第4話 似ても似つかない妹

 その日の夜、俺は帰宅と同時にベッドにダイブする。

 ただでさえ普段の学校生活だけでも疲れるというのに、委員会の仕事に加え、居残りでマニュアル作りと、社畜さながらのスケジュールに疲労困憊だ。

 もはやこの疲れを取るにはあれしかない。そう思い至った俺は、むくっと起き上がり、テーブルの上に置かれたタブレットを手に取る。

「さーって、何を見ようか……」

 俺の唯一の趣味。それはアニメ鑑賞だ。1クール15本以上は必ず視聴し、ブログでレビュー記事を書くほどのガチ勢である。

 ちなみにアニメオタクであると同時に声優オタクでもあり、キャラの声を聞けば誰が声を当てているのか大抵分かったりする。巷では俺のような人間を声豚と呼ぶらしい。

「今の気分的には異世界物よりラブコメかなぁ」

 疲れた心を胸キュンで癒してもらおうと、俺は今期最高の呼び声高いラノベ原作のアニメを見るためイヤホンをした。

 再生と同時に耳に流れ込む至福の声。俺の御手洗ちゃんマジ天使。あ〜このために生きてるんだよなぁ……。

 御手洗ちゃんというのは去年デビューしたばかりの新人にも関わらず、既に今期主演アニメを3つ掛け持ちしている超期待の若手女性声優だ。フルネームは御手洗千沙妃。癒しの囁きボイスが特徴的で、おっとりしたキャラに定評があり、曇ったキャラをやらせれば右に出るものはいない。

 しかも顔も可愛く、歌って踊るいわゆるアイドル声優の一面も持ち、メディアに顔を出すこともしばしば。俺は絶対に高校を卒業したら上京して、御手洗ちゃんのライブに行くことを心に決めている。

 もう一度言っておこう。

 御手洗ちゃんはマジ天使!

 そんな感じで鼻の下を伸ばしながらアニメ鑑賞に没頭していた俺だったが、急に耳から意図せずイヤホンが引っこ抜かれ、現実に引き戻される。

 振り返った先にいたのは、俺の二つ下の妹――美耶だった。

 兄妹と言えど、俺と似ているところと言えば黒髪であることくらいで、顔の造形は似ても似つかない。いまだに俺は実妹であることを疑っているほどだ。

 美耶はしゃもじを片手に言った。

「お兄さま。ご飯の支度ができましたよ」

「あー、今忙しいから後から食べる」

「どこが忙しいのですか。アニメを見ているだけではないですか」

「ばか、『だけ』とはなんだ。お兄ちゃんにとっては最優先事項だぞ」

「美耶にとっての最優先事項はさっさとご飯を終わらせて片付けることです。言うこと聞かないなら、今日は夕食抜きにしますよ?」

 おいおい、マイシスター。それとこれとは話が違うぜ。お兄ちゃん、美耶のご飯が無ければ餓死しちゃうんだぜ?

「……じゃあせめて、この話が終わるまで待ってくれ。今いいところなんだ」

 美耶は呆れたように小さくため息をつく。

「まったく。お兄さまのアニメ好きには困ったものです。2次元ばかり大事にしていて、リアルの高校生活を疎かにしていないか、美耶は心配です」

「大きなお世話だ。それに言っちゃなんだが、お兄ちゃん今委員会活動でめちゃくちゃ忙しいんだぞ」

「委員会活動?! あのお兄さまが?!」

 目を輝かせながら詰め寄る美耶。そんでもって、あのお兄さまっていうのはいささか失礼ではありませんかね……。

「それで、何の委員会に属しているのですか?!」

「顔近っ! ……か、会計監査委員会だけど」

「会計監査?! すごいです、お兄さま! そんな素晴らしいお役職に就かれるなんて、よほど皆様に認められているのですね! 妹として、美耶は鼻が高いです!」

 ははは、本当は欠席裁判で選ばれただけなんですけどね。

 けどまぁ、誇らしげに手を叩いている美耶を前に、今更本当のことを言うのは憚られる。ここは優しい嘘ということで話を合わせておくことにするか。

「そうだぞ。こう見えてお兄ちゃんは慕われているんだ。だから美耶も、もうちょっと敬ってくれてもいいからな?」

「はい、お兄さま! これからはお料理も部屋までお持ちすることにしますね!」

「いや、それは大丈夫だから……」

「そうですか……ところでお兄さま、会計監査委員に就任されたとのことですが、資格のお勉強はされなくてよいのですか?」

「資格? 何の?」

 意味が分からず質問に質問で返すと、美耶はエプロンのポケットから携帯を取り出し、弄り出す。

「これですよ」

 見せられた画面に書かれていた文字を俺は読み上げる。

「……簿記について学ぼう?」

「そうです。会計的な視点の獲得やビジネスコストの把握、運営や財務における分析スキルの向上のためにも、簿記について勉強するべきかと美耶は思います」

「いや、ガチすぎんだろ。所詮は学校の委員会活動だぞ」

「甘いです! 学校生活も立派な経済活動の一環です。予算立案、調整、実施、収支決算までのプロセスを理解しなければ、立派な監査委員は務まりませんよ!」

「お、おう……」

「それに、この機会に簿記の資格を取っておけば将来の選択肢が広がりますよ。お兄さまには是非とも安定した職業に就いて頂きたいと美耶は思っております。というわけですので、参考書選びは、この美耶にお任せください。しっかりとリサーチした上でご準備させて頂きます」

 我が妹よ、お兄ちゃんはやるなんて一言も言っていないのだが?

 だが、こうなった美耶はもう止めることはできない。

 こんなことなら会計監査委員になったなんて言うんじゃなかったなぁ……。





 午後の光がいくらか薄れ、夕方の気配を感じ始めるこの時間。

 今日も今日とても、俺は総合棟4階にやって来ている。

「どれどれ……」

 この収支報告書も見慣れたものだ。

 最初の頃は何から何まで無駄に確認しまくって時間がかかっていたが、今は要点を掴めて効率よく作業ができている。

 今目を通しているのは、吹奏楽部の収支報告だ。

 なるほど、先月は市の定期演奏会へ出席したようだな。その際に発生した市民ホールの使用料や楽器運搬費用、その他配布資料のコピー料など、細かく経費として計上されている。それを裏付ける領収書も全て揃っており、特に気になる点も無し。よし、問題なさそうだ。

 俺は収支報告書の右下に、会計監査員がチェックしましたよという証である押印をし、水戸瀬の元へ持って行った。

「吹奏楽部、問題なしだったぞ」

「ありがとう」

「……あれ、そう言えば小田切はどうした?」

 見渡しても確認できない珍獣の姿。前科持ちであるため脳裏にはサボりの3文字がチラついたが、どうやら今回はそうではないらしい。

「ニコちゃんは補習だってさ。お昼休みに雨霧先生から聞いた」

 1年のこの時期で補習対象とか、あいつこれから3年間やっていけるのか……。

 普通に留年とかしそうで怖い。

「じゃあ雨霧先生は?」

「雑務が溜まっているから今日はパスだって」

 うーん、これから1年間で何回パス使うのか見ものですね。ちょっとこれについて誰か一緒に賭けたりしない?

 冗談はさておき、つまり今日は俺と水戸瀬の2人きりというわけだ。

 マジか、女の子と密室空間に2人きりとか緊張しちゃうんですけど……。

 ただ、そんな風に変に意識していたのは俺だけのようで、水戸瀬は手元の書類に目を落としながら、困ったように顎に手をやっていた。

「……どうかしたのか?」

「うん、ちょっとね。サッカー部の報告書なんだけど、領収書が無いものが一個あって……」

「マジか。それでよく会計も通したな」

「まぁ、あの人たちも人間だからね。チェック漏れの一つや二つはあると思うよ。そのために私たちがいるわけだし」

 それはそうなのだが、彼らがしっかりしてくれないと俺たちの仕事が増えるのは事実で、あまりそんな役回りをすべきではないと思う。

 とは言え、逐一指摘していては、自分たちが間違った時に倍返しにあいそうなので、指摘のタイミングは見極めるべきであろう。

 さしあたって、今直面している問題についての取るべき行動は決まっているので、俺は水戸瀬へ助言する。

「面倒だけど、差し戻して再提出してもらうしかないな」

「やっぱりそうだよね……私、サッカー部に知り合いとか全然いないんだけど、芹沢くんいたりする?」

「いるわけないだろ、あんな陽キャ集団に」

「だよね。いつも明るく元気なサッカー部と芹沢くんって全然結びつかないもん」

 それはつまり俺が陰キャであると言いたいのかな? いや、間違ってはいないんだけどさ……なんかこう当たり前のように言われると悔しいというか? 癪に触るというか? 若干納得できない部分があるよね。

 だから、俺は言った。

「そんなこと言うなら一緒について行かないからな?」

「うそ、ごめん! そういうつもりじゃなくって……気分を害したなら謝るから! お願い、ついて来て‼︎」

 急に立ち上がり、懇願する水戸瀬。

 あまりの必死さに、断るとこちらが血も涙もない悪魔みたいになりかねない。さすがの俺もそこまで酷い人間ではないことだけは伝えておきたい。

「冗談だって。はなから一緒にいくつもりだからそんなマジになんなって」

「……もう」

 揶揄われたことを知った水戸瀬は、力が抜けたように椅子に座り直す。

「そういうところだからね、芹沢くん」

 え、つまりどういうこと……?

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