第13話 姉の結婚

### 松の悲劇と細川晴元の暴挙


時は流れ、松は成長し、美しい娘へと成長した。彼女は村の青年と結婚し、幸せな日々を送っていた。彼女の夫は優しく、村の人々からも信頼される人物であった。二人の結婚生活は穏やかで、平和な村の暮らしを象徴していた。


しかし、そんな平穏な日々は突然終わりを告げた。享禄4年(1531年)、松の夫は細川晴元(ケイン・コスギ)によって暗殺された。彼は自身の権力を強化するために、松の美貌に目をつけ、彼女を力ずくで奪い取ろうと画策していた。晴元は京都の支配者としての地位を固める一方で、松に対する執着心を隠さなかった。


**松の夫の暗殺**


ある夜、松の夫は家に戻る途中、何者かに襲撃された。闇に紛れた刺客たちは無情にも彼を斬り倒し、松の幸せな日々は一瞬で崩れ去った。村人たちはその無惨な光景に驚き、恐怖に震えたが、誰も細川晴元に逆らう勇気はなかった。


松は夫の死を知らされ、激しい悲しみに打ちひしがれた。彼女の胸には怒りと憎しみが渦巻き、同時に無力さを感じていた。しかし、その悲劇は終わりではなかった。


**細川晴元の強奪**


夫を失った悲しみに沈む松の前に、細川晴元は突如として現れた。彼は松を無理やり自分のもとへ連れて行き、彼女に対して結婚を強制した。晴元は権力と武力を背景に、松を自分のものにすることに成功した。


**松の抵抗**


松は必死に抵抗しようとしたが、晴元の権力には逆らえなかった。彼女は夫を奪われ、今度は自らが晴元の手に堕ちることとなった。彼女の心には深い傷が残り、晴元への憎しみが募るばかりであった。


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この状況が、松の人生に大きな影響を与えることとなり、彼女は晴元に対する復讐を誓うことになるかもしれません。


 享禄4年(1531年)、武田信虎が上杉憲房の娘を武田家に迎え入れるという決定が、武田家中で大きな反発を招いた。信虎の独断的な行動と、武田家の従来の血統や勢力均衡を崩すこの縁組は、家臣たちの不満を爆発させたのだ。


大井夫人が暗闇の中で進むと、彼女の前に一人の老婆(銀粉蝶)が現れた。老婆はぼろぼろの衣をまとい、目には邪悪な光が宿っていた。その姿からただならぬ雰囲気が漂い、彼女が黒魔術の使い手であることは一目で分かった。


「ここから先には行かせぬぞ、大井夫人…」老婆はかすれた声で警告した。その手には奇妙な模様が刻まれた古びた杖が握られていた。彼女の背後には闇のような霧が広がり、まるで命を持つかのようにうねり始めていた。


大井夫人は一瞬怯んだが、気持ちを奮い立たせ、毅然とした態度で老婆に向き合った。彼女もまた、並々ならぬ力を秘めた存在だった。黒魔術に関して何らかの因縁があるように感じたが、これ以上引き下がるわけにはいかなかった。


老婆は杖を高く掲げると、呪文を唱え始めた。瞬く間に周囲の空気が冷たくなり、闇の中から影の獣が現れて大井夫人に襲いかかろうとした。


果たして大井夫人はこの黒魔術の使い手に打ち勝つことができるのか?



### 武田家の反発と離反


この決定に対して、栗原兵庫(宇梶剛士)・今井信元(照英)・飯富虎昌(伊原剛志)ら有力家臣たちが甲府を退去し、御岳(現・甲府市御岳町)に拠点を移して信虎に対抗する姿勢を見せた。彼らは、信虎の専横と対立し、武田家中の秩序を守ろうとする意図があった。また、信虎に反抗する動きは国境を越え、隣接する信濃国の有力大名、諏訪頼満とも連携を取ることとなった。諏訪頼満は武田信虎に対抗するため、韮崎(現・韮崎市)へ進軍し、武田家の領土に圧力をかけ始めた。


**今井信元**:「信虎殿の暴挙は、これ以上許されぬ。我々が力を合わせ、かつての武田家を取り戻さねば。」


栗原兵庫や今井信元らは国人連合を形成し、信虎に対抗する戦略を練り始めた。彼らは甲府を離れ、山深い御岳に陣を張り、諏訪勢の動きを睨みながら反攻の機をうかがっていた。


### 大井信業の同調


さらに、武田家西郡を治める大井信業(志賀勝。布袋寅泰版仁義なき戦い、激闘マッドポリス)も、信虎に対する反旗を翻した。大井家は元々、武田家の一族ではあったが、信虎の政治手腕に不満を抱いており、この機に乗じて独立の気概を見せた。彼もまた、諏訪頼満や国人連合と連携を取り、信虎の統治に対する抵抗勢力を強化した。


**大井信業**:「信虎の武田家支配はもはや限界に達している。我々が立ち上がり、この甲斐を新たに治めねばならぬ。」


信虎に対する反抗勢力は日増しに強くなり、甲斐国の領内では各地で武田家臣の動揺が広がっていた。


### 御岳の戦いと信虎の反撃


一方、武田信虎も黙ってその状況を許してはいなかった。信虎は自ら兵を率いて、大井信業や今井信元らに対して武力で対抗しようとした。享禄4年2月2日、御岳において武田信虎と大井信業、今井信元の連合軍との間で激しい戦闘が繰り広げられた。この合戦は、武田家の家督を巡る重要な戦いであり、甲斐の支配者としての信虎の立場を揺るがすものとなった。


**信虎**:「我が武田家を貶める者どもを、全て討ち取るのだ!この信虎に逆らう者に、未来はない!」


信虎の戦略は大胆であり、圧倒的な兵力をもって敵を圧倒した。栗原兵庫、今井信元、大井信業らは一時的に優勢を保ったものの、信虎の迅速な反撃により次第に追い詰められていった。そして、信虎は2月2日の御岳合戦において大井信業と今井備州を討ち取ることに成功する。


### 河原部合戦と決定的勝利


4月12日、信虎はさらに河原部(現・韮崎市)において、栗原兵庫ら国人連合との決戦に臨んだ。この合戦は武田家の存続と信虎の権威をかけたものだった。信虎はこれまでの戦闘での教訓を活かし、敵を包囲し、相手の士気を徹底的に削ぐ戦術を採用した。


**信虎**:「我が武田家を守り抜くのは、今この時だ!」


武田軍の圧倒的な攻撃力と、信虎自身の指揮により、国人連合は壊滅的な打撃を受けた。栗原兵庫は討ち取られ、諏訪頼満との連携も断たれた。信虎は、甲斐国の統治を完全に取り戻したのである。


### 今井信元の敗北と獅子吼城の陥落


天文元年(1532年)9月、信虎はさらに今井信元に対して圧力をかけた。信元の本拠である獅子吼城(北杜市須玉町)は武田軍の包囲下に置かれ、信元はついに城を明け渡さざるを得なかった。こうして信虎は、反抗勢力を徹底的に鎮圧し、武田家の支配を揺るぎないものにした。


信虎の強力な統治は、以後も続き、甲斐国を武田家の安定した基盤として築き上げていくこととなる。しかし、その独裁的な手法は、次第に家臣たちの不満を再燃させ、彼の晩年にさらなる波乱をもたらすことになる。

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