第2章 炎と氷の魔法の使い手、蛇骨婆
2-1 ヤンデレ雪女は依存してもらいたがっているようです
それから1カ月ほどが経過した。
「おはよう、お兄ちゃん?」
「……スネコスリか……おはよう……」
俺の足元には、スネコスリがニコニコと甘えるような表情ですりすりと頬ずりをしてきた。
「ごめんね、お兄ちゃん。朝ごはん、もらっちゃうけどいい?」
「ああ。……それなら、俺はもう少しだけ横になってるな」
そういうとスネコスリは体を丸め、幸せそうな表情で俺の足に何度も体を擦りつける。
……彼女はサキュバス達と同様に、人の精気を吸って生きるタイプの妖怪だ。ただ彼女の場合には相手の『足』に体の一部を擦りつけることでしか精気を吸えない。
「う~ん……。今日もお兄ちゃんの精気、美味しいね? ……けど……ひょっとして、おなかの調子悪いの?」
「ああ。よくわかったな」
「だって、少しだけ精気のめぐりが悪かったから……」
ゴロゴロと甘えながらもスネコスリは俺に心配そうに尋ねてきた。
この国の水は俺には少し硬くて体に合わない。最近は慣れてきたが、それでも昨日は少しおなかがゆるくなってしまった。
(……そういや、朝忍び込んできたアカナメも、そんなこと言ってたな……)
アカナメは俺が寝ているときにこっそり部屋に忍び込み、俺の体にたまった垢をべろべろと舐めていることがあり、今朝も部屋に上がり込んでいた。
……時折聞こえる彼女の独り言と、何より全身を嘗め回される感覚を味わったら起きないわけがない。だが、俺は気づいていない振りをしてあげている。
俺はスネコスリに心配かけさせないように頭をそっと撫でた。
「心配すんな、大した痛みじゃないから」
「そうなの?」
「ああ。……そんなことより、寝ぐせついてるぞ? 今直してやるからじっとしててな……」
そして枕元においてあった櫛……『妖怪髪切り』から雪女がもらったものだそうだが……を使ってスネコスリの長い髪をすいてあげた。
「えへへ、ありがとう、お兄ちゃん……大好きだよ……」
綺麗な髪をとかされながら俺の精気を吸い上げるスネコスリは、とても暖かい表情で目を閉じており、俺は見ているだけで癒された。
「……うん、ご馳走様。雪女さんがご飯作ってくれたから、おいでよ?」
「ああ……う!」
俺は立ち上がろうとしたが、その際に猛烈に足にしびれを感じた。
「だ、大丈夫? ごめんね、いつも……」
「ああ、ちょっと休めば治るからな」
スネコスリによる精気の吸収は足に集中するため、吸われている時には自覚症状はない。
だが、立ち上がろうとすると、その吸われた精気を充填しようと体が反応するためか、猛烈なしびれが襲ってくる。
……それこそ※ひざを曲げた状態で座って30分ほどした後立ち上がった時のような感じだ。
(※ナーリ・フォンは日本人ではないため『正座』という言葉は出てこない)
その様子を見たスネコスリは、申し訳なさそうな表情を見せる。
「ごめんね、しびれちゃったよね、足……。あたし、精気を吸わないと生きていけないのに、いつもこれで怒られちゃって……」
「ああ……そういうことか……大丈夫、俺の精気でよかったらいくらでも吸ってくれ」
「ありがとう……ごめんね?」
俺は以前、サテュロスのお頭がスネコスリに怒りをぶつけていた時を思い出した。
今思うと、あれは空腹に耐えかねた彼女が、お頭から精気を吸い取ったのだろう。立っている相手から精気を吸収したら、そのしびれから一時的に歩けなくなる。
それで彼がバランスを崩して転びかけたことで怒ったということは、なんとなく想像がついた。
……けど、こうやって謝らせるだけじゃだめだな。こういう時は寧ろ、スネコスリに負担してもらうほうが、却って彼女の気も楽になるだろう。
そう思って俺はスネコスリの肩にもたれかかる。
「ふえ? ど、どうしたの、お兄ちゃん?」
彼女は恥ずかしそうにしながらも、その手を振りほどかずに答える。
「精気を吸ったことを気にするならさ。足のしびれが取れるまで、肩を貸して一緒に歩いてくれるか? それで貸し借りなしってことでどうだ?」
「え? ……うん、わかったよ、お兄ちゃん!」
そういって俺は、彼女に軽く体重を預けながら、ベッドからリビングに歩いて行った。
「おはよう、ぬらりひょん。……あなたのための朝ごはん、もうできるわ?」
「おっはよ! ぬらりひょん様! 今日も頑張りましょうね!」
あれから俺は『合法侵入』を使って人の家でご飯を食べさせてもらう生活はしていない。
俺は人間だが、世間から見たら『妖怪の総大将』だ。
そんな俺がある種の『盗み』でもある合法侵入を繰り返していたら、妖怪全体の評判に関わると思ったからだ。
……むろん、人の家に上がり込んで食事を集る行為に罪悪感があったのも理由の一つだが。
「今日は……いつもより大きい魚が釣れたわ? 楽しみにしていて?」
「釣ったのはあたしですけどね! えっへん!」
今は、アカナメと雪女は台所で朝食を作ってくれている。もちろん俺は「ご飯くらいは自分で用意する」といったのだが。
俺は足のしびれが何とか取れたのを感じ、スネコスリから離れて椅子に座った。
「そりゃ、楽しみだ。……ありがとうな、スネコスリ。もういいぞ」
「うん。……けど、もうちょっとお兄ちゃんの傍にいていい? もう精気は吸わないから……」
「ああ、もちろん」
そういうと彼女は身をかがめてきたので、俺は彼女の頭をなでてあげる。
まるで猫がゴロゴロと甘えるようにして、俺に体重を預けてくれる。
「あらあら。……まったくスネコスリは本当に『お兄ちゃん』が好きなのね? はい、出来たわよ?」
雪女は彼女が俺に甘えるときに必ず『お兄ちゃん』『兄妹』を強調してくる。まあその理由はわかるが。
「お……おいしそうだな? これは……刺身か?」
「ええ。一度凍らせたから、虫(ここでは寄生虫をさす)の心配もないわ」
彼女の得意料理は生魚を使った調理だ。
冷たい体を持つ雪女は、魚を体温で温めることなく調理ができるためでもある。これはただの『氷魔法使い』には出来ない長所だと以前誇っていた。
「じゃあ、いただきます。……うん、美味しい!」
俺も最初は抵抗はあったが、最近ではすっかり慣れ、彼女の手料理に舌鼓を打った。
「うふふ? ……でしょ? 私の料理であなたのおなかを満たして? そして、あなたの体の中まで、私でいっぱいになってくれたら嬉しい……フフフ……」
相変わらず、物騒なことをいうな、雪女は。
そう思っていると、今度はアカナメが料理……料理? ……を出してきた。
「はい、ぬらりひょん様? 私のご飯も食べて?」
……さあ、恐怖の時間の始まりだ。
今日彼女が出した代物は、スープ『のようなもの』だ。すさまじい悪臭とともにどろどろとした液体が皿に入っている。
「うお、お……。す、すごいなこれ……。一体なんだ?」
「えへへ、ご主人様知ってる? 体が悪い時には、その体の部位を食べるといいって! 最近ご主人様、おなかの調子悪かったでしょ? だから……」
俺は猛烈な嫌な予感がした。
「だからね? 雪女ちゃんが取ってくれたお魚の胃袋の部分をぜーんぶ煮込んだの! 美味しいよ、きっと?」
……ああ、やっぱりだ。
胃袋の内容物がこのスープには溶け込んでいるんだな。
その様子を見て、クスクスと雪女は笑いながら答える。
「アカナメちゃんの料理も食べてみてね? ……もし、美味しくなかったら私が口直し、作ってあげるから……」
なるほど、嫉妬深い雪女が厨房に立つのを止めなかったわけだ。
……自分の料理の引き立て役になると思ったんだな。
「あ、ああ……」
そして俺は一口食べると、
「ぐおぼがああああ!」
口の中にすさまじい酸味と苦味と渋みが広がった。
そして後味には痛みにも似た恐るべき辛味。
……『まずい』という言葉以上に『まずい』という表現を行う方法がないことが悔やまれる程、とんでもない味だった。
「うふふ、どうかな、ぬらりひょん様? あ、汗かいてる? そんなに美味しかった?」
「あ、ああ……美味しかったよ……」
俺は脂汗を流しながらも、何とか俺はその食事を平らげた。
その様子を見て、アカナメが恍惚とした表情で見つめる。
「ああ、ぬらりひょん様、いっぱい汗かいておいしそう! お昼が楽しみだなあ……」
……本当はこいつ、わざとまずいもの作ったんじゃないか? とも思ったが、彼女に悪気はないと信じることにした。
「フフフ。お疲れ様、ぬらりひょん。はい、デザートよ?」
朝ごはんを食べて『お疲れ様』と言われたのは初めてだ。
そう思いながらも俺は、彼女が出してくれたシャーベットを口にしながら尋ねる。
「私のほうがずっと料理が上手でしょ? きっとあなた、私のこと『救世主』だと思ってくれてるわよね?」
アカナメのことを思い、俺はあえてそれを無視して代わりに礼をいう。
「いつもありがとうな。けどさ、毎回二人に魚を取ってもらうのは、悪いよ。だからさ、今度俺にも釣り場と釣り方を教えてくれないか?」
「嫌よ!」
だが、雪女は即答した。
そして少し目をそらしながらつぶやく。
「だ、だってさ。あなたは、妖怪の総大将の仕事があるじゃない? ご飯を取ってきたり、ご飯を作ったりするような仕事は、私たちに任せてくれればいいのよ」
「そうはいってもさ。こんな風に、みんなに養ってもらう生活を続けたら、ダメだと思うし……」
「そんな、いいのよ。私は、あなたに愛してもらえるならそれで十分だから。あなたには私が必要、私のいない生活なんて耐えられない。そんな風に思ってくれたら……ね?」
そんな風に雪女はにっこりと、どこか不気味な笑みを浮かべてきた。
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