それ監査委員会が調査します‼︎

おもち。

第1話 ようこそ監査委員会へ

 放課後の廊下は好きだ。


 日中の喧騒とは打って変わって、静寂に包まれた中に自分の足音だけが響く。

 とくにここ、富山県立福陵ふくりょう高校の特別棟4階は、学生はおろか教師さえもめったに訪れる機会のない場所だ。

 人とすれ違うこともまずないため、つい態度も大きくなり、人知れずズボンのポケットに手を突っ込みながらヤンキー並みにガニ股歩きなんかもしたりしてみる。

 まぁそんなことはどうでもよくて、話を戻すと、俺は今、担任に呼ばれてとある教室へ向かっている。

 展開的には何かしらの説教があるのではないかと勘繰らなくもないが、あいにくと身に覚えがない。あるとすれば生活態度が不真面目ということくらいだろうが、それならわざわざこんな辺鄙なところまで呼ばなくてもいい気がするし、全くもって謎である。

 そうこうしているうちに目的地となる教室まで辿り着いたので、俺は思考を止めて、教室の扉に手をかけた――




 扉を開けると、新鮮な空気が風と共に頬を撫でた。埃っぽい空間を想像していただけに、これには少々予想外である。

 だが、予想外なことは他にもあった。それは、この教室に呼ばれたのが俺だけではなかったということだ。

 口の字に配置された長テーブル。そこには二人の少女が座っており、俺が教室に入るや否や、一人の少女が俺に話しかけてきた。

「こんにちは。えーっと、確か芹沢せりざわくんだよね? 君も担任に呼ばれてここに?」

 名前を呼ばれてまず思ったことは「失礼ですけどどなたですか?」という感情だった。

 だが、同じ色の内履きを履いているところを見るに、同級生なことは間違いない。であれば、一般的に同級生に素性を問う行為は非常識であることくらい俺にも分かる。ここは知っているていで敢えて名前には触れない方が無難だな。

「あ、うん。そんなところ……」

 上手く誤魔化せたと思ったのだが、話し相手である同級生は何かを感じ取ったのか、長いグレージュの髪を触りながら申し訳なさそうに笑った。

「あはは。ごめんね、困らせちゃって。私は2年C組の水戸瀬みとせすい。よろしくね」

「どうも。俺は芹沢せりざわりつ。よろしく……」

 何をよろしくするつもりなんだと思いながら、続いて俺はもう一人の少女に目を向けた。どちらかと言うと、こちらの方がクセが強そうなので俺は覚悟する。

「Bonjia! 私は1年E組の小田切おだぎり・ニコレ・愛菜あいな! ニコって呼んでね!」

 そう言いながら、なぜ君は今おにぎりを食べているんだ……。

 Bonjiaとは、ポルトガル語でこんにちはっていう意味だったっけか。顔立ちも純日本人というには彫りが深いので、ハーフ或いはクォーターなのだろう。とりあえず、この得体の知れない金髪ポニーテール少女との会話を進める。

「お、おう。よろしく……。君はあれか、どこかの国とのハーフだったりするのか?」

「sim! ニコ、ブラジル人のパパと日本人のママから生まれた! りっくんは生粋の日本人なの!?」

 この何の変哲もないぬぼーっとした顔を見て、外国の血が混じっているとでも本気で思っているのか……。こちとら、射水いみず市出身の父と高岡たかおか市出身の母からなるコテコテの富山人だっつうの。

 てか、まさかとは思うが、りっくんって俺のことだよな……。

「そうだが、君はまず敬語を身に付けた方がいい。1年っていうことは後輩だろ」

「ニコ、細かい日本語の表現わかんない!」

「いや、それは甘えだろ。日本に住んでいる以上、年上には最低限の敬意をだな……大体、いつから日本に住んでんだよ?」

「去年から!」

「え、去年? ……そうなると、逆に日本語お上手ですね……」

「えへへ。それほどでも」

 こいつ相手には主導権を握ることは難しそうだ。ぶっちゃけ話すのも疲れるので、この辺で深掘りすることは止めにする。

 俺が深いため息をつきながら席に着くと、またしてもガラガラと扉が開いた。

 現れたのは、オレンジがかった茶髪のショートヘアが印象的なすらっとした少女である。

「なんだ、他にも人いたんだ」

 ぼそっと呟き、席に着くこの少女のことは、さすがの俺でも知っていた。

 2年A組の知花ちばな華恋かれん

 2年ながら強豪バレー部の主力を張るスポーツマンだ。加えて、スクールカースト上位に君臨する陽キャでもある。

 当然ながら俺とは接点などあるわけもないのだが、どうやら水戸瀬との間にもそれらしいものはないようで、気まずい雰囲気が流れる。

「……知花さんだよね? 私は水戸瀬翠。よろしく」

「知ってるけど? 同じ学年じゃん」

 やっぱり同じ学年なら同級生の名前くらい知ってるもんなんですね。どうか無知な自分を許してくださいませ……。

 心の中で自責の念に苛まれていると、知花の視線がふと俺に映った。

「で、あんた誰だっけ?」

 前言撤回。同級生でも、知らない奴のことは知らない。だから、同級生の名前を知らなくても気にする必要ないぞ、お前たち!

 俺はコホンと咳払いをしてから堅苦しく言った。

「初めまして。俺は2年E組の芹沢です」

「あ、E組だったんだ。私の友達がE組にいるからよく行くんだけど、全然記憶にないなぁ……」

 教室にいるとぼっち過ぎて心が痛むから意図的に教室から離れているとはとても言えない。仮に教室にいたとしても、認知されていた気もしないが、むしろこのタイプには話しかけられても困るまであるので、結局は知られていないことが最適解なのだと思う。

「ところで、私たちがここに呼ばれた理由知ってる人いる?」

 知花からの問いに、水戸瀬も小田切も首を横に振る。もちろん、俺も。皆一様に、先生からここに来るよう指示があっただけだ。

 謎が深まる中、約束の時間を迎え、再び教室のドアが開く。

「お、集まってるようだな」

 長い黒髪を靡かせながら現れたのは、我々2年生の数学を担当している雨霧あまきり先生だった。

「芹沢、これ1人1本な。みんなに配ってくれ」

 そう言って差し入れらしき飲み物の缶を4つ受け取る。どうでもいいけど、あんたここ来る前に一本吸ってきただろ……。

 雨霧先生がベビースモーカーであることは学校中の周知の事実。女性であれば臭いが気になりそうなものだが、雨霧先生は常にタバコのオーラを身体に纏うスーパーニコチン星人だ。

 ちらっと周りの様子を窺うと、水戸瀬は気付いていないふりをしているが、知花は露骨に嫌そうな顔をしている。小田切に関して言えば……さっと残りのおにぎりを締まっていた。

 それと、俺はあることに気づいた。

 先ほど雨霧先生から渡された飲み物だが、4本とも全てブラックコーヒーだ。

 タバコのお供としては最適なんだろうが、高校生への差し入れとしては相応しくないと感じるのは俺だけではないだろう。

 その証拠に、水戸瀬にブラックコーヒーを渡すと、ゲッという表情を浮かべて雨霧先生へ言った。

「先生、私ブラックコーヒー飲めないんですけど……」

「おおそうか。すまん、誰かブラックコーヒー飲める奴、水戸瀬と変えてやってくれ!」

 だから、4本ともブラックコーヒーなんですって……!

 検討外れなことを言う雨霧先生に、さすがの水戸瀬もそれ以上は何かを言及するつもりはないようで、苦笑だけしている。

 俺が最後に小田切に配り終わるのを見てから、知花は口を開く。

「……それで、そろそろ本題に入ってもらってもいいですか? 私たちは何のためにここに集められたんですか?」

 話を引き戻す知花に、雨霧先生は「それもそうだな」とマイペースな様子で答えてから、ゆっくりと席に着いて腕を組んだ。

「君たちを呼んだのは他でもない。この度、君たち4人は生徒会会則第8章33条に則り、会計監査員に任命された。ついてはこれから1年間、生徒会の執行機関である特別委員会の一員として、生徒会活動に尽力してもらうことになる」

 理解が追いつかないのは俺だけではなく、他の3人もぽかーんと口を開けている。

 会計監査員? 執行機関? 特別委員会? 

 一体何を言ってるんだと思い、俺は胸元から生徒手帳を取り出し、入学以来初めてそれを開いた。

 先ほど雨霧先生が言った生徒会会則第8章33条にはこう記してある。


 1.会計監査員は、評議会で互選された4名により構成する。また、議長・副議長が会計監査員を兼務することを妨げない。

 2.生徒会関係職員以外の職員より1名も監査にあたる。


 なるほど……この規則に則れば、会計監査員は評議員の中から選ばれることになっているようだな。それであるならば、やはり俺は該当しないように思えた。

 話の腰を折って悪いが、俺はすっと手を上げる。

「……あの、少しよろしいですか?」

「なんだ、芹沢」

「ここに書いてある生徒会会則第8章33条には『会計監査員は、評議会で互選された4名により構成する』とあります。つまり、評議員ではない自分が選ばれるのはおかしいはずでは?」

 完全に論破した気になった俺だったが、次の瞬間、雨霧先生は顔色ひとつ変えずに言い放つ。

「何を言っている。君は評議員だろが」

「……へっ?」

 思わず素っ頓狂な声が出る。それを聞いた雨霧先生は、頭を抑えて小さくため息を吐く。

「2週間くらい前にホームルームで委員会決めがあっただろ。その時に間違いなく君は評議員に選定されているはずだ」

 言われて、記憶を遡ってみる。確かにほんのちょっと前にホームルームで委員会決めをやっていた気がするが、残念なことに俺はそのほとんどを夢の中で過ごしていたと思う。

 つまりはあの時、意識がないことをいいことに、俺はていよく評議員のポジションを押し付けられていたということか……。けどそれってさ、合法なの?

 俺が項垂れていると、知花が何かを思い出したのか顔が真っ青になる。

「そう言えば先週くらいに先生言ってたかも……大事な議案があるから評議員は放課後に集まるようにって……もしかしてその時に……」

「ご明察だ。今年度の会計監査員を決める大事な会議にも関わらず、ここにいる4人は揃いも揃って欠席していた。つまりはどういうことが起こったか、もう想像はつくよな?」

「……ようはいないやつに押し付けたってことですね」

 俺が苦虫を噛み潰したような表情で言うと、雨霧先生は小さく頷いた。

「そう言うことだ。だが、君たちに文句は言えまい。なぜなら理由はどうあれ、大事な会議に顔を出さなかったわけだからな」

 ぐうの音も出なかった。

 ここにいる全員が、この理不尽であり妥当な判断を受け入れるしかない状況だ。

「とまぁそういうわけだが、ここまでで何か質問ある奴はいるか?」

 雨霧先生からの投げかけに、水戸瀬は長くて白い手をすっと伸ばす。

「あの、会計監査員とはどのような仕事をする役職なのですか?」

 水戸瀬さん、すんごい前向き。

 こちとらまだ心の整理がついていないというのに……。

 だが、確かにその質問は気になるところであり、俺は雨霧先生の言葉に耳を傾ける。

「会計監査員の仕事は、第34条・会計監査に関する細則によってこう記されている。会計監査の任務は予算の適正な運用をはかることを目的として、次の通りとする。1、決算等の監査。2、備品の監査。3、部の活動調査。また会計監査委員は、監査結果を中央委員会および生徒総会において報告しなければならない。少し噛み砕いて説明すると、1と2については、各部活と生徒会本部の収支報告書と添付された領収書類をチェックし、記載ミスや計算ミスがないかを確認し、不適切な支出などがないかを調査するわけだ。3については、各部活動が定められた事項に沿ってきちんと活動されているのかを調査し、また追加予算案が提出された際には資金使途の妥当性を探ったりなんかもする」

 おいおい、なんか聞くだけでも大変そうなんですけど……?

 しかも、かなり責任重大な仕事だし、俺なんかに務まるとは到底思えない。

 そんな旨の内容を先生にぶつけようと思った矢先、俺より先に声を上げる人物がいた。

 小田切である。

「先生! ニコ、数字見ると頭痛くなるし、やりたくないです!」

 清々しいほどに正直な奴だ。だが、これに乗らない手はない。

「雨霧先生。ぶっちゃけ自分も分不相応だと感じています。他の方にやってもらった方が望ましいかと……」

 情けないとは思わない。面倒くさいことから逃れられるのであれば本望!

 そんな俺の思惑はさておき、雨霧先生は滔々と告げる。

「心配するな。色々小難しいことを言ったが、君たちがチェックしたものは年度末に私も再チェックするし、そこまで気負わなくても大丈夫だ。それに、今のうちから会計業務に触れておけば、将来色んな場面で役立つぞ」

 そう言ってやる気にさせようという魂胆は見え見えだ。俺は疑念の念を抱いて言った。

「どうしてそう言い切れるんですか?」

「ふむ……例えば君たちが大人になった時、必ずといっていいほど企業や組織に属することになるだろう。そうした時に、何をするにしても必要になってくるのがお金だ。利益は出ているのか、資金はどれくらいあるのか、経費や債務は支払うことができるのか。こういった経営状況の的確な把握ができなければ、企業なり組織は崩壊してしまう。それを防ぐためにも会計部門が資金の流れや経済活動を記録、分析し、経営陣やステークホルダーに情報提供しなければならない。会計業務とは、企業や組織にとって不可欠な役割を果たすものであり、いつの時代も求められるスキルの一つとなっているわけだ」

「……要は就活の時とかに有利ってことですか?」

「まぁ、君たちに分かりやすく伝えるのであればそういうことだな。どうだ、少しはやる気になったか?」

 別に社会から引くてあまたの存在になりたいとは思わない。まだやってもないが、自分に向いているとも到底思えない。

 しかし、断れる選択肢がない以上、あまり駄々をこねて内申点を下げるのは得策ではないだろう。ここは本当の感情を押し殺して、無難に反応しておくことに徹することにする。

「……まぁ、そうっすね」

 雨霧先生は満足そうに笑って、視線を全体に広げる。

「さて、私から伝えることは以上となるわけだが、最後に君たちには一つ決めて欲しいことがある」

 水戸瀬が小首を傾げる。

「何ですか?」

「この委員会の委員長と副委員長を決めてくれ。決め方は立候補でもいいし、多数決でも構わない」

 その瞬間、水戸瀬以外の3人がさっと下を向いた。明確に立候補はしないと、行動で告げている。

 それを見た水戸瀬は困ったように頬をかく。

「……えーっと、じゃあ私やろうかな」

「おっ、立候補か。やるな、水戸瀬! お前ら、水戸瀬に拍手を!」

 言われ、勇者である水戸瀬にパチパチと拍手が送られる。

 さて、問題はこの後である。

「次に副委員長だが、残りの3人の中でやってもいいという者はいるか?」

 再び静まり返る教室。3人とも、腕が石になったかのようにピクリとも動かない。

 埒が明かないと判断した雨霧先生は言う。

「いないようなので、多数決で決めたいと思う。今から順番に名前を呼んでいくので、副委員長に相応しいと思う人物に一度だけ手を上げるように」

 そう言って雨霧先生はまず、小田切の名前を呼んだ。結果は俺が言うのもなんだが、当然ゼロ票である。さすがにこいつはないもん……。

 さて、問題は次だ。一騎打ちとなった今、俺と知花は互いに相手に一票ずつ入れるとして、水戸瀬と小田切はどちらに入れるのだろうか。そう思い、水戸瀬の方を見ると、ふと彼女と目が合ってしまう。

 え、まさか、お前、俺に入れるわけじゃないよね……?

「じゃあ、次に知花が良いと思う者」

 俺は勢いよく手を上げる。だが、俺の後に続く者はおらず、心臓がどっくんどっくん跳ねる。

 お前ら、正気か……?

「最後に芹沢が良いと思う者」

 真っ先に知花が手を上げ、そのあとでゆっくりと水戸瀬が手を上げる。そしてそれを見た小田切がダメ押しの三票目を投じ、見事俺に過半数以上の票が集まってしまった。

「決まりだな。副委員長は芹沢に決定! みんな大きな拍手を!」

 かつてこれ以上嬉しくない拍手はない。しかも知花と小田切は清々しい顔をしており、それが余計に癪に触る。

 雨霧先生は手元の書類を片付けてから席を立つ。

「では、これで今日は終わりとする。あ、言い忘れていたが、今日から1年間、ここが君たちの活動する委員会室となる。次回は来週木曜日。時間は今日と同じだから遅れないように。以上、解散!」

 雨霧先生が教室を去った後、俺はこれから始まる憂鬱な日々に、大きなため息を吐くことしかできなかった。

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