2 幻を追う
『ここから公園が丸見えだぞ、どうぞ』無線から届く米田の声が車内に充満する。『公園の南西にあるシティパークビルの八階会議室だ、どうぞ』
花坂がスマホに表示した地図を眺めている。五本松中央公園の周囲は交通量のある車道が走っていて、車道を挟んだ外側にビル群がある。公園は車道で長方形に切り取られた都会のオアシスのようだ。
「噴水広場の目と鼻の先ですね」
『今のところ異常はない、どうぞ。そっちはどうだ? どうぞ』
杉村は後輩たちと密かに目線を交わした。
「ええ、問題ありません」
問題大ありだが、さつきが同乗していることもあり、そんなことはおくびにも出さない。バンの運転席には宮野、助手席に杉村、その後ろに花坂とさつきがボストンバッグを間に置いて座っている。幸いというべきなのか不明だが、一行はバッグの口を開けることなくここまで来てしまった。凛久くんの荷物を入れたバッグを膝の上に置いたさつきは、それを抱きしめるようにしていた。目的地との距離が縮まるにつれ、緊張の度合いも高まっていく。
『ここからなら噴水広場の銅像もよく見えるぞ、どうぞう』
「それ言いたいだけでしょ」
噴水広場というからにはど真ん中に噴水があって、その噴水には銅像が鎮座する。海外の有名な芸術家の手によるものらしい。宮野は車のデジタル時計に目をやった。
「あと五分ほどで到着します」
『よし。さっき伝えた場所に車を停めたらまた連絡してくれ』
少しの沈黙が流れた。
「どうぞって言わないんすね」
ボソッと宮野が言った。
『どうぞ! どうぞ』
米田からの無線通信が終わりを告げた。顔を見合わせる前席の二人に言葉のないやり取りがあった。
──あれでコソコソやれますか?
──……さあ。
宮野の運転する車はシティパークビル裏手の駐車場に滑り込んだ。約束の時間まで十五分。エンジンを切った車内には張り詰めた静寂が訪れた。
「いいですか、さつきさん」杉村がゆっくりと言い聞かせる。「まずは、結果を得ようとして焦らないことです。我々がサポートしていますから安心して下さい」
「分かりました」
「無線は繋がってますか?」
さつきは服の中に仕込んだ無線機に目をやった。
「繋がってます」
「特別な理由がない限りは繋げたままにして下さい。それから、さきほども言いましたが、声を発せない場合はマイクを四回叩いて下さい。それから先は、イエスなら一回、ノーなら二回、分からないとか答えられない場合は三回叩いて応答するようにして下さい」
「はい。……四回、一回……。大丈夫です」
記憶に叩きこむようにさつきは何度もうなずいた。その身体は震えていた。寒さのせいではない。花坂が努めて笑顔で口を開く。
「普段通りは難しいかもしれませんが、何か特別なことをしようと考えずにいれば、少しは気が楽になりますからね」
「分かりました」
『さつきさん、どうぞ』無線機の向こうから米田が話しかけてきた。『もし誰かにバッグをひったくられたとしても追いかけないで下さい、どうぞ。周囲の刑事たちが動きますので、どうぞ』
「そういうことになった場合は集合場所に向かってしまって大丈夫でしょうか?」
『どうぞどうぞ、どうぞ』
さつきを含む実動チームには、米田が指揮を行う前線基地が緊急集合場所として指定されていた。
宮野たちはバンから降りて輪を作った。
「凛久くんのために最善を尽くしましょう」
杉村がそう言って一同はうなずいた。これまでの流れを見てきた読者諸君にとっては白々しいと感じられるかもしれない。実際、どの面下げて言っているのかは推し量りかねる。宮野がやや緊張の面持ちでバンの中から身代金もどき入りのバッグを運び出す。そして、さつきへと手渡される。
「お願いします」
その宮野の言葉は色々な意味が煮込まれたこだわりのスープみたいにこってりしていた。さつきはバッグを受け取ると深呼吸を一つして、
「いってきます」
と言って、公園の方へ歩き出した。
「さつきさん、出ました」
杉村が無線に報告を投げる。宮野は車をロックして、杉村たちに無線機を指さして尋ねた。
「今、繋がってます?」
二人がうなずくと、宮野は指でバッテンを作った。二人が大人しく無線を切ると、宮野は早口で話し出した。
「ずっと考えてたんですが、さつきさんの部屋から金を外に持ち出す方法が分かったかもしれません」
「なんだと?」
「少しの時間でバッグの中身をすり替えるのは不可能です。でも、同じバッグを用意して丸ごと入れ替えるのなら、短い時間でもできます」
「でも、部屋の中から何も見つからなかったんですよ」
花坂の訴えかけるような顔に宮野は鋭く返した。
「バッグをバルコニーから外に投げ落とせば、部屋の外に持ち出したことになる」
驚きの表情が返事代わりだった。
「あとは、外に出てどこかへ運び去るだけ。これなら、部屋のどこかに金を隠す必要もない。いくら探しても出てこなかったわけだ」
「そんな……」
杉村は宮野の仮説を吟味するように眉間に皺を作っていた。
「バッグの中身は五キロもある。さつきさんの部屋のある四階の高さからそんなものを落とせば、かなりの音がするだろ。周囲にいる刑事に気づかれる可能性もある」
「すぐに取りに行ったか……あるいは……」
その言葉の先を読んだ杉村が目を丸くした。
「まさか、他の刑事の中に仲間がいるとか言うんじゃねーだろうな」
「飛躍しすぎですか?」
そうだ、と断言するだけの材料を杉村は持ち合わせていなかった。一方の花坂は冷静だった。
「もしそうだとすると、部屋の中にダミーの札束を入れたバッグを持ち込まないといけないですよね。そんな人いなかったと思いますけど」
何かを言い返そうとした宮野だったが、不発弾だったらしく、諦めて力なく認めることになった。
『杉村、宮野、花坂、状況どうなってる? どうぞ?』
米田の声がする。三人は慌てて無線機を繋いだ。
「今、持ち場に向かってます!」
三人の刑事たちはそれぞれに歩き出した。誘拐犯が指定した時間までは十分ほどある。
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