他の学校はどうだか知らないけど、あたしが通ってる高校は、噂話が回るのが速い。



 特に「そういう」噂話はすぐに回る。



 ソウリュウが窓から人を突き落とした――と。



 ヤバいって言葉と一緒に、そんな噂話を耳にしたのは、あたしが実際に落ちてきた男子生徒を目撃してから、三十分も経たないうちだった。



 ただ、実際にあった出来事から然程さほど時間は経ってないのに、噂話の内容は話す相手によって少しずつ違いがあった。



 既に尾ひれが付き始めてた。



 噂話特有の、自分の解釈だとか意見だとか感想が、事実に尾ひれのようにくっ付く現象。



 その尾ひれが、事実の形を変え、次の人に回っていく。



 回っていく噂話は、人を介する回数が多いほど形を変えて、原形を分からなくさせる。



 だから最初の噂話を聞いてから一時間半ほどが経った昼休みの時には、一番バカげた内容では、「ソウリュウが窓から死体を遺棄した」ってものになってた。



 ただ、噂話がどれだけ真実からかけ離れようと、あいつの名前を出す時には、誰もが「あの」と付ける。



 それで、通じる。



 むしろそれが、通じやすい。



 この学校の生徒なら、「あの」って付いたあとの名前が「ソウリュウ」であれば、誰だってすぐにあいつの顔が頭に浮かぶ。



 それくらい、あいつは有名。



 有名になるくらい他人に記憶させる理由は、もちろん記憶する人によって様々だけど、やっぱり一番多いのは、あいつの非道さにある。



 あいつは入学してきた時からヤバかった。



 入学式に鉄パイプ持参で来たあいつは、式が終わった直後、当時の三年生の中で喧嘩が強い奴らが集まってる教室に、友達とふたりで乗り込んで、そこにいる全員を片っ端から半殺しにした。



 その頃のあいつは、「野獣」には入ってたけど、八代目総長ではなかったし、チームの中での地位もそんなに高い訳でもなかったらしい。



 つまり後ろ盾がある訳じゃなかった。



 なのに、そんな無謀な行動に出た。



 正確に言えば、後ろ盾があれば無謀には思えないのに、なかった所為で無謀に思える行動に出た。



 後ろ盾がないって事は、それはもう個人的な行動でしかない。



 個人的な行動として、入学式に三年生の教室に乗り込むなんていうのは、もう常軌を逸してるとしか言いようがない。



 その無謀な、色んな意味でこの高校にいて前代未聞のあいつの行動は、入学したその日のうちに、今回の噂話同様「ヤバい」って言葉と共に、学校中に知れ渡る事になった。



 だからあいつの名前の前に付く「あの」って言葉は、入学式の翌日から使われるようにはなってた。



 ソウリュウ。



 三年生の教室に、友達とふたりで乗り込んだのに、あいつにだけ「あの」を使われるようになったのには、相応の理由がある。



 あいつは鉄パイプで三年生の頭をカチ割りながら、バカみたいに笑ってたらしい。



 それはもう心底楽しそうに高笑いしながら、手当たり次第に三年生を殴ってたらしい。



 同じ人間とは思えなかった――と、その現場を目撃した人の談がある。



 恐ろしいと言うよりも、おぞましかった――と。



 そしてその目撃者の感想は、「入学式事件」の噂話の尾ひれとして学校中に回った。



 だからこそ、「あの」が付くようになった。



 それからは、月日が経つと共に、人によって「あの」が差す意味は変わったけど、それでもやっぱり「あの」ではある。



 そんな人間、あたしはこれまで、あいつ以外に会った事がない。



 あいつは――ヤバい。



 そんな、この高校で出会った当初から十二分にヤバかったあいつの、そのヤバさ加減が最近増してる。



 とにかく機嫌の悪い日が多い。



 その所為で、あいつの周りにいるあいつの仲間は、イライラしてるあいつの機嫌を常に取る羽目になってる。



 だけどあいつのイライラは、仲間の気遣いやご機嫌取りでどうにかなる程度ではないらしく、あいつは事あるごとに学校で暴れる。



 あいつなりの、あいつにしか通用しない理由のもと、最早常識や良心がある人間には出来ないような非道な事をする。



 午前中に、窓から男子生徒を突き落としたのも、間違いなくイライラが原因だろうと思う。



 機嫌が悪いあいつの犠牲者は、ここ数日だけでも十人は超える。



 破損された器物の数はもっと多い。



 そんな風だから、学校に来てる他の生徒が迷惑してる。



 そして今正に、あたしも迷惑をこうむってる。



 昼休みは学食の前にあるジュースの自動販売機が混んでるからって理由で来た、昇降口の近くにある自動販売機が、ぶっ壊されてた。



 廊下に倒されてるだけならまだしも、お金を入れたりする側が下になって倒れてるから、どうしたって買えない。



 これが他の生徒の仕業じゃなく、あいつの仕業だと分かるのは、自動販売機が倒された挙句、あらゆる場所がボコボコにヘコんでる上に、近くにこれまたボコボコにヘコんだ消火器が転がってるから。



 多分、自動販売機を倒してから、消火器で自動販売機を殴打したんだと思われる。



 もしかしたら、消火器で殴打したあとに、自動販売機を倒したのかもしれないけど。



 そんな、それなりの常識を持ってる人間には到底理解出来ない、意味も意図も不明な事をするのは、機嫌が悪いあいつしかいない。



 無残な姿で廊下に倒れてる、八つ当たりされた自動販売機を見下ろして、やるせない溜息が出た。



「最悪……」


 次いで出てくるのは、別の場所までジュースを買いに行かなきゃいけない事へのやるせない言葉。



 勘弁して欲しい。



 機嫌が悪いのはあいつの勝手だけど、こっちにまで迷惑かけないで欲しい。



 マジで――。



「……バカじゃん」


 昇降口を出て、校門の外にある自動販売機に行こうとしてたけど、そこには飲みたかったジュースが売ってない事を思い出して、またやるせない言葉が出た。



 結局、学食まで行かなきゃならない。



 混雑してる自動販売機に並んで買わなきゃならない。



 面倒臭い。



 鬱陶うっとうしい。



 友達が屋上で待ってるから早く戻りたいのに。



 早くお弁当食べたいのに。



 いやもうマジで勘弁して欲しい。



 盛大な溜息を吐き出して、既に校門近くまで行ってた足を学食の方に向けた。



 余計な行動をさせられてる事にイライラする。



 本当なら、もう友達のところに戻ってるはずだったのにって思ってイライラする。



 イライラしたってどうしようもないって分かってるのにイライラする。



 こんな風に、あいつのイライラの所為で被害に遭って、イライラするのはあたしだけじゃない。



 この学校の生徒の大半がそうなってる。



 でもそれ以上にビクビクしてる。



 だから最近この学校の雰囲気はおかしい。



 イライラとビクビクでピリピリしてる。



 天気がいい日に外に出る生徒が多いのは、あいつの所為だ。



 あいつが校舎内にいるから、みんな逃げるように外に出る。



 たったひとりの人間が及ぼす影響にしては大きすぎる。



 マジであいつは――。



 何故か学食の方が騒々しかった。



 それが、混雑してるからって感じの騒々しさじゃなかったから、嫌な予感がして、俯かせてた顔が自然と上がった。



 直後に視界に入ったのは、こっちに向かって歩いてくる、あいつ。



 もう結構近くまで来てたあいつの表情は、どういう訳だか機嫌が良さそう。



 その考えは。



「今日もイイ女だな、シズネ」


 通り過ぎるかと思いきや目の前で足を止めたあいつの、話しかけてきたその声の感じから、間違いじゃないと分かった。



「今から学食で昼飯か?」


 否応なしに足を止めなきゃいけなくなったあたしに続けてかけられる声も、やっぱり機嫌がいい。



「ジュース買いに」


 答えるあたしは、目の前に立ってる、名前の前に「あの」と付けられて噂されるこの男の、右手にる物から目を逸らす事が出来ない。



 は――ヤバすぎる。



「ジュースだけなら、校舎内なかの自販機で買えよ」


「いや、無理だから」


「何で?」


「あんた、壊したでしょ」


「ん?」


「自販機」


「壊れてたか? 電源入ったままだったろ。買えなかったか?」


「お金入れるところを上にして倒してくれてたら買えたのかもね」


「下になってたか?」


「なってた」


「そりゃ悪かったな」


「やっぱりあんただったんだ」


「何が?」


「あの自販機壊したの」


「何だ、お前。俺がやったって確証ねえのに、壊したでしょって言ってたのかよ」


「うん。――てかさ」


「ん?」


「――あんた、誰を刺したの」


 血がべっとりと付いた、学食のステンレススチール製のフォークを持ってる右手から、逸らせなかった視線を上げると、目の前のこの男は涼しい顔して笑ってやがった。



 ああ、忘れてた――なんて、あたしの問いには答えないで、呑気な声で笑って言いながら、まるで手持ち無沙汰ぶさたを解消するようにプラプラと軽く振ってたフォークを放り投げた。



 そんな、呑気な声を出すこの男の、後ろの方が騒がしい。



 その騒がしい場所の中心が、ここからじゃ校舎に隠れて見えない学食だっていうのは、わざわざ確認しなくても分かる。



 数十メートル先にある角を曲がれば見える食堂からであろう、微かに聞こえてくる数々の声には、焦りや恐怖が満ちてる。



「相手、生きてんの?」


 ふたつ目の問いには、「あん?」って笑った声が返ってきた。



「相手。死んだの?」


「んな訳あるか」


「どこ刺したの?」


「ん?」


「どこ」


 問いに言葉での返事はなかった。



 だけど代わりに、目の前にいるこの男は、自分の左手の人差し指で、自分の唇近くの左頬を差した。



 そして。



「残念ながら死なねえよ」


 口許だけに笑みを浮かべて、ヤバい言葉を口にする。



「へえ」


 そんな言葉しか出てこなかった。



 どう言えばいいのか分からなかったし、最早この男には、何を言ったところで、あたしの言葉なんて通じない気がした。



 だからあたしが発した言葉は、「へえ」だったのに。



 そんな理由からだったのに。



「お前のその、いつもどっか冷めてる感じ、嫌いじゃねえよ」


 あたしからすると到底あたしの事とは思えない言葉を笑って口にして、目の前にいるこの男は歩き始める。



 機嫌の良さそうな足取りで、あたしとすれ違い、通り過ぎてく。



 そっちの方向には校門しかないのに――。



「――帰んの?」


 問い掛けて振り返ると、あいつはもう二メートルくらい離れてた。



 それでもあたしの声が聞こえたらしく、足を止めて、体を少し捻るようにして、はすに構えた。



「いや、出迎え」


「出迎え?」


「サクラのな」


「サクラ――って、あんたの彼女の名前だっけ?」


「おう」


「あんたの彼女、別の学校じゃなかった? 迎えに行くの? まだお昼なのに?」


「迎えじゃねえよ。だ」


「何それ、どういう――」


「下の奴らに拉致らちりに行かせたんだよ、サクラを」


「――は? 何?」


「だから、サクラの学校行ってサクラを拉致って来いって、下の奴らを動かしたっつってんだよ。で、そろそろ行った奴らがサクラ連れて戻ってくる」


「マジで言ってんの?」


「冗談聞きたかったのか?」


「仲間使って、自分の彼女をさらいに行かせたっての?」


「さっきからそう言ってんだろ」


「何の為に?」


「あん?」


「何の為に攫いに行かせたの」


「会いてえからって以外に理由あるか?」


「それだけの理由で、彼女の学校にあんたの仲間送り込んだの?」


「充分な理由だろ?」


「あんたの彼女、知ってたの? あんたの仲間が行った事」


「知らねえから拉致って言葉使ってんだよ」


「それ、マジで言ってんの?」


「冗談が聞きてえなら言ってやるから、最初からそう言えよ」


「……あんた」


「何だよ」


「分かってる?」


「何が?」


「自分がヤバいって事」


「何だ、そりゃ」


「あんたのやってる事、相当ヤバいよ」


「そうかあ?」


 おどけるように語尾を上げて笑ったあいつは、「姫を出迎えてくる」と言って軽く手を挙げると、正面に向き直り、校門に向かってまた歩き始めた。

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