第34話  第3部 7・ランキング


 各地区のインターハイ予選が終了し、全国大会に出場する選手のランキングが発表になった。日本陸連のサイトに掲載されたものを印刷して持ってきたのは坪内航平キャプテンだった。自分の出場はかなわなかったけれども最後までキャプテンとしての立場を貫こうとしている。この人は今まで他人に厳しいところばかりを見せて来たので陸上部内でも苦手にしていた人が多くいた。でも、本当は人一番陸上部と仲間たちを大切にしてくれていたのかもしれない。


「野田!……、ノダケン! おい、 お前ランキング三位だぞー!」

部室に入ってくる彼よりもその大きな声の方が先に僕たちのところまでやって来た。

「……おい!高校記録出してる奴いるじゃん!……って、なんとこいつも二年生だって?!」

「陸マガに出てたっすよ! 奈良の外崎ってやつでしょ? 確かすんごく背、高いんですよ!」

「高跳び2m04って、おいおい!タクちゃん! 困ったねー。高跳びで参加する君よりずっといい記録なんですけどー。でー、タクちゃんのランキングはー、……アラー、載ってないわ!……いや、二ページ目に、いやいや三ページ目に……あっ、あったわー」

「坪内さんワザとらしいですって! 最初から見てたくせに、もう!」

「うん、まあな。でもよ、マジで凄えもんだな。さすが全国大会だなー。健太郎の1500mもみんな3分台だものー! そんなすげえヤツばっかの中で三位っていうのがこの学校にいるのがおかしいよな。ねえタクちゃん! 同じ野田でも違うんだよねー」


「山野たちはどうなんです? ランクインしてるんですか?」

「そうそう、それがさー、あいつらもちゃんと10番以内に入ってるんだよなー。ほんともうすごいもんだなー! 南ヶ丘ってさ、陸上の名門校だったかー? それで俺はその南ヶ丘のキャプテンやってたんだぞー、って知らないやつらに自慢するしかないわな!」


 タクが坪内キャプテンから渡されたコピーを見ながらつぶやいている。

「山野が9番目で、川相が10番目かー、……あいつらもやっぱすごいんだなー。全国で10番に入ってるなんてさー、東大模試で10番に入るのとはまた違った凄さだよなー!」

「いやーもうー、なんにしてもよー、お前らみんな二年生でランクインしてんだから凄いもんだわー。俺たちは誰もインターハイいけないからさ、ちゃんと札幌から応援するから頑張ってくれよー!」


 少ししてから部室にやって来た山野紗季と川相智子が、松山恵が用意してきたもう一部のランキング一覧を見ながらため息をついた。


「やっぱりさすが全国大会だよね。ほんっとすごい人たちがいるんだよねー。七種なんて5000点越えてる人が3人もいるんだから。……しかもトップは京都の二年生なんだし……。ハードル速いなー! 14秒06って……単独種目でもランクインしちゃうよねー。……200mは私の方が上かも知れないけど……」

「全国大会だもの当たり前だよー。前に自分で言ってたでしょ。強い選手がいっぱいいるから全国に行ってみる価値があるんだって」

「そうだね! でもちょっとね……同じ二年生でこれだけの記録出してる人いたから、ちょっとショック!」


「それはね、贅沢ってもんですよ。全国いけない俺たちにとったらさ、お前たちさえうらやましい存在なの! しかもよ、山野はまだ混成始めたばっかりなんだからさ、ランキング一桁に載ってるってことが逆にすごいんじゃねえの。俺はそう思うよ」

「アレー、坪内さん初めて山野を褒めてませんか?」

「初めてでも何でもよ、すごいもんはすごいだろ? そういうタクちゃんもさ、ランクインして褒められてみてね」


「その中で三位って、ノダケンすごいよー! でもやっぱり、同じ二年生が高記録出しちゃうと悔しいでしょ?!」

そう言う山野紗季の言葉は自分の気持ちを伝えているようだった。

「ん、いやー、あんまりそんなこと考えてなかったからさ、ちゃんと大会までに気持ち昂らせておこうかなって……、そんな感じ、かな」

「なんか自信満々みたいに聞こえちゃうよー。その言い方の方がすごいと思うなー」

「あれだろ、あのー、ほら、全道大会の前にさ、お祖父ちゃんのことで練習できなかったから、不完全燃焼の思いがあるんだろう?」


 坪内さんはなんだかんだ人の気になることを平気で言ってくる人だが、ちゃんと相手のことが見えている。キャプテンとしての一年間が彼を変えたんじゃなくて、もともとそんな風に物事を見られる人だったのだ。ただ、自分のキャラとして、一生懸命嫌われ役をやっていたのかもしれない。

「まあ、そんなでもないんですけどー、なんかよくわかんないと言うか、数字だけ見てても、実感がわかないというか……まあ、どんな選手なのか見てみたいですね」

「良いよなー、全国大会だもんなー。8月になってもまだ試合できるってのは勝ち残ったものだけの特権だからなー」


「そう言えばよ、野球部もまだ試合残ってるんだよな」

「明日です。Dブロックの代表決定戦。2時試合開始です。うちの学校の山は円山じゃなくて麻布球場の方です。相手は北商高校。澤木君が投げるみたいです」

高松恵がずいぶんと事務的な話し方をした。

「ええっ『山』って何のこと? 円山の山じゃないって?」

川相智子は野球とは遠い存在だった。

「智子、それはトーナメントの組み合わせ表のことだよ。トーナメント表はだんだん上に行くとピラミットの山みたいになってるからじゃない。札幌地区だと出場校たくさんあるから2グループのトーナメント表にしてるんでしょ」

山野紗季は兄の憲輔の影響からか野球についてもある程度の知識があるみたいだ。

松山恵は黙って頷いていたが自分の役割をとられたような顔をしていた。


「キャプテンの黒田はさ同じクラスなんだけどな、澤木ってピッチャーなかなかいいみたいだぞ」

「野田君同じクラスだし、応援行くよね」

「うん。土曜日だし、午前中に練習終わらせて行こうかなって、澤木にしつこく言われてるし」

「中学の時から知ってるんだって」

「いや、澤木は知ってたみたいだけど、ここに来るまで知らなかった」

「野田は野球で有名だったみたいだから、知ってるやついっぱいいるんだろ?」

「うちの学校でも有名でした」

「野球でもスーパーだったんだな」


「今はもう澤木の方がずっと上ですよ。体もずいぶん大きくなってるし、上半身に厚みもついて来てるからかなり良い球投げてるみたいです」

「お前だってタクと同じくらいに見えるから、180越えてんだろ?」

「4月には181㎝でした。3㎝くらい伸びてました。でも体重も5㎏くらい増えたんでジャンプと長距離がちょっときついかなって感じっすね」

「このさ、ランキング1位の外崎ってやつ、196㎝だって!」

「ほんとに?!そんな奴が陸上やってんだ……、バスケとかバレーとかやるだろ普通さ!すげえな……」

「女子の1位の山際さんっていう人も172㎝あるんだ!」

「スーパーモデルだよね!手も足も長いし……凄いわー……、うらやましくなっちゃうよねー……」

「うん。もちろん身長だけじゃないってのわかってるけど、やっぱさー、背の高さって大っきいよなー。俺もあと10㎝は欲しかったかなー」

「いやいや坪内さんが背高かったら、ちょっとイメージ狂っちゃうじゃないっすか。やっぱ坪内さんは、ほらー、小柄で小回りが利くからいいんですよ……」

「なにそれ? ちょっと馬鹿にしてくれちゃってませんか? ねえ、タクちゃん!」

「いやいやいや、やっぱ先輩に愛着を感じてるんですって」

「うっせーよ!」



麻布球場で行われた土曜日の試合では、甲子園にも出場経験のある北商高校相手にピッチャーの澤木が好投して、1対1の接戦のまま9回までやって来た。


 それでもやはり私立の名門校との差ははっきりしていて、再三のピンチを何とか踏み留まってここまで来たという感じの試合だった。南ヶ丘は9回表の攻撃で相手のミスも絡めて3塁までランナーを進めたが、右中間のヒット性のあたりを相手外野手のファインプレーで得点できずに9回裏の攻撃になった。

 ピンチを乗り越えた後にはまるで決まりごとのようにチャンスがやってくるのが、こういうトーナメント形式で行われる野球の試合の不思議なところだ。そして、こういう展開になってしまうと後攻のチームが圧倒的に優位になる。

 二遊間を渋く抜いたヒットと送りバンドで1アウト2塁となり、そこで勝負に行った澤木の速球は右中間を破られてサヨナラ負けになってしまった。

 

 2ボールになったところで、監督の塁を詰めろという指示に反して、下位打線と勝負に行った結果の負けだった。ピッチャーの習性としてツーボールからはどうしてもストライクを求めに行ってしまう。さすがに名門チームのバッターはそれを逃さずにとらえた。バックホームのカバーに入っていた澤木はバックネットを背にして大きく頭を垂れていた。

 しかしここまで勝ち上がってきたことが、南ヶ丘にとっては十分健闘した結果と言ってよかった。珍しく野球の試合について来た武部が澤木の投球する姿の数百コマ分を連写した。



澤木毅人はサヨナラ負けを喫したその日、夜になってから僕の下宿にやってきた。


「頭を丸刈りにしてくれ」

紺色のエナメルバックから電動バリカンを取り出して彼はそう言った。


「な、なに、なにそれ? お前! なんで、オレが?」

突然の申し出にまともに反応できずにいた僕の言葉を遮るように彼は言った。


「あの時、お前が野球部に入っていたら、お前はオレ以上のピッチャーになっていたはずだ。今日お前が投げてたら、きっと勝てた。でもお前は、陸上で全国大会に出る程の選手になった。オレは、自分がどんなふうに評価されるよりも、まず勝ちたい。南が丘の野球部の一員として勝ちたい。そして、甲子園出場を果たしたい。それだけが目標なんだ。オレがピッチャーとして注目されるとか有名になるとかそんなことより、南が丘野球部の一員として勝つこと。そのためなら何でもやる。どんなきつい練習でもやる。……でも、今日オレは自分の判断ミスで負けてしまった。今日の負けはオレの独りよがりのせいだった。オレは今まで自分が自分がという思いでやって来てしまった。自分の力はそれだからこそついたのだと思う。でも、試合の勝ち負けはそうじゃない。自分だけを考えてるんじゃダメなんだ。チームとしての、勝ちを……おれは、ぶちこわしてしまった……」


「そんなことないんじゃねえか。あれだけの試合したんだから、相手だって何回も甲子園出てる学校だし、みんなよくやったと思ってるぞ。」

「いや、いやそうじゃないんだ。……オレはピッチャーじゃなくったってよかった。お前が投げてくれれば一番よかった。そしたら、きっと独りよがりなプレーなんかしなかったと思う。自分の力で何とかしようと思ったから、自分が何とかできると思ったから、今日もあんなふうに監督の指示を無視して、相手の下位打線を見くびったまま勝負に行ってしまった。それで負けた。全部オレのせいだ。だから、オレはもうそんな結果を出したくない。もう絶対、自分だけで何とかしようとしない。野球はチームプレー。みんなで勝ちに向かう。もう二度と今日みたいな思い上がった試合はしない。そして、もっと打たれないピッチャーになるために努力する。勝つために南が丘野球部の一員として、チームの勝ちのために努力する。それを、お前に知ってもらいたくて来た。」


その言葉は自分自身に話してるに違いなかった。澤木は一気にそこまで話した。


「何で、オレに。」

「オレはさ、今までずーっとお前に勝ちたいと思ってきた。お前に勝つことは甲子園に行くことだ。そしてそれがオレの野球の力を証明することだと思ってきた。」

「そんな、なんでそうなる?」

「お前には言わなかったけど、おれ、小学生の時お前と対戦したことがある。桜町イーグルス。小樽の。覚えてないだろう。」


 全く覚えていなかった。僕が所属していたチームは、いろいろな町のチームと試合をしていたのは覚えている。遠征することも珍しくはなかった。小樽のチームとの試合もたぶんあったのだと思う。


「六年生の春だった。俺たちのチームは結構人数も多くて強いチームだった。少年野球の全国大会にも出たことがあった。オレはピッチャーでそこそこ速い球を投げてたんで、戦績もかなり良かった。お前のいたチームと試合したときも、完全になめていて簡単に勝てると思っていた。でも、普段はピッチャーをやらないと言われていたお前が途中から出て来てからは球の速さに誰もついていけなかった。エラーのようなヒットはあったけど、ほぼ完全に抑え込まれてしまった。オレの方は10安打ぐらいされて4回でノックアウト……」


「……あん時からお前の名前と顔を頭に焼き付けてきた。お前は肩を壊してて投げたくないと言ってたらしいことも後から聞いた。こいつはとんでもないやつだと思った。それからずっとお前のことを追っかけてきた。南が丘に入学して、お前の名前があることにものすごく驚いた。これは運命だと思った。神様がオレに与えてくれたご褒美だとも思った。同じチームでお前と競えると思ってものすごく興奮してた。だから、あの時あんなにしつっこくおまえを誘った。

 なのに、お前は陸上部に行ってしまった。だからオレは、お前に見せつけようと思って、オレの力があの頃とは違うんだと見せてやりたかった。お前にさ……今日のスタンドにお前がいるのも知っていた。マウンド上からもお前の顔を見つけることができた。だから、良いピッチングができた。お前に見せつけたかったから、お前に無視されたオレはこんだけ上達したぞって。

 だから力んだのかもしれない。そして、あそこで監督の指示に従わないで勝負に行った。オレの力を見せたかったから。そして、あの結果……。」


 澤木の顔はマジだった。もっとも、作り話や冗談でこんな時間に僕の所に来るわけがない。僕と同じくらいの体格になった澤木が瞬きもせずに真正面から話し続けている。


「オレの毅仁のタケは毅然という意味でつけられた。毅然は意志が強くしっかりしていると言う意味だ。ヒトの仁は儒教的道徳心の根本原理で親愛の情を万人に広め及ぼすことだ。なのに、今日までオレは自分だけの感情で野球をやって来た。勝ちたいということ全てが、自分の力を証明したいという気持だった。仁でも何でもなかった。でも今日でそれを終わらせる。本当の意味で毅然とした姿勢で南が丘野球部の一員として頑張る。そのきっかけの日にしたい。だから、お前に手伝って欲しい。

 こんなふうに生きてきたのはお前のおかげだけど、お前のせいでもある。だから協力してくれ。」


 こいつの言っていることはよく分からなかった。こうやって僕の所にやってくること自体が独りよがりな気もするし、仁という意味とはかけ離れた行為のようにも思える。だが、間違いなく毅然としていることは確かだった。もっとも、僕にとっては迷惑きわまりないことではあった。


「バリカンで頭刈ってくれないか」

「ボンズにするのか」

「おお、お前がきってくれ。それで、オレは気持を切り替える。お前じゃなきゃダメなんだ。」

「オレは中学の時までずっとボンズでいたから何とも思わないけど、お前たちボンズにしたことないだろ」


 南ヶ丘野球部に坊主頭は誰もいない。小学校の時も坊主にしていたのは僕たちのチームくらいで坊主にするくらいなら野球なんてやらないと言うレベルの子たちが多かった。


「生まれて初めて。野球部にはボンズは誰もいない。だから、ボンズになる。」

きっぱりとした澤木の言い方に対してもう何も言うことはなかった。

「それ、お前ん家のバリカンか」

「いや、さっき買ってきた」

彼の手にある電動バリカンにはまだ誰の髪の毛も切っていない初々しい美しさが残っていた。

「ちょっと待ってろ。丹野さんに断ってくる。こんな時間だからな。」


 もう10時をまわっていた。自分のヘタクソな話し方で丹野のばあさんにうまく伝わるか不安だったが、何とか丁寧に、しかし簡単に事情を話すと「まあ!」という上品な驚きの声と共ににこやかな笑顔が返ってきた。

「良いお友達だこと。大切にしなさい。」

そういう上品な反応と共に二枚のバスタオルを渡された。

「お風呂場でやりなさい。もうお湯ははってあるから。二人で入りなさい。」


 澤木の髪の毛は太く真っ黒だった。洗い場に散らばった自分の髪を見ながら澤木は無言だった。澤木が湯船につかっている間に髪の毛を集めていると、それまで無言で風呂場の天井を見ていた彼の口が動いた。

「バリカンここに置いといてくれないか」

「は?」

「また、刈ってもらいに来るから」

「えっ?」

「また、お前に刈ってもらいたいから。」

天井を見つめた彼の表情が想像できた。

「……わかった」


 小樽から通って来ていた彼は、その夜僕の下宿に止まることにした。丹野のばあさんは風呂に入っているうちからそのつもりだったようで、僕の部屋にもうひと組の布団を持ってきてくれていた。二組の布団でもう畳の床面が見えなくなった僕の部屋で、人一倍大きな身体をした二人は天井を見ながらにこやかな顔で眠りについた。


 週明けに登校した澤木の頭を見て、誰もがその決意を感じ取った。そして誰一人彼の頭のことにはひと言もふれはしなかった。そしてその日から南が丘野球部には坊主頭が増えていった。


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