インターミッション 4
インターミッション 4
「何見てるんだ?」
デイルがタッカーのパソコンの画面を覗き込む。中で展開されていたのは、ドス・サントスの家の防犯カメラ映像だった。事情聴取の後、彼に映像の提供を要請。それに応じる形でもたらされたものだ。顎に手をやり、唸り声を漏らしながら繰り返し映像を観続けるタッカーにデイルは肩をすくめた。
「スパイダーマンより面白い?」
「映画館にぶち込まれて二時間これを観させられたら、何人が拷問だって裁判を起こすだろうな」
「そんなもの観るより散歩に行かないか?」
デイルがタッカーの眼前に書類を差し出した。
「これは?」
「ヒナ・クリバヤシが使ってたホテル。入国が事件前日の夜。で、ここに泊まった」
「≪ラ・エレガンツァ≫……三ツ星ホテルじゃないか」
「連絡をしたところ、チェックアウト時間になっても音沙汰がなく、部屋に荷物が置いたままになっていたらしい。ホテルの方で保管して、彼女にコンタクトを取ろうとしたが電話も通じなかったんで、ほとほと困ってたんだそうだ」
「アポは?」
「これから行くところ」
「よし、行くぞ」
タッカーは勢いよく立ち上がってジャケットを肩に担いだ。
≪ラ・エレガンツァ≫はロサンゼルス国際空港の近くにある。デイルが運転する車の助手席で、物思いに耽っていた。
「娘がな、ロースクールに行きたいと言うんだ。弁護士を目指すんだと」
苦み走ったタッカーの表情に、デイルは同情を禁じ得ない。弁護士が悪いわけではない。だが、職務上、対立する立場になりやすいのは確かだった。
「刑事の娘が弁護士になるって、刑事ドラマじゃありふれた設定だよな」
デイルは軽口を叩いてみたが、ウケは良くない。
「刑事らしい父親を持つと、子どもは反発心で弁護士を目指すものなのかもしれないな」
「まあ、リサならきっと頭の柔らかい弁護士になるよ」
「彼女なりに夢があるらしい。この州から死刑を撤廃するって」
「何事にも野心は必要だ」
「彼女の部屋からオンラインゲームをやってる音が聞こえるんだ。『死ね!』とよく叫んでるよ。トリガーハッピーってやつだ」
デイルは白い歯を見せた。
「ところで、ドス・サントスさんだが、現状では家宅捜索はおろか事情聴取も面倒な状況になった。弁護士がついたんだ」
タッカーは項垂れた。
「こっちの疑いの目を敏感に察知したんだな」
「そもそも、こっちには彼を疑う合理的理由がまだない」
「しかも、彼を疑うべきかどうかもまだ分からない。意外と長丁場になりそうだな」
街の向こうの空に離着陸する飛行機の機影がスライドする。もうすぐ目的地だ。
「ヒナ・クリバヤシの遺体は今朝、日本に向けて出発したらしい」
「遺族はこっちに来なかったのか?」
「父親が高齢で身体が弱いらしい。それで、遺体を日本に運んで葬儀を行うと言ってた。ホテルに残された荷物も、こっちでの調査が終わり次第、日本に送られる」
「異国を訪れて、母国の地を生きて踏みしめることができないとは」
タッカーたちを出迎えたのは、≪ラ・エレガンツァ≫の副支配人、グレイザーという男だった。通された部屋にテーブルには、すでにヒナ・クリバヤシの残した荷物が載せられていた。
「スタッフの話では」グレイザーは慇懃丁寧ではあったが、話を早く切り上げたいらしく、せっかちな話し方をする。「お客様のチェックアウト時間が過ぎたので部屋を確認したところ、荷物が残されているのを発見したそうです」
タッカーはテーブルの前に立ってヒナ・クリバヤシの荷物に目を落としていた。キャメルのテリーヌバッグに、ホテル側が袋に入れてまとめていたらしい小物。それだけだった。
「服は?」
「いえ、それだけです」
「スマートフォンやタブレットやPCは?」
「それだけです」
タッカーはバッグの口を開けた。中には財布とメイク道具一式が入った巾着袋、生理用品を入れたスライド式のジッパーのついたビニール袋、歯ブラシ、頭痛薬などの入った小さな小物入れが詰まっていた。タッカーは財布を検めてみたが、アメリカの現金が全部で二百ドル程度入っているだけで、身分証などはなかった。代わりに、紙幣入れに飛行機の搭乗券が入っている。ヒナ・クリバヤシが死亡した前日の夜十時五十五分に羽田空港を出る便だ。サンフランシスコ国際空港でのトランジットを挟んで、到着は出発と同日の午後八時四十七分。時差のせいで日付上は二時間遡っているように見える。
タッカーはデイルに尋ねた。
「帰りの搭乗予約はあったのか?」
「いや、ない」
「じゃあ、ビザ申請してたのか?」
「いや、エスタ」
タッカーはマスクの下で口を曲げた。
「グレイザーさん、彼女のチェックアウト予定はいつでしたか?」
「ええと……」彼はタブレット端末に指を滑らせた。「一月二十二日の午前十一時です」
「事件の翌日か」
タッカーが呟くと、デイルうなずく。
「つまり、事件当日はここに戻ってくる予定だったわけだ」
「グレイザーさん、予約はいつ入ったか分かりますか?」
「予約は……、前の週の水曜日です」
「電話で?」
「いえ、ウェブから」
タッカーはデイルを見た。
「彼女は別にデバイスを使えないわけじゃない」
「確かに」
次にタッカーはホテルがまとめた袋の中身をテーブルの上に開けた。目薬にボールペン、小さなノート、地図をカラーでプリントアウトしたもの。タッカーは折り畳まれた地図を広げて声を漏らした。
「こいつは……」
デイルがタッカーの手元を覗き込む。
「あれ、タクシーの運転手に見せたのと同じ?」
「らしいな」
ハリウッド周辺の地図だ。そして、ハリウッド・デルの辺りに赤いペンで丸が付けられている。もう一枚の紙が地図に重なっていた。ストリートビューの写真だ。タッカーは小さく言う。
「予備か」
デイルが両手を広げた。
「ヒナ・クリバヤシは最初からスマホを持ってなかったんじゃ?」
「なんでそう思う?」
「こんな紙を持ち歩いてたから」
「俺の母親もこうやって地図を持ち歩いてたぞ」
「ヒナ・クリバヤシは若いだろ」
首を捻ってとぼけるタッカーはグレイザーの方を見た。
「このホテルはWi-Fi使えます?」
「ええ。登録なしで」
タッカーはデイルに向き直った。
「ヒナ・クリバヤシはここで使えるSIMカードを持ってなかった。だから、ホテル外では通信できる状況になかった。それで、こうやってプリントアウトして持ち歩いてた」
「なるほど」デイルは大きくうなずいた。「その可能性は考えてなかった。ってことは、彼女が持ってたスマホがどこかにあるってこと?」
「それとこれとは話が別」
デイルは諦めたように両手を広げて天を仰いだ。タッカーは悪戯ぽく笑って、今度は小さなノートに手を伸ばした。パラパラとページをめくる。しかし、現れるのは空白のページだけ。結局、最初のページにだけボールペンで短いメモが書かれていた。ただし、彼らにはそれが何と書かれているのか分からなかった。
「日本語か?」
タッカーは眉間に皺を寄せながらメモをスマホの写真で撮影した。念のためにグレイザーに尋ねたが、彼にもその文字を読むことはできなかった。
タッカーたちは後から来る鑑識にヒナ・クリバヤシの荷物を任せてホテルを出た。
「どうも不自然に見える」
タッカーは車までの道中にそう感想を口にした。
「どのあたりが?」
「泊まるつもりだったわりには下着がバッグに入ってなかった」
「どこかで買うつもりだったのかも」
「言葉が通じない場所で? 歯ブラシも持ってくるような人間だぞ」
「でも、ないとは言えない。単に忘れただけなのかもしれないし」
「帰る予定を立てていなかったにもかかわらず、荷物が少ないのも気になる。ホテルに置いて行った財布の中には二百ドル程度で、買ったナイフの値段は二百八十ドル。ならなぜ財布は残して行ったんだ?」
「俺もやるけど、安全な場所に最低限の金を残しておくんだ。万が一の時は、その保険で帰れるだろ」
「ロサンゼルスから日本へは片道千ドル以上する」
デイルは返す言葉を失った。
「他にもずっと何かが引っかかってるんだ」
「何かが? 思い出せないのか?」
タッカーは返事の代わりに呟く。
「不自然なことばかりだ」
先を行くタッカーを追いかけることしか、デイルにはできなかった。
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