2-8 ナーリたちは舞踏会に潜入してリベンジをしようと考えるようです
それから数日が経過した。
俺たちはあれからほとぼりが冷めるまで潜伏するべく、砦の中でのんびりと過ごしていた。
……といっても、畑仕事が主である俺にとってはあまり生活は変わらなかったが。
今日は雨なので畑仕事が休みだ。そのため、スネコスリとボードゲームで過ごしている。
「よし、これでどう?」
「う……そこに銀を置かれたら……えっと……?」
スネコスリとやっているのは「将棋」というゲームだ。
俺の母国で盛んに行われていたチェスとよく似ているこのゲームの特徴として「取った駒を自分のものとして使える」という点だ。
正直、このせいで非常に複雑なルールとなるため、なかなかスネコスリには勝てない。
「ウフフ。お兄ちゃん、これで3連敗だよ? ほら、どうするの?」
「あ、おい……触るなよ、勝負中だぞ?」
「え? いいじゃん、ちょっとくらいは。おやつみたいなものだし、ね?」
普段の人懐っこい雰囲気ではなく、小悪魔的な笑みを浮かべてスネコスリは舌を出す。
「ウフフ、雪女さんが戻ってきたからかな? お兄ちゃんの精気もだいぶ戻ったね? 美味しいよ?」
そういいながらスネコスリは机の下で、俺の足首のあたりをぐりぐりと、その小さな足で押してくる。
その感覚が俺にダイレクトに伝わり、集中が阻害される。
「お兄ちゃん? あたしが勝ったら、またたっぷりなでなでしてもらうからね?」
「ハハ……。もう勝つ気満々だな……」
こうやって彼女が俺の精気を吸っているのは、すぐに分かった。
きっと立ち上がる時、またしびれが残るだろうことは、予測できる。
「くそ……。そうだ、ここで角が成れば……」
「ダメよ、そこに置くと王将の守りがなくなるわよ?」
俺が次の一手を打とうとしたら、後ろから雪女が助言してきた。
彼女は先日の一件については『外傷はないが、雪女は精神的なダメージが大きく、気絶した』と知らされている。
そのためスネコスリは少し心配そうに声をかける。
「あ、雪女さん。もう体の調子は平気?」
「ええ。スネコスリにも心配かけたわね。『お兄ちゃん』と遊んでもらって楽しそうじゃない? 私も入れて?」
そういう雪女の目は真剣そのものだ。……相手がスネコスリでも、やはり異性と二人っきりでいるのを気にするのだろう。
「うん、いいよ。じゃあここからお兄ちゃんと考えても?」
ニコニコとスネコスリは笑って答える。
……まるでスネコスリの方がお姉ちゃんみたいな余裕だな。
「ええ。……えっとね、ぬらりひょん。ここに桂馬を動かして。そして相手が合わせてくるから、そこに金を打って?」
「ああ……分かった。けど、その……」
「どうしたの?」
雪女はクスクスと笑いながら俺に尋ねる。
彼女が俺の隣に立っているせいで、胸の谷間が俺に見えているからだ。
「服の谷間が気になるからさ……しまってくれないか?」
「え? フフフ、私の魅力に釘付けになるなんて、嬉しいわね?」
そういいながらも胸をしまってくれた。
……通常なら彼女の今の言動で欲情するなりするのだろう。だが、俺はやはり異性の体に関心を持てないようだ。
(あの時の気持ちは……やっぱり、気のせいだったのかな……)
先日彼女を抱きしめようと思ったときに感じた、あの違和感のような、初めて感じるような気持ちを思い出しながら、俺は雪女のいうとおりに駒を動かした。
それから数分後。
「うぐぐぐぐ……」
雪女は俺と違って、持ち駒を使うのが上手い。
今度は逆にスネコスリが追い詰められている。
「すごいな、雪女。あそこからここまで逆転するなんて?」
「フフフ、そうでしょ? 私の賢さに、またあなたは私に惹かれたみたいね? ……嬉しいわ?」
雪女はそういいながら恍惚とした笑みを見せている。
(けど……彼女は、本気でそう思っているのかな……)
彼女はことあるごとに『俺は雪女のことが好きだ』と考えているような発言が見られる。先日まで、俺は彼女のこの発言は『彼女の思い込みの激しさ』によるものと思っていた。
……だが、以前彼女は「私なんかを好きになるわけがない」と言っていた。
つまり彼女は……本心で『俺は彼女が好きだ』とは思っていないのかもしれない。
今度、手の目に相談してみよう。
そんな風に思っていると、
「おーい、若人たち! お邪魔させてもらうぞ?」
そんなかわいらしい声が聞こえてきた。
……蛇骨婆だ。
「え? ……ねえ、お兄ちゃん? 蛇骨お婆ちゃんだよ! 珍しいね! ほら、早く行こ、ね? 勝負は引き分けってことで!」
そういうなり、将棋の駒をいそいそと片づけて立ち上がるスネコスリ。
「あ、ずるい! ……まったく、子どもなんだから……」
それを見て、雪女は不服そうな表情を見せた。
……まあ、子どもっぽいという意味ならどっちも同じようなものだよな、と思いながら俺は足のしびれが取れるのを待ってから立ち上がった。
「元気にしておったか、ぬらりひょん! それと、そこの悪ガキも!」
「悪ガキって失礼ね! ちゃんと雪女って呼びなさいよね?」
「ほっほ。ワシにとってはお主は今もガキじゃからな」
蛇骨婆は俺の目には雪女よりも年下の幼女に見えるが、実年齢は彼女よりもかなり上なのだろう。
……そもそも、妖怪に年齢の概念はあるのだろうか?
そうは思ったが、俺は気にしないで尋ねた。
「その……あんたのところの印章なんだが……ごめん、まだ奪い返せてないんだ……」
「そりゃそうじゃろ? ……そもそも、ワシはお主に取り返せとは言っておらん。……じゃが、街はお主たちの話で持ちきりじゃぞ?」
そういうと蛇骨婆は新聞を取り出した。
「なになに……。ファスカ家に『妖怪の総大将』を名乗る妖怪『ぬらりひょん』が襲撃。黄金(くがね)の弾丸『クーゲル・オーロ』により撃退さる! か……」
この世界には写真はないため、新聞の見出しにイラストが使われること自体はおかしなことではない。
「それにしても、誇張しすぎだろ、これはさ……」
そこには氷を操る恐ろしく美しい美女と、オリエンタルな雰囲気を醸し出す武道の達人、そしてカリスマ性のあるコートの男のイラストが書かれていた。
そして『クーゲル・オーロ』……恐らく先日戦ったガーゴイルだろう……は、その3人の男女を神速の速さで切り裂く姿が描かれている。
「まあ、戦った相手を過剰評価するというのは吸血鬼の得意技じゃからな……」
まあ、そうだろうなと思いながら俺は心の中でため息を突いた。
実際の戦史などでも、「戦った相手はものすごい強い奴だった」と過剰なまでに評価することは珍しくない。
まして、彼女らのように見栄っ張りな種族なら猶更だからだ。
それを見ながら、手の目は少し嬉しそうな表情を見せた。
「へえ……俺、ずいぶんかっこよく描かれてんじゃん。俺は「闇の目明し」で雪女は「月下の雪姫」とか、派手な名前だな……」
「笑いごとではなかろう! おぬしらは完全にお尋ね者になったのじゃぞ?」
「アハハ、まあそうだけどさ……」
手の目と蛇骨婆は、お互いが話す時だけ、雰囲気がどこか変わる。
見た目は『イケメンのお兄ちゃんと、気の強い妹』であるその二人の姿は見ていてほほえましくなった。
「まあ、お尋ね者ってのは困るけどさ……。その話をしに来ただけか?」
「いや、そうではない。実はこの襲撃事件の話がどうやら周辺の領地でも『英雄譚』として語られるようになったようでな。今度そのことを祝って、舞踏会をすることになったそうなんじゃ」
「舞踏会?」
「そうじゃ。……ま、連中のことじゃ。舞踏会をする口実を欲しただけじゃろうがな」
フン、と蛇骨婆は苦笑して答える。
……なるほど、彼女たち吸血鬼は見栄っ張りな種族だ。また、周辺国の種族たちも、エルフやエキドナなど、プライドの高い連中ばかりだ。
パーティを主催しようという話になったら、断れるわけがない。
ファスカ家の屋敷が妙にボロボロだったのは、恐らく交際費の積み重ねによる財政のひっ迫も多いんだろうなとも思った。
そんな風に思っていると、蛇骨婆がにやりと笑った。
「ところで、ぬらりひょんよ。一つ提案なのじゃが……このパーティに潜入して、印章を取り戻してはくれんか?」
「え?」
「無論、来月のパーティまでに、ファスカ家のルールとマナーは伝えようではないか。手の目から聞いたが、お主の『合法侵入』は招待状がなくとも使えるのじゃろう?」
「ああ、まず問題ないな」
そう俺は答えた。
俺の能力が『変装』と違うところは、侵入時に服装や招待状の類は問われないことだ。相手側の認識を阻害することが出来るのだろう。
蛇骨婆はさらに続ける。
「それに……上手く侵入に成功すれば、あやつの持つ証文や権利証なども奪えるやもしれん。そうしたらお主は……」
「あ、この町の領主様になり替われるってことでしょ!」
アカナメはそう叫んだ。
「そうじゃ。……お主にとっても悪い話ではあるまい? あの高慢ちきな女を没落させることが出来るのじゃからな!」
「うーん……」
領主になったほうが、確かに妖怪たちに住みやすい世界を作るためには有効だ。
だが、俺は『強者になり替わり、差別する側になる』ことは絶対に断りたい。
……もしも俺が領主になるなら、せめてファスカ家にとってもメリットのある形で話を収めたい。
だが、いずれにせよそのためには相手のことを知る必要があるな。
そんな風に考えていたら、雪女は首を振る。
「私は反対。舞踏会に忍び込むのは危険よ。……あなたを危険な目に遭わせたくないもの」
「え?」
「……それに……あなたはずっと、あなたが愛する私と一緒に居ればいいでしょ?」
彼女の発言に、手の目は少しあきれたように答える。
「はあ……。まあ、心配な気持ちはわかるけどよ……。本当はさ。舞踏会でおしゃれな女たちにこいつを合わせるのが嫌なだけだろ?」
「……べ、別にそういうわけじゃないわよ……」
そういうが雪女は顔を少し赤らめながら顔をそむけた。
だが、手の目は彼女と俺の肩を同時に叩きながら笑う。
「ハハハ、大丈夫だ。ナーリの奴がそんな簡単に女になびくわけねえって! それに……」
「それに?」
「この件が上手くいったら、こないだ話していた『お礼』をもらえるぜ?」
そういわれて雪女は少し考えるような素振りを見せた。
そしてしばらくした後、うん、とうなづいた。
「そうね。……まあ……このまま砦に隠れていても、いつかは追い詰められるわね。……私も力を貸すから、頑張りましょ、ぬらりひょん?」
「ああ……今度こそ成功するように頑張るよ」
俺ももとより潜入作戦を行うつもりであった。
……それが、俺のために身体を張ってくれた彼女や手の目、そして一本だたらへの恩返しにもなるからだ。
「よっしゃ! パーティは来週じゃ! それまでに、ワシがしっかりとマナーを叩き込むからな!」
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