第六章 あの金を渡すのはあなた

1 フォールアウト

「それは予測できなかったんですか?」


 記者たちを集めた会議室に咎めるような声が投げ入れられる。ある新聞社の記者のその声はシャッター音やざわめきと共に米田を直撃した。


「予測できていなかったわけではありませんが、犯人が凛久くんの母親に秘密裏に指示を送っていたこともあり、対応が遅れました」

「予測できていたのなら、対応できたんじゃないですか?」


 報道用の弁明の痛いところを突かれて、米田は思わず語気を強めた。


「予測できていたらミスが起こらないというわけではありません」


 横の滝本は内心で、やめてくれよ……と呟いた。捜査のミスを正当化するような言い訳は立場を悪くするだけだ。だから、滝本は割って入った。


「不測の事態だったということです。警察として職務を全うするべく行動していたのですが、現場の混乱もあり……」


 滝本のコメント中に記者席が騒然となる。みんながスマホやらパソコンやらの画面をギョッとした顔で確認している。米田たちの耳に記者たちがボソボソというのが聞こえた。


「小野寺さつきが記者会見を……」




 あの日から四日が過ぎて、事件は公開捜査に切り替わった。


 すべて失ったような気になってカラカラに干乾びていた宮野は、凛久くんを連れた犯人が行動したと予測される範囲で聞き込みに当たっていた。行動を共にする花坂とこれまで聞き込みをした場所を地図上で塗り潰していく。とはいっても、全く身が入らず、命令に沿って動くだけのでくの坊と言っても差し支えはない。


「この辺ならきっともう車で移動してますよね」


 意味あるんですか? とまでは言わなかったが、花坂の顔からはところてんみたいにその言葉が絞り出されていた。手に持った凛久くんの写真の縁は触りすぎてホロホロになっている。


「それでも確認したという事実は必要なんだよ」


 まるで昔の機械が喋っているような抑揚のなさに花坂はビビってしまった。


「え、大丈夫ですか、宮野さん?」


 宮野の目に生命の火が点る。


「逆になんで大丈夫なんだよ」

「いや、大丈夫じゃないですよ」

「大丈夫じゃないんかい」


 歩き回って暑くなったのだろう、宮野はコートの前を開けて解放されたように息を吐いた。結果的に犯罪の片棒を担ぐのは未遂に終わったが、誘拐事件のあやふやな進行や手に入れられるはずだった二千五百万円のことを思うと、やりきれなさで富士山くらいは登れそうだ。


「さつきさんは大丈夫でしょうか?」

「どうなんだろうね。子どもも金も消えて、俺だったら憤死するね」

「憤死って昔の中国の歴史とかでしか見たことないですよね」

「ギャーギャー喚いて死ぬくらい必死に生きてたんだろ」


 溢れるほどの豊かさの中で生きる現代人らしい冷めた口調で宮野は言った。


「杉村さんは憤死するかも」花坂はボソッと言った。「米田さんがバッグの中身を入れ替えたっていう説を追いかけるって言ってましたから」

「あの人も元気なもんだよ。それをやっても何も得られないだろ」

「何かやってないとやってられないって気持ちは、私は分かりますけどね」


 花坂は無感情の宮野を置いて歩き出した。しかし、すぐに立ち止まった。手にしていたスマホに目を落とした花坂は、嫌な予感で歪んだ顔を宮野に向けた。


「宮野さん、米田さんがやばいです」




 県警本部に戻った宮野たちは杉村と合流。狭い会議室に押し込められた。中では米田と滝本が椅子に腰かけて待っていた。イライラしてクマのように歩き回っているのは宇崎だ。


「お前たちのせいで面子は丸潰れだ。ツイッターを見ろ」


 ツイッターを見るなという注意を受けたことはあるが、その逆の指示に面食らった宮野たち三人だったが、それぞれ自分のスマホでアプリを開くと、目に飛び込んでくる言葉があった。


「『無能警察』『凛久くん誘拐』『言い訳刑事』……全部トレンドに乗ってる。そこのバカのせいでな」


 気色ばんだままの米田は宇崎の言葉も無視してじっと正面を見つめていた。


「なにが……」


 花坂は戸惑っていたが、宮野と杉村は早速米田の記者会見の映像を確認していた。スマホから流れる記者会見の音が、静寂な室内にドロッとしたタールをぶちまける。


 そして、画面が切り替わる。さつきが弁護士を伴って開いた記者会見の様子だった。


『警察の杜撰な捜査ならびに身代金五千万円の逸失……そしてなにより誘拐された凛久くんの安否、これらの責任を求めると共に、刑事訴訟法に基づいて県を訴える運びとなりましたので……』


 人の良さそうな海江田という名の初老の弁護士が原稿を読み上げるその隣でさつきは泣いていた。


『二年という歳月を共にしてきて、凛久がいない人生というのが考えられません。無事でいたら、誰でもいいので知らせてほしいです』


 会見は警察の落ち度について確かめるような質問が飛んだ。これと米田の経験とのダブルパンチが世間に火種を投下したのだ。


「手垢のついたような手口にまんまと踊らされて、お前たちは信用を失墜させた」


 もはやそれは警察の問題ではなかった。米田たちの問題にすり替わっていたのだ。だが、そんな指摘をする勇気など、ここにいる誰もが持ち合わせていない。


「今後の記者対応は滝本とよく話し合え」

「この期に及んでまだ私にやらせるんですか?」


 米田はタダでは転ばない。お前がやれやというのを込めてそう発した。


「途中で人間を変えればただの尻尾切りと思われる。お前が自分で自分のケツを拭け。それで世間を納得させろ」


 予想外にちょっとまともなロジックで切り込まれてしまい、米田は口を閉ざした。


「だが、お前たちは今回の捜査から外れてもらう。そして、本日付で特殊犯捜査係の特命捜査班に移ってもらう。デスクの移動は必要ない」


 宇崎は言うことだけ言ってさっさと部屋を出て行った。


「窓際ってことですか」


 宮野は死んだ顔で呟く。人員豊富な警察組織では、特殊犯捜査係に特命事件を担当するチームが設置されていることがある。特命事件というのは、過去の重要未解決事件のことだ。


「そんなチームありましたっけ……?」


 嫌な予感を胸に花坂が言うと、じっと成り行きを見守っていた滝本が口を開いた。


「臨時的に設けられた。解決すべき事件は自分で探せとのお達しだ」


 杉村が肩を落とす。


「俺がミスらなければこんなことには……」


 電車の乗り込みで逃げられるのは初歩的なミスだ。杉村はそれをずっと悔やんでいた。それよりも先に誘拐犯の片棒を担ごうとしたことを気にした方がいいはずだが。


 腕時計に目をやった滝本は重苦しい空気の中で咳払いをした。


「それで、君たちを呼んだのは、今の話を伝えるだけじゃないんだ」


 やや強張った滝本の表情に宮野たちはそこはかとない嫌な予感を覚えた。滝本はテーブルの上のノートパソコンを開いて、台ごと部屋の隅に押しやられていたモニターとケーブルで繋いだ。宮野たちは何が何だか分からず突っ立ったままだ。


「とりあえず、座って」


 滝本が言うと、三人は椅子に腰を下ろした。滝本は神妙な面持ちで口を開いた。


「悪いニュースがある」


 それだけだった。宮野は苦笑いした。


「良いニュースはないんですね」

「この状況で良いニュースと言ったら、凛久くんが無事に見つかるくらいなものだろ」

「枕詞は要らないですから、何があったのか言って下さい」


 米田は固い表情で滝本を睨みつけた。


「警察に一通のメールが届いた。差出人はデビッド・ピアース」


 四人の間に緊張が走る。


「ビデオ通話で今回の件を直接説明してほしいという要望だ。被害者家族の申し出だ。断る理由はない」

「キツいですね……」


 花坂はこれ以上ないほどに率直に感想を述べた。


「ウェブミーティングは十分後。広報課からはもう一人、英語ができる人間を同席させる。私もサポートはするが、聞かれた内容には君たちで答えてくれ。米田、くれぐれも変なことは言うなよ」


 米田は溜息で答えた。


 すぐに通訳係がやって来て、ビデオ通話の準備が整えられた。やがて時間が来て、画面の中に白人の男が現れた。デビッド・ピアースのフェイスブックのアイコンに映っているのと同じ顔だ。


『早速始めてくれ』


 男は開口一番にそう言った。ちなみに英語だ。通訳係が慌ててこの場にいる五人を紹介すると、面倒くさそうに男は返した。


『デビッド・ピアース。あんたらが守れなかった息子の父親だ』


 表情は変わらないが、言葉は強烈だ。怒らせると怖いタイプである。


「この度は我々の不手際でご迷惑をおかけしまして申し訳ありません」


 滝本がそう言ったが、通訳が介するのを聞いている途中でデビッドは顔をしかめた。


『そんなんはどうでもいい。なぜこんなことが起こったのか説明をしろ』


 米田は抑揚のない声で一部始終を説明した。その間のデビッドの顔と言ったら、開国時期の日本人に聞けば百人中百人が天狗だと答えたに違いないほどだった。


『これは日本警察の怠慢だ』

「犯人の行動が巧妙でした」

『だから諦めろと?』


 滝本はそれ以上喋ろうとする米田を制した。もはや名実ともにトラブルメーカーの様相を呈してきた。


「現在、捜査員を大量に投入して凛久くんの捜索に当たっています。必ず良い報告ができるように努めております」

『できなかったら?』

「少しでも納得していただける結果を……」

『最低も最高も結果は凛久の生存しかない。あんたらにはそれが理解できないんだろうな』

「いえ……そういうわけでは……」


 さすがの滝本も言葉に詰まってしまう。もともと負け戦だったのだ。デビッドは攻撃意思を隠そうともしない青い目をカメラに近づけた。


『本来、お前たち日本警察は組織的にハーグ条約を軽視し、拉致国家に手を貸す犬だ。今回の件はこちらからも発信させてもらう』

「いや、それは……」


 デビッドは滝本の返答を待たずに通話を切ってしまった。情けない声を「あぁ~」と漏らして頭を抱える滝本だったが、ここにいる誰にもデビッドを止めることなどできなかった。宮野はハッとしてスマホでデビッドのフェイスブックを開いた。


「まずいです……」


 宮野が掲げるスマホの画面には彼の新しい投稿記事が表示されていた。通訳係がひどい顔をしていた。


「日本は拉致国家……」


 投稿にはデビッドとさつきが二人の間に凛久くんを挟んで撮影した写真が添付されていた。すでにビデオ通話を始める前には投稿されていて、拡散が始まっていた。滝本が素早く立ち上がった。


「早速対応の協議に入る。お前たち、本当に今は余計なことをするなよ」


 そう言って通訳係と共に会議室を出て行く滝本を見送った四人は所在なげに腰を下ろしたままだった。


「なにしてんですか、米田さん……」


 まず声を発したのは杉村だった。ずっとそう切り出すのを待っていたかのようだった。


「記者の前であんなこと言ったら槍玉に挙げられるだけですよ……!」

「あいつらうるさいんだよ」


 悔しそうな顔で呟く米田に宮野は呆れて笑ってしまった。


「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ……」

「米田さん」杉村は立ち上がっていた。「他に何か言うことないですか?」


 攻め立てるような語気。米田はそんな彼を一瞥して立ち上がった。


「私たちは捜査から外された。それ以上でもそれ以下でもない」

「米田さん!」


 部屋から出て行こうとする米田に追いすがるような杉村の声。しかし、米田は飄々としていた。


「これから資料整理だぞ」


 米田は出て行った。追撃をかわされた杉村は何か言いたそうだったが、ど真ん中のボールを思い切り空振りしたのを見られたような恥ずかしさがあったのか、黙って部屋を出て行った。

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