第31話、事件は唐突に……

 


 ◇◇◇




 全員部屋を出て行ってからは、玲喜の気分は以前のように良好になっていたので気分は上々だった。

 何故あんなにも気分が悪かったのか逆に不思議になるくらいで、玲喜は気分転換も兼ねてシャワールームに向かった。

 出て来ると部屋の扉をノックされる音がして、声が掛かるのを待ってみたが誰の声もしなかった。

 首を傾げる。

 ゼリゼが造った魔法壁がありはするが、玲喜は自分の首元に誰かの手が掛けられているような妙な違和感を覚え、声を出すのは戸惑われた。

 ラルやアーミナ、ゼリゼであるならば、今は魔法壁に認証させている人物なのですぐに通り抜けられる仕組みになっているので直ぐに入って来られる。

 入って来られないという事は、予期せぬ来訪者を意味していた。

 ——誰だ……?

「レキ……サ、マ」

 妙に音が篭ったような声音だった。

 しかも淡々とし過ぎていて人の気配が全くしない。

 性質の良くない機械に録音した音を再生しているのかと疑いたくなるくらいで、怪しさしか伝わって来なかった。玲喜は眉間に力を込める。

「レ……キ、サ……マ」

 また名を呼ばれた。

「レキ、サ、マ……レ……キ……サマ」

 こうも続くと気持ち悪くて、早くゼリゼが帰って来ないかと玲喜は掛け時計を見上げる。

 もし帰宅がいつも通りなら後二時間は帰ってきそうにない。

 突如、ドンと強く扉を叩かれた。

 というよりも扉に向けて体当たりでもしているような音が響いて、玲喜は思わず身を竦ませる。

 ——何だよ、気持ち悪いな……っ。

 まるで質の悪いストーカーにでも遭っているような心境だった。

 また何度も続けて大きな音が響く。部屋だけではなく遠くまで聞こえていたようで、何人かの警備隊が駆けつけてくる足音と声がした。

 ホッと安堵の吐息をつく。しかしそれも束の間で、今度はその警備隊たちの叫び声が聞こえてきた。

「え……、何?」

 扉の向こう側で、何かが起こっている。

 玲喜はまだ文を暗号化する方法は分からない。

 が、尋常じゃない事態に陥っているのは明らかだった。

 もしかしたら、この部屋に張り付いている誰かに読み取られてしまう可能性はあったが、ゼリゼに現状を伝える為に急いで文を飛ばした。

「イタ、ァ……アアーー」

 やはり読み取られてしまったみたいだ。

 声と共に扉の下に刃物の切先らしき物を差し込まれる。

「——ッ‼︎」

 息を呑む。その切先も、差し込まれた床も血に濡れていたからだ。

 ——もしかしてさっきの人たち、これで切り付けられたのか⁉︎

 何故魔法壁をすり抜けられたのかも分からない。ここに張られているのは物理的な攻撃にも対応している筈だった。

 魔法が主流だからか、この帝国の人間は魔法攻撃には強いが物理的な攻撃には弱い。そう思うと居ても立っても居られなかった。

 先に防御壁を作って、向こうにいるであろう人物を扉越しに弾き飛ばす。

 それから急いで扉を開けた。

 奇妙な動きで警備隊らしき男が、体を起こして歩いてくる。日本にいる時に映画で見たゾンビのようだった。

 足元には呻き声を上げている警備隊が三人倒れている。

「今、治癒魔法をかけます!」

 玲喜は呪文を口にするなり治癒魔法を施し、効果があるのかは分からないが、これ以上害されないように彼らに物理攻撃にも効果的な防御壁を作る。

 ——息があって良かった。

 魔法は最近はもう見慣れているものの、実際刃物で切り付けられた事件は目にした事もない。

 治安が良く平和な場所に住んでいたのもあって、日本でも遭遇していなかった。

 ——どうしようっ。

 足が震える。怖くて仕方ない。しかも夢の中の映像と似通っていて、玲喜は悪阻とは違った吐き気と悪寒にみまわれていた。

 全身が今の事象を拒絶している。

「嫌、だ。近付くな!」

 己の周りにも防御壁を立てて、男からの接触を拒む。警備隊たちにもこれ以上何かあって欲しくなかった。

「玲喜様⁉︎」

「来るな、アーミナ!」

 駆けつけてくるのが分かって、玲喜はアーミナが寄れないように己の背後に壁を立てて距離を離す。

 ——何なんだよ、こいつ。

 男が動く度に肉が腐ったような異臭が鼻をついた。

 青黒く変色した顔色も嫌悪感を誘う。

 腕を伸ばされ短刀を防御壁ごしに突きつけられる。その短刀は、夢に出てきた短刀と同じ銀色をしていた。

「玲喜!」

 部屋の中にゼリゼとラルの気配がして視線を向ける。

 同じタイミングで、短刀は防御壁をスルリと擦り抜けて玲喜の足元に落ちた。

 この短刀だけ、やはり防御壁が機能していない。

 直後、防御壁に弾かれた男の体だけが後方に飛び、壁に当たると嫌な音と共に全身がバラバラになって床に崩れ落ちた。

「~~っ!」

 言葉は音にならなかった。

 衝撃的な光景を目の当たりにして、玲喜から言葉にならない悲鳴が溢れる。

 目の前で起こり続けている惨劇を受け入れられなくて、微動だに出来なかった。

 勝手に浮き上がった短刀が、玲喜に向かって勢いよく飛ぶ。

「くそ!」

 ゼリゼが玲喜を守る為に、闇魔法の砲撃と防御壁を張った。

 しかし、それさえも物ともしない。短刀は、玲喜の鎖骨の少し上に真っ直ぐに刺さった。

 皮膚を刺した音ではなく、硬質な物体に切先が当たる音が響いた。

「玲喜‼︎」

 ゼリゼとラルの叫ぶような声が聞こえた後で、意識は暗転する。

『邪魔だ、退け』

 頭の中で誰かの声と笑い声が響く。

 アクアマリンの制御装置が壊れたのを合図にして、玲喜の意識は勢いよく体の外に弾き飛ばされた。


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