インターミッション 5
インターミッション 5
「ドス・サントスさんだが、日本に滞在した過去があった」
デイルが書類をタッカーのデスクに置いた。
「住んでたのか」
「といっても、学生時代のことだ。三十年ほど前、日本に留学していた」
タッカーが噛み殺す溜息は生温かい。
「当時の被害者は、生まれてたとしてもまだほんの子どもだろうな。接点になり得ない」
「家族とかその辺りの関係性があった可能性も」
「これはいよいよ日本警察に協力を依頼する必要が出てきたな」
「それと、彼が越してきた前のあの家の住人について」
もうワンセットの書類がタッカーの前に現れる。
「デビッド・ピアース……」
「もしかしたら、ヒナ・クリバヤシとの接点になるかも」
「可能性はある。……今はイーストロサンゼルスに移ったのか」
「俺だったらそんな引越ししないけどな」
ハリウッド・デルとイーストロサンゼルスでは治安レベルが異なる。その地域の治安を推し量るためには、建ち並ぶ家々を見てみるといい。窓に鉄格子が嵌っていれば、それなりのセキュリティが必要だということだ。ハリウッド・デルには、よほどのセキュリティ意識がなければ鉄格子を嵌めた窓などない。
「この男に話を聞きに行くか」
タッカーがそう言うと、デイルの眉が怪訝に歪む。
「今回の事件に関係があると?」
「ヒナ・クリバヤシは地図と家の外観だけを頼りにタクシーを走らせた。なぜ住所と名前が分からなかった?」
「……見当もつかない」
「何らかの理由で家の外観と大まかな場所だけは知っていたんだろう。だが、リアルタイムの情報を彼女は持っていなかった。だとすれば、数か月前に住人が変わったことも知らないままだったかもしれない」
デイルはなんとかその言葉を噛み砕いて無理矢理飲み込もうとしていた。
「まあ……ないとは言い切れないけど。じゃあなにか、ヒナ・クリバヤシはデビッド・ピアースを狙おうとしていた可能性があるってことか?」
タッカーは立ち上がった。
「その可能性が検討に値するかどうか確かめに行くのさ」
デイルは今度こそ納得したようにうなずいた。
「それが刑事の仕事だな」
ハリウッド署から車を走らせること三十分、目的地のイーストロサンゼルス、ベルベディア・ガーデンズは近隣に高校のある住宅街だ。その一角にデビッド・ピアースの転居先の家はあった。クリーム色の外壁のごく普通の民家だ。窓には白い鉄格子が嵌っている。膝上程度の低いフェンスで囲まれた敷地に足を踏み入れるタッカーたちは、そろそろこの事件の落としどころを見つけるべきタイミングに差し掛かっていた。
「車も型落ちだ」
敷地内の狭いガレージに嵌め込むように停められている車を一瞥してデイルは言った。その一瞬でも記憶の中にナンバーを控えることができる。デイルの言外には、ハリウッド・デルからの転進への違和感が滲んでいた。
「この情勢だ。予期せぬことも人生には起こるものさ」
「コロナウィルスがもたらしたのは、達観か」
愛想なく笑い飛ばすデイルを横目にタッカーは玄関のチャイムを鳴らした。しばらくして、住人が不機嫌そうに玄関口に顔を出した。アジア系の女だった。強面をマスクで覆った居並ぶ二人の男を順番に眺めて警戒心たっぷりにクエスチョンを飛ばした。
「なんですか?」
タッカーはバッジを掲げる。
「ハリウッド署のタッカーです。こっちはデイル」
デイルが会釈する。
「ハリウッド? 何の用ですか?」
「失礼ですが、こちらにデビッド・ピアースさんはいますか?」
女の顔がますます険しくなる。
「何かありましたか?」
「五日前、ハリウッド・デルの民家に不法侵入した女性が住人に撃ち殺されました。デビッド・ピアースさんが数か月前まで住んでいた家です」
「まさか、そんな……」
「あなたは?」
「彼のパートナー」
「彼は今どこに?」
「仕事です」
家の奥から子どもの声がする。
「お子さんは一人?」
女は家の中を振り返ってうなずいた。
「ええ」
「あなたの名前は?」
「エミリー」
「エミリーさん、デビッドさんが誰かから恨みを買っていたということは聞いてませんか?」
不安そうだったエミリーの顔がまた険しくなる。
「どういう意味ですか?」
「不法侵入した女性はハリウッド・デルの家の住人に用があったらしいんです。だが、今の住人と彼女との間に接点があるかどうか疑わしい。そこで、数か月前まであの家に住んでいたデビッドさんが何か知っていると考えてるわけです」
「そう言われても……誰かに恨まれてるなんて聞いたことないです」
デイルは横からドス・サントスの顔写真を手に口を挟んだ。
「この人に見覚えは?」
「さあ……」
芳しくない反応だ。タッカーは気を取り直して質問を続ける。
「なぜハリウッド・デルからここへ移ってきたんですか?」
エミリーは悲しげに眉尻を下げる。
「彼の仕事がコロナ禍でなくなってしまって……とてもあそこには住んでいられる状況ではなくなったんです」
「彼の仕事は?」
「今はエンジニアを」
「以前からエンジニアを? つまり、引っ越しをする前のことですが」
「はい。コヨーテというIT企業で」
「その会社の方とコンタクトは取れますか?」
「どうでしょう……。その会社も今はもうありませんから」
タッカーは難しい表情でこめかみを掻いた。
「デビッドさんは夜には戻りますか?」
「いえ。今日は夜間の仕事なんです」
「明日の午前中はいますか?」
「いると思います」
「分かりました。また明日伺います」
タッカーとデイルはデビッド・ピアースの家を出て車に戻った。
「思ったより掴みどころのない事件だな」
デイルがそう言う。
「何が起こってるか分かってるだけマシさ」
アメリカでは年間八十万人の子どもが行方不明になっている。しかも、この数字は報告されているものに限る。あと五十万人の報告されていない消えた子供たちがいると推定されている。アメリカで捜査員を務める者たちの胸には重くのしかかる現実なのだ。
デイルのスマホが鳴る。彼は電話で短い言葉を交わして通話を終えるとタッカーに告げた。
「日本総領事館から。被害者についての情報共有をしたいらしい」
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