第2話 前途多難

 監査委員に任命されてから早1週間。今日から本格的に委員会活動が始まるということで、俺は先週ぶりにこの人気のない特別棟4階へ来ていた。

 はぁ、気が重いぜ……。

 教室の扉を開くと、前回とは打って変わって、埃混じりのもわっとした空気が鼻腔をついた。

「あ、芹沢くん、こんにちわ。ごめんね、私も今来たところだから、これから換気するね」

「別にそれは全然いいけど……」

 むしろ何故謝る。別にそれはお前の仕事ではないはずだろ。

 俺は水戸瀬のことを大して知らない。それでも、こいつが普通の人よりかなりお人好しだということは短い付き合いで感じ始めている。

 水戸瀬は窓を開け、新鮮な空気を思いっきり吸う。

「……いい風」

 靡く長い髪を耳にかけながら、水戸瀬が言った。

 彼女はいわゆる華やかなタイプの美人ではない。けれども、深く澄んだ黒い目、鼻筋の通ったシュッとした鼻、小ぶりな朱色の唇、それらがバランスよく配置された卵形の輪郭、客観的に見て容姿は整っているし、お淑やかな雰囲気もある。たまにいるんだよな、こういう目立たない美人っていうのが……。

「? どうかした?」

「あ、いや。何でもない。それより、他の奴ら遅いな」

「そうだね。もうそろそろ来ても良い頃なのに……」

 水戸瀬が心配した素振りを見せるが、次に教室へ現れたのは2人ではなく――


「なんだ、お前らだけか?」

 雨霧先生が不服そうにしている。まぁいきなり遅刻だとそうなりますわな……。

 水戸瀬、ここは頼んだぞ!

 俺が懇願するように水戸瀬を見ると、彼女はいつもの困り顔でしおらしく言った。

「たぶん……もうちょっとで来ると思います……」

「本当か?」

「はい……多分……」

「多分?」

「いえ、絶対……」

 震える子鹿のようになっている水戸瀬があまりにも居た堪れない。雨霧先生もそう思ったのか、自身の機嫌を落ち着かせるように小さく息を吐いてから席に座った。

「分かった。では、10分だけ待つことにしよう」

「あ、ありがとうございます!」

 深々とお辞儀をする水戸瀬。

 おい、こら、知花に小田切。水戸瀬さんがここまでして下さったんだから、10分以内に来なかったら承知しないからな!


 そこから刻々と刻まれる時計。

 だが、俺の願いとは裏腹に、2人は一向に来る気配はなく、そして予定の10分が過ぎた。

「……初日から前途多難だな」

「す、すみません……」

「別に水戸瀬を責めているわけではないよ。とは言え、委員を正すのも委員長の務めだ。そこの芹沢を連れて、残りのメンバーを探しに行って来い」

「え、俺もですか?」

「当たり前だろ。副委員長なんだから。しっかり水戸瀬委員長をフォローするように。分かったな?」

「……へーい」

 これだから役職者っていうのは困る。責任だけ負わされ、それに対する報酬が割にあっていない。将来、なにかの間違いで仮にサラリーマンになってしまったとしても、絶対に出世なんてしないようにしたいと思う。まぁ実際はしたくても出来ないんだろうけどね!

 そんなこんなで、俺と水戸瀬は、不真面目な同僚を探しに行くことになった。



 俺たちがまず向かったのは、普通教室棟1階――すなわち1年生フロアである。

 その道中、俺は気になっていることがあって水戸瀬に聞いた。

「なぁ、聞いてもいいか?」

「なに?」

「なんで、副委員長に俺を推したんだ?」

「……なんとなく、こうなることが予想できたから」

「なんとなくって、今のこの状況のことか?」

「そ。知花さんと小田切さんが来なくって、私たちが呼びに行く未来が想像できたから、芹沢くんをパートナーに指名したの。ごめんね、そんな理由で」

 胸元で手を合わせながら謝る水戸瀬に、俺は首を振って答える。

「いや、大方そんな理由だろうとは思ってたから。まぁ、精々足を引っ張らない程度にやらせてもらうよ」

「そこは精一杯頑張るよって言って欲しいところなんだけどな」

 ぷくっと頬を膨らませる水戸瀬に、俺は愛想笑いで返す。

「そう言えば小田切って何組なんだ?」

「E組だよ。この間の自己紹介の時に言ってたでしょ?」

 すいません、こちとら記憶力があまり良くないものでして……ちげぇな、単に興味がないから右から左にスルーしてただけです、はい。

 とりあえず、思い出したというていで話を合わせる。

「おぉ、そう言えばそうだったな。えーっと、E組……E組……」

 目的のクラスに辿り着いた俺たちは、後ろ側の開け放たれた扉から中を覗き込む。

 放課後ということもあり、生徒の数は疎らだ。ぱっと見、小田切の姿は見当たらない。

「……いないっぽいな。もう帰ったんじゃね?」

「どうかな。ちょっとクラスの人に聞いてみようか」

「え、マジで?」

 俺が乗り気じゃない素振りを見せると、水戸瀬は全てを理解した上で言った。

「大丈夫だよ。私が聞くから」

 マジで助かります、水戸瀬さん。いや、水戸瀬様! 一生ついていきます!

 水戸瀬は比較的廊下側で話し込んでいる女子2人組に狙いを定めて、失礼しますと言ってから教室内に足を踏み入れる。その後ろを金魚のフンのように俺は追った。

「あの、ちょっと聞いてもいいですか?」

「え、は、はい……」

 上級生から急に話しかけられ、1年生が訝しむような視線を向ける。不思議と、俺の方に視線が集まっているような気がしたので、とりあえず会釈して自分は害のない存在であることをアピールしておく。

 水戸瀬は言った。

「このクラスに小田切さんって子がいると思うんだけど、もう帰っちゃったのかな?」

 2人の1年生は顔を見合わせてから、片割れが返答する。

「小田切さんなら食堂だと思いますけど」

「食堂? なんでこんな時間に?」

 水戸瀬が質問すると、1年生たちは苦笑いをして「行けば分かります」とだけ答えた――



 聞き込みにより、小田切が食堂にいるという情報をキャッチした俺たちは、一旦校舎を出てから、同一敷地内に建つ食堂へと足を運ぶ。

 現在、夕方の15時45分。こんな時間に食事を取っている人間などいるはずもなく、食堂内の片隅でうどんを食べている少女は否応なく目立っていた。

 俺たちは後ろから近づき、声を変える。

「おい、小田切。なに呑気にうどんなんて食ってんだよ」

 ずるっと麺を吸い上げ、もぐもぐしながら小田切が振り返る。

「みへぇわけれないお? んどぅんふぁべてふぅんお」

「……すまん、一ミリも聞き取れん」

 せめて口の中の物を無くしてから喋れ……。

 俺が呆れている中、水戸瀬が会話を引き継ぐ。

「こんにちは、小田切さん。そのうどん美味しい?」

 優しい水戸瀬さん。委員会をサボってうどんを食べていることに対して怒るつもりはないようだ。

 ようやくうどんを飲み込んだ小田切は、人差し指、中指、薬指を立てて、水戸瀬に見せた。

「星3‼︎」

「わあ、すごい! 私も今度食べてみようかな〜」

 なんだその反応。こいつらまさか、混ぜるな危険コンビなのか……?

「ところで、いつもこの時間に食事を取ってるの?」

「sim! 常にお腹を満腹にしておくのがニコのマイルールだから!」

 常にお腹に何かを入れておきたいっていうのは聞いたことはあるが、常に満腹にしておきたいというのは初めて聞いたぞ。胃袋どうなってんだ、こいつ……。

「てか、すいすい達はなにしにここに来たの?」

「す、すいすい……?」

 いきなりの愛称呼びに困惑する水戸瀬。

「sim! 翠ちゃんだからすいすい! 私のこともニコって呼んでね!」

 君、この間からそれずっと言ってるね。まぁ、俺は死んでも呼んでやらないが。

 しかし、水戸瀬はというと、少しでも距離を縮めたい想いもあるのか、恥ずかしそうにぼそっと言った。

「……じゃあ、ニコちゃんって呼ぶね」

 花開くように小田切の笑顔がぱあーっと弾け、彼女は水戸瀬の手を取った。

「sim! 改めてよろしくね、すいすい‼︎」

「う、うん。よろしく、ニコ……」

 よく分からない流れで友情(?)が芽生えたようだが、そろそろ本題に入ってもらわないと困る。

 俺が水戸瀬に視線を送ると、彼女は「分かってるって」と言わんばかりに苦笑した。

「ところでニコ、今日が何の日だか覚えてる?」

 ニコはこめかみに人差し指を当てて、むむむっと唸る。

 あ、これは何も出てこないやつだ……。

「えーっと、駅前のスーパーの特売日?」

「なわけねぇだろ」

 何でお前はいつも食べ物の話ばっかなんだよ。

 そんでもって「違うの?!」っていうびっくりな表情してんじゃねぇよ。

「今日は委員会の日だよ? ニコ、忘れてたでしょ?」

 水戸瀬に優しく諭され、ニコは明後日の方向を向いて口を尖らせる。

「べ、べつに忘れてないよ……? ご飯食べたら行こうと思ってたし?」

 それで誤魔化しているつもりなのだろうか。小学生低学年並みなんだが……。

 まだ、中学3年生の妹の方がマシに思えてくるレベルだ。

 ただ、仏の水戸瀬はイライラせずに言った。

「そっか。なら、それ食べたら来てくれるんだね?」

 同意を求めて放った一言だったが、ここでニコはとんでもないことを言い放つ。

「ニコ、カレー食べたい」

 はい? 君は何を言ってんだ?

「りっくんの奢りでカレー食べたいなー! りっくん!」

「だからりっくんって言うんじゃねぇよ‼︎」

 思わず飛びかかろうとする俺を水戸瀬は制止する。

「ちょ、ちょっと、芹沢くん‼︎ あと、怒るところはそこで合ってるかな?!」

 水戸瀬の冷静なツッコミもあり、正気を取り戻した俺は、心を落ち着かせるために胸に手を当てて深呼吸する。

 とりあえずりっくんの件はスルーしよう。

「何で俺がお前のカレーを奢らないといけないんだよ」

「ニコ、もうお金持ってないの」

 そう言って、これみよがしに小銭入れの中身を見せてくる小田切。

 ひーふーみー。確かに数えたところ、ざっと140円しか入っていない。

 この食堂のカレーは300円するから、160円足りていない計算だ。

 てか、問題はそこに無いような気がして俺は問う。

「そもそも、別にこのタイミングでカレー食べる必要はないだろ。今の今、うどん食べてたじゃねぇか」

「não! カレーがニコを待ってる! ニコもカレーを待ってる! つまり相思相愛!」

 つまりどういうことなんだよ……と思いながら、俺は水戸瀬に助けを求めた。

 水戸瀬は俺に耳打ちする。

「きっとカレー食べないと動かないと思うよ、ニコちゃんは」

「じゃあ、俺に奢れっていうのか?」

「私も半分出すから。それならいいよね?」

「……なんでそこまで」

「考えてもみてよ。人が減れば、それだけ1人当たりにかかる作業負担が増えるっていうことなんだよ? 芹沢くんはそれでもいいの?」

 納得できない部分はあるが、数十円で作業が多少なりとも楽になるのであれば、それに越したことはない。心の底から納得は出来ないが、ここは水戸瀬の提案に乗ることにした。

「……分かった。じゃあ足りない160円は俺たちが払うから、カレー食ったら教室に来いよ」

「Obrigado‼︎  愛してるよ、りっくん、すいすい‼︎」

 こうして俺の貴重なお小遣いを生贄に、小田切を召集することに成功した。

 ……成功って言えるのか、これ?



 次に俺たちが向かったのは体育館だった。

 ピロティとなっている1階から階段を登り、入り口へと到着。

 中からはダムッダムッというバスケボールが跳ねる音や、バシンッというバレーボールが地面に叩きつけられる音が響く。

 見たところ、今は男子バスケ部と女子バレー部が練習しているようだった。

 俺たちはその中で、コート手前、試合さながらの行なっているバレー部の面々に目を向ける。

望奈みな‼︎」

「はい‼︎」

 1人だけ違うユニフォームを着ているので、おそらくリベロなのだろう。

 強烈なサーブに対し、望奈と呼ばれる選手は重心を前にし、肘をしっかり伸ばす。

 膝のクッションを使いながら手首の近くで受けたボールはしっかりと勢いを吸収されており、ほぼ真上に高々と上がる。

「レフト‼︎」

 鬼気迫るような声掛け。その声の主は同じ監査委員会であり、2年生にしてチームのエース――知花華恋だ。

 知花が長い足をバネのようにして飛び上がると、セッターは知花の最高到達点にボールを供給。身体全体をしならせ、知花が腕を振り抜く。

 強力なスパイクは相手の守備陣の間を切り裂き、体育館の壁にぶち当たった。

「ナイスー! 華恋ー!」

 仲間達とハイタッチを交わす知花。その汗すらも輝いて見えた。

 俺の隣で見ていた水戸瀬も、感嘆の声を上げる。

「すごいね、知花さん。あんなに高くまで飛んで……かっこいいなあ……」

 異性だけではなく、女子も惚れる女子。それが知花華恋という人物か。そりゃ、カースト上位にもなりますわな……。

 改めて住む世界が違うなぁと思っていると、コロコロッとバレーボールが転がってきた。どうやら、さっきの知花のスパイクが跳ね返ってこっちに来てしまったようだ。

 水戸瀬はボールを拾い上げると、取りに来たバレー部員に渡す。

「あの、知花さんと少し話がしたいんですが……」

「華恋と?」

「はい。同じ委員会の者です」

 そこまで言うと、バレー部員はコートに向かって大きな声で叫んだ。

「華恋ー‼︎ なんか華恋と話がしたいっていう人達が来てるよー‼︎」

 バレー部の視線が一気にこちらに集まる。

 知花は俺たちを視認すると、顔色ひとつ変えずに、コートの外に出た。



 体育館の入り口で、顔周りの汗をタオルで拭きながら、知花が俺たちに言った。

「呼びに来たんでしょ、2人して」

 その言い草からして、こいつはあいつとは違ってちゃんと覚えてた上で来なかったというわけか。それはそれで説得が面倒くさそうだなぁと思っていると、知花が先を続けた。

「言っておくけど、ちゃんと部活優先していいっていう許可は取ってあるから。顧問の竹之内先生に」

「え、そうなの? けど、雨霧先生は何も言ってなかったよ?」

「あの人、基本的に適当じゃん? 竹之内先生に言われたの忘れてるんじゃないの」

 うーん、それに関して言えば大いにあり得る……。

 とりあえず、無断でサボったわけではないようで安心した。

 信じてたぞ、知花! 俺はお前がそんなことをするような人間ではないことを(棒読み)。

 水戸瀬もほっと肩を撫で下ろす。

「分かった。帰ったら雨霧先生に確認してみるね。……それにしても、すごい迫力だね。バレー部っていつもこんな感じなの?」

 今も声を張り上げながら、選手は止まることなく、練習に励んでいる。

 知花は、一度コートに目を向けてから言った。

「うちのバレー部は県内でも指折りだからね。今は大会近いから余計に気合い入ってるかもだけど」

 知花の言う通り、確かに女子バレー部はいつも表彰されているイメージがある。

 特に今の3年生は黄金世代と言われており、今年はインターハイ出場も夢ではないとかいないとか。

 学校としても密かに期待しているだけに、チームの核である知花をこのタイミングで抜けさせるわけにはいかないという判断に至ったのだろう。

 だが、忘れないで欲しい。それによって負担を強いられる人間がいると言うことを。主に俺とか俺とか俺とか。

 しかし、人知れず心の中で嘆いている俺の隣で、水戸瀬は全く違う感情を抱いているようだった。

「大会頑張ってね! 私も応援してるから!」

 純真無垢なスマイルを向けられ、知花が目を丸くする。

「……あ、ありがとう。水戸瀬さんってあれだね、実は超いい人だったりする?」

「え、何で?」

「だって、私がいないことで少なくともみんなには負担かけるわけじゃん? 普通は隣のその人みたいに嫌な顔の一つでもするもんだと思うけど」

 あ、どうやら顔に出てしまっていたようです。正直者の自分が憎いぜ!

 たじろぐ俺を見て水戸瀬はくすっと笑うが、すぐに知花に向き直った。

「確かに負担は増えるけど気にしないで。私たちはもう一つのチームなんだから、互いにカバーしながらやっていけたらいいなって思ってるよ。ほら、バレーと一緒でさ」

 下手くそなスパイクの仕草を見せる水戸瀬。

 それが妙にツボに入ったのか、知花はお腹を抱えて笑い出す。

「あ〜、なんで笑うの!」

「ごめんごめん。あまりにも様になってなさすぎて!」

「酷いなぁもう!」

「は〜、おもしろ。今日一笑ったわ」

 知花は目尻に溜まった涙を拭う。

 何だかんだ、こいつら2人の間にも関係が芽生えようとしているようだ。

 そんなやりとりの最中、下の階段から人が上がってくる音を聞きつけ、俺は振り返った。

 姿を見せたのは、ジャージを着た中肉中背の髭面のおじさん。普段の学校生活では目にしたことがないので、おそらく教師ではないのだろう。だとすると考えられるのは――

「知花、なにこんなところで油売ってるんだ。さっさとコートに戻れ‼︎」

「は、はい、コーチ‼︎ すぐに戻ります‼︎」

 知花は水戸瀬に「ごめんまた今度」と言い残してから、さっとコートへ戻って行く。

 そしてコーチもまた威厳を放ちながら体育館入りするわけだが、俺たちを横切っていく瞬間、鋭い目つきでギロっとこっちを睨んでいるように見えたのは俺の勘違いだろうか……。

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