお詫びにこれ……」

「いるか、バカ!」



アカナメが俺に渡そうとしたパンツを払いのけながら叫んだ。



……いかん、妖怪の総大将の俺がこんな下品な言葉を使っちゃいけないな。

そう思いながらも、俺は気を取り直して、服装を整えた。



そしてちょうど一息着いたところで、今度は一本だたらが俺たちのいる部屋にやってきた。



「あ、いた! ぬらりひょんさん! あの、帰ってきました!」

「なに、まさか……!」

「はい、お姉ちゃんと手の目兄さんです!」

「わかった!」



俺はすぐに部屋から飛び出して砦の入り口に向かった。






「よかったよ……お姉ちゃん……手の目さん……」


そこでは、スネコスリが涙目になりながらそこでへたり込んでいた。

彼女の前にいるのは……



「二人とも……無事だったんだな!?」


雪女と手の目だ。

見たところひどくボロボロで泥だらけの格好をしており、雪女はぐったりとした様子で手の目の肩を借りていた。



「ああ……なんとか追跡を振り切ったよ……遅くなって悪いな」


にやりと笑みを浮かべる手の目は、やはり頼もしさと頼りがいにあふれていた。

俺は思わず二人に駆け寄ろうとしたが、



「おっと、姉御はちょっとダメージが深いんだ。近づかないでくれるか?」


とはっきり断られてしまった。

そんな様子を見ていたのだろう、雪女は力なく顔だけ上げて、俺に手を伸ばす。

そして俺の頬を撫でてきた。



「ねえ、ぬらりひょん……あなたは……ケガ、していない?」

「ああ……。一本だたらに助けてもらったからな……それより、本当にごめん、俺は……みんなを危険にさらしてしまって……」



これほどの目に遭わせてしまった原因はすべて俺にある。

そう思うと目から涙が落ちそうになる。

だが雪女はフフ……と力なく笑う。



「……よかった……。あなたは私のために、泣いてくれるのね……? あなたに愛されて、私……嬉しい……わ……」

「おい、どうしたんだ、雪女! しっかりしろ!」



だが、雪女の返事はない。

その様子を見て、手の目は彼女を担ぎ上げる。



「……ちょっとどいてくれ。こいつを部屋まで運ぶ。俺と……スネコスリ、来てくれ」

「うん!」


俺は思わず手の目に尋ねる。


「手の目、俺にできることは?」

「悪いけど、お前たちは足でまどいだ。俺がいいというまで、面会謝絶だ!」


だが、そういわれて首を振った。

そのまま手の目はスネコスリとともに、砦の一室に入っていった。





それから、どれくらい時間が経過しただろうか。

すでに夜は開け始め、空は白み始めている。


アカナメと一本だたらはすでに眠りについているが、俺は一睡も出来ていない。



「俺が……雪女を危険に晒した……治ってくれ……頼む……」



そんな風に考えながら、俺は彼女の部屋の前で手を合わせていた。



……それからしばらくして、手の目は思いつめたような表情でやってきた。



「……ナーリ……やっぱりここにいたのか……」

「ああ……雪女はどうなった? 教えてくれ!」



そういうとナーリは覚悟を決めたような表情で、うなづいた。



「大事な話がある。……ちょっと砦の裏に来てくれ」

「ああ」


そういわれた俺は、最悪の結果を想像しながらもついていくことにした。




「さて、このあたりならいいか……」


俺は砦から少し離れた森の中に俺は案内された。

手の目は周囲を見回し、誰もいないことを確認した。それほど誰かに訊かれたら困るということか?


……あるいは、彼女を危険な目に合わせた復讐を?

もしそうなら、俺は喜んで制裁を受ける。



そう思いながら、俺は尋ねる。


「それで、雪女はどうなんだ! 教えてくれ! 俺にできることなら……」

「落ち着け、ナーリ。……いいか、驚くなよ……?」



俺はごくり、と唾を飲む。

そして手の目は答えた。




「……実は姉御はな、傷一つない。もっと言うと、さっきの気絶は演技だ」




「は?」




その発言に、俺は拍子抜けしたようにつぶやいた。

手の目は俺の反応が面白かったのだろう、まるでドッキリの種明かしをするような態度で答えた。



「俺たちはそんなにやわじゃねえよ。お前たちが去ったあと、上手く頃合いを見てずらかったさ」

「え? ……けど、じゃあなんでボロボロだったんだよ……」

「まだ分からないのか? ……ボロボロだったのは服だけだったんだよ。……ほら」



そういって手の目は俺に腕を見せつけた。

……確かに、泥だらけだった外見とは裏腹に、不自然なほど傷跡がない。

今にして思うと、ファスカ家の庭園は、泥が跳ねるような場所でもなかった。



「ガーゴイルを振り切ったあと、近くの公園で、全身に泥を刷り込んだってわけなんだ」

「じゃあ、あの時俺たちを近づけさせなかったのは……」

「間近で見たら、傷がないのがバレるからな。だから、ああいって遠ざけたんだよ」

「そ、そうだったのか……」



そういわれて、俺はへなへなとへたり込んでしまった。

……良かった。


雪女が無事で本当に良かった。

そんな風に思っていると、手の目は嬉しそうに笑みを浮かべる。



「ハハハ、そんな風に安心してもらえたなら、俺も秘密をばらした甲斐があったよ」

「秘密?」

「ああ。姉御からは、このことは絶対に言わないように言われてたからな。……けど俺は、お前にはこのことを伝えておきたいと思ったんだよ」

「どうしてだ?」

「それはな……ぐお!」



だが、それを最後まで言う前に、手の目は首だけ残して氷漬けにされた。

そして後ろから迫るのはすさまじい殺気。



「あ、ああああ、姉御……!」

「手の目? ……あなた……『秘密をばらした』のね……?」



雪女だ。

まるで悪鬼のような表情を見せながら、全身に吹雪をまとわせている。

だが、その姿には傷一つなく、ベストコンディションであることは一目で分かった。



「す、すまない、姉御……やっぱり、ナーリには真実を知ってもらいたくて……」

「だから何? 理由がどうあれ、私は秘密を漏らすものは容赦しないわ……昼までオブジェになって反省しなさい……」

「うぎゃあああああ!」



『秘密をばらされること』を非常に嫌うのは雪女の特性なのだろうか。

俺がそう思っている間に、手の目は頭まで凍り付いた。

そして静かになった手の目をにらみつけた後、俺に向き直った。



「知ったのね……私が演技で……倒れていたこと……」



彼女はどこか寂しそうな表情を向けて俺に尋ねる。


「ああ……。けど、なんでそんなことを……?」



そう聞くと、雪女は顔をうつむけながら、普段の様子とは違う、どこか子どもっぽい物言いでつぶやく。



「だって、だって……。あなたの頭の中、私のことで……いっぱいにしたかったから……」

「いっぱいに?」


そして、その小さな手が自身の着物の裾をきゅっと引っ張りながら苦しそうに答える。



「私だって本当は知ってるもの……あなたが……私なんかを好きになるわけないって……だけど、卑怯なのは分かっていても……少しでも、あなたに私のこと、想ってほしかったから……」



そういわれて、俺は心がズキ、と痛む。

……正直、俺は元の世界にいたころから、異性に対する性愛を理解できなかった。


そのため、彼女にどんなに尽くしてもらっても、それによって友情以上の感情を持つことはなかったのは自分でも分かっている。


きっと俺は『恋愛ができない人』なのだろう。

……そんな俺の言動が彼女を思いつめさせたことに、猛烈な呵責を感じた。



雪女は顔を上げると、覇気のない笑みを浮かべながら俺に尋ねる。



「……手の目も巻き込んで、無意味に周りを心配させて……こんな私のやり方に、失望したでしょ? けど……わずかな時間でいい、あなたが私のことだけ考えてくれたなら、それで満足だから……」

「雪女……」



……その発言に、俺はほんの一瞬だがとくん、と胸が高鳴る気がした。

彼女への失望ではもちろんない。……それとは違う、初めての感情に俺は一瞬気を取られた。



そして彼女は俺に背を向けた。

俺の顔を見ることが出来ないのだろうか……。



「けどね……この砦の実質的なリーダーは私なの。……だからあなたは、私のこと、追放できないわよ? あなたは私のそばにいなくちゃいけないのよ?」



だがその発言には、もう『俺に好意を持ってもらう』ということについての諦めが感じられた。そして彼女は振り返って、泣き顔になりながらも笑顔を見せる。



「あなたはいずれ、妖怪の総大将として成りあがるわよね? そしたら……私の傍にいてくれないのはわかってるの。けど……もうちょっとくらい……私と一緒にいて?」



そして彼女は去り際にぽつり、とつぶやいた。




「……好きになって……ごめんね……」





「……! バカ野郎!」



俺は何かにはじかれたような感覚とともに、彼女に対して後ろから抱き着いた。

冷気が体を刺すような痛みが走るが、構わない。



「え……?」

「謝るのは俺のほうだ! 砦に案内してくれて、俺を受け入れてくれて、それに危険な時に俺を助けてくれて……嫌いになるわけないだろ? 無事に二人が帰ってきて来てくれただけで嬉しいよ、俺は……」



自分でも、こんなに激しい口調が出てくることに驚いた。こんなに強い力で抱きしめていることにおどろいた。

だが雪女は何も言わずに、俺の抱きしめた手をきゅっと握ってきた。



「……はっきり言うよ。……俺は……雪女だけじゃない。誰も好きに『なれない』奴だと思う……。けど……それだけ俺を想ってくれるのは嬉しいに決まってるだろ? 演技だから、なんだってんだよ!」



雪女を抱きしめているその体が、少しだけ暖かくなったような気がする。

彼女はその美しい顔を俺の方に向けて、悲しそうに答える。



「……もし、今の私の言動も演技だったら?」

「それでもいいよ! 好きなだけ演技してくれよ! いくらでも騙されてやるから! だから……雪女も俺と一緒に居てくれ……」

「ぬらりひょん……ありがとう……」



しばらくして俺は雪女の体を離した。

そして俺は、改めて尋ねる。



「……昨日は本当にありがとうな。俺も何か二人にお礼が出来たらと思うんだけど……」

「お礼?」



そういうと雪女は少し考える様子を見せた後、後ろに手を回しながら恥ずかしそうに顔をそむけて答える。


「そ、それなら、前話した『お礼』に……もう一つ追加したいお願いがあるんだけど……いい?」

「ああ、もちろんだ!」



俺はお礼の内容を聞くこともなく、了承した。

……その際、隣で氷漬けになっている手の目の表情が、先ほど穏やかなものになっている気がした。

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