第四章 現在進行形

1 新しい手紙

 部屋に戻ってきた米田と花坂を迎える宮野の目には、花坂が邪悪な煤で薄汚れた人間に見えていた。


「もうすぐ二時だな」


 壁の時計を見上げる米田の表情は溢れる闘志を抑え込んでいるように見えた。その横で、花坂はボストンバッグに視線を注いでいた。その瞳の裏にどんな考えが渦巻いているのかを想像するだけで、宮野の背筋には悪寒が走った。


 ──こいつがバッグの中身を……。




「花坂はホストに熱を上げてる」


 杉村は静かにそう言い放った。


「ホストぉ?」

「ホストってのは、主に女性客相手に酒などを提供して会話を──」

「いや、ホストってものは知ってます。ただ、花坂さんがそういうものに興味を示してるとは思わなくて」

「そうか? あいつは広報課の滝本課長と仲が良い」

「大学の先輩だからって言ってましたけど」

「それもあるかもしれん。だが、よく飲みに行ってるってウワサだ。人気のある男と酒を飲むことに快感を得ているんだよ」


 偏見に満ちた杉村の話に宮野は疑いの目を向けた。


「だからホストにハマってるって言うんですか?」

「たまたまあいつが電話をしているのを聞いたことがあったんだ。借金の返済が遅れていたらしい。それで思い出したんだよ。以前、飯を食いに行った時、あいつの財布にホストクラブの会員証が入っていたのを」

「知らなかったです」

「俺が言ったんだ。のめり込みすぎたら刑事の仕事にも差し支えるぞって。だが、その時にはもう腰まで沼にどっぷりだったらしい。トキヤというホストに夢中でかなり金をつぎ込んでいると言っていた。あまり人に知られたくなかったらしく口止めされた」


 読者諸君、こうやって人は秘密を誰かに共有するものだ。本当に秘密にしたいのならば、たとえ爪を剥がされても口に出さないことだ。爪はまた生えてくる。


「いや、でもそれでバッグの中身を……」

「お前、忘れたのか? 犯人は俺たちの事情をよく知ってる。花坂もなんらかの弱みを握られて仕方なく……ということだって考えられるぞ」

「杉村さんがバッグの中を見た段階でお金はまだ本物だったんですよね。それなら、いつ花坂さんにすり替える機会があったんですか?」

「さっき二人で昼飯を買いに行っただろ。あの時に部屋の中にはさつきさんと米田さんと花坂がいた。米田さんはさつきさんと一緒にいる時間が多かっただろ。隙はあったはずだ」


 まだ何かを話したそうにしていた宮野だったが、部屋の中でさつきが立ち上がって玄関の方を見たので切り上げて中に戻ることにした。米田たちが戻ってきたのだ。




 宮野が抱える疑問はただ一つ……それは、金がどこにあるのかということだった。この部屋の中から外に持ち出すのは、おそらく難易度が高い。したがって、金はこの部屋のどこかから見つかる公算が大きい。しかし、問題はどうやってそれを探すのかということだった。誘拐事件は進行している。それなのに、表面上の理由もなく部屋の中をひっくり返すのはどう贔屓目に見てもイカれている。


 この部屋の間取りは2LDK……リビングの隣室とは別に、廊下を玄関の方に行くと空き部屋が一つある。何もない部屋だ。探すべき場所はリビングダイニング、その隣室、脱衣所及び浴室、トイレ、玄関……それくらいしかない。それくらいしかないが、行動に移すのはハードルが高かった。


 宮野があと一歩で頭を掻き毟って奇声を上げるというところにきて、米田のスマホが鳴った。寸でのところで頭のおかしい男のラベルを貼りつけられるのを回避した宮野は、電話を受けた米田の表情が引き締まるのを感じた。


「犯人からの手紙が見つかった。ここに来るぞ」電話を切った米田がそう言う。「鑑識もすぐにここに来る。さつきさん、少し騒がしくなりますが、すみません」


 さつきは首を振ってさっそく隣室に向かった。花坂が玄関の靴を片付けに立つと、杉村はどさくさに紛れて宮野に耳打ちした。


「鑑識が来たら隙を見て金を探すぞ」


 どうやらクズ同士というのは以心伝心するものらしい。宮野は熱くうなずいた。あの話は有耶無耶になったままだが、千二百五十万が手中に収まるのであれば、多少の無茶も利くというものだ。




 まず、郵便局で待機していた刑事が袋に入れた茶封筒を持って現れた。


「お疲れ様です」

「おお、山口、待ってたぞ」


 山口から手紙を受け取ると、米田は早速手袋をした手で封筒を取り出した。一通目の手紙と同じく、差出人の名前はなく、宛名は白いシールに印字されている。山口が短く報告を行う。


「投函された場所は隣の県だそうです。郵便局によれば、集荷は隣県の局とのことでした」

「慎重にやってやがるな」


 米田は苦い顔をした。そして、リビングと隣室の境目で事を見守っていたさつきに米田が声を掛ける。


「さつきさん」


 さつきがやって来て米田が持っている封筒に目をやった。


「私が開けさせていただきますよ」

「分かりました」


 山口が持っていたハサミを渡す。米田は封筒の口を慎重に切り落とした。中には書面が一枚入っていた。米田が音読する。



“ハチ公のように待ち侘びていたことと存じますが、いかがお過ごしですか。


 きっと刑事諸君もこれを読んでいることでしょう。神経をすり減らして何か得られたでしょうか。その成果を拝聴したいところですが、お話が長そうなので遠慮しておきます。


 さて、先日お送りしましたように、今回は身代金五千万円の受け渡し方法についてお知らせいたします。と、その前に、今一度、私が希望していた項目をご確認下さい。前回の手紙を引っ張り出すのも面倒でしょうから、その項目を改めて列挙しておきます。


・現金五千万円を用意する

・五千万円が入るボストンバッグを用意する

・ボストンバッグの持ち手には目印として名刺大程度のカードの入る大きなネームタグを付け、カードには手描きでニューヨーク・ヤンキースのマークを描いておく


 身代金の準備についてまとめてまいりましたが、いかがでしたでしょうか。これらの項目を押さえておくことでスムーズに身代金の受け渡し、そして人質の安全な確保を実現できるのではないでしょうか。”



「検索の邪魔してくるサイトかよ」


 米田が呟く。宮野も杉村も、内心ドギマギしていた。ここでバッグの中を確認されてしまうと、状況はとんでもない方向に進んでしまうだろう。しかし、この場にいる誰もそういった気を回すことはなかった。物語的に都合がいいわけだが、刑事としてはどうなのだろうか。


 宮野はそっと花坂の様子を盗み見た。だが、彼女の表情から何かを読み取ることはできなかった。彼女にしても、ここでバッグの中を検められるのは迷惑なことだろう。



“ここからが本題でございます。


 身代金を入れたバッグを持つのは、さつきさんです。さつきさんはバッグを持って、本日十六時までに市内の五本松中央公園に向かって下さい。公園の噴水広場にある東側のベンチに腰かけて下さい。東側というのは社会主義という意味ではないということに注意しましょう。万が一、そのベンチを別の誰かが陣取っていた場合は、追い払って下さい。凛久くんのことを思えば、それくらい朝飯前……失礼、時間的に晩飯前のことでしょう。さつきさんは、そこで待機をします。あとは、成り行きに身を任せて下さい。


 ここで刑事諸君に注意事項があります。


 この手紙の封を開けた瞬間以降、五本松中央公園内に刑事を派遣しないこと。もしそれが発覚した場合に重大なペナルティが課せられることになるでしょう。色々な意味でレッドカードというわけです。随時連絡を取り合うような機器をさつきさんに身に着けさせる予定があるかもしれませんが、それは良しとしましょう。私からの少し早いクリスマスプレゼントだと思って下さい。


 無事に身代金の受け渡しが完了した暁には、凛久くんの身柄を五体満足の状態で返還することをお約束いたします。


 それでは、健闘を祈ります。”

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