第35話 第三部 8「大きなのっぽの古時計」
学校祭の日だ。
登校してくる生徒達の顔がいつもと全く違っていた。朝からみんな一人残らずはしゃぎまわっていた。そう、一人残らずだ。
「澤木君の髪切ったの、野田君なんだって?!」
珍しく目を真ん丸にして、会うなりそう言ったのは山野紗季だった。
「誰に聞いた?」
「それがね、なんか変なんだけど、野球部の二年生たちが自慢話するみたいに話してた」
「そうか……」
「二人目のボンズはね、新チームのキャプテンすることになった北山健太!」
「北山ね……キャッチャーだな。おんなじクラスだっけ?」
「そう、健太はおしゃべりだから!」
「そうか」
「口惜しさってやっぱり人を変えるんだ。みんな本気でやってたからね。本気じゃないとそんなことしないものね」
「うん」
「あれー……なんか緊張してない?」
「そう?」
「今日のステージ?」
「うん」
「大丈夫!みんな楽しみにしてるから! 野田君がステージに立つって聞いて、みんな大喜びだからね」
「もう、帰りたい」
「なによー、ノダケンっぽくないよ、それー!」
有志発表のステージは午前の部の最後に行われ、武部、樋渡、そして琢磨と賢治の野田兄弟(?)はそのトップバッターとして登場してきた。
いつもと同じ学生服姿のノダケン以外の三人は、なぜだかサスペンダー付きの黒い半ズボンに白のワイシャツというスタイルに統一されていた。それはノダケンには全く知らされていないことだった。
「お前はさ、どうせ私服ないって言うんだからいつものまんまでいいや」
何か意味ありげな言い方で武部が言い、タクと樋渡がちょっと含み笑いをしていたのはこういうことだったのだ。ステージに登場したとたんに会場は大爆笑だった。特に二年生の女子生徒たちは立ち上がって頭の上で大きく拍手をしている。陸上部の先輩たちや野球部や冬の間一緒に練習してもらった他の運動部の人たちも体をのけぞらせて大笑いしている。
武部とタクが交互にマイクを使って話し出した。
「今日の僕たちのステージは北海道特集にしました。私たちの郷土の先輩アーティストの方たちの曲を尊敬の念を込めて歌います。ではまず一曲目は、ここにいる何時も学生服しか着るものがなくって、今日も一人だけいつもとおんなじ格好をしているノダケンこと野田賢治の小学校の先輩だという中島みゆきさんの曲……」
会場から一斉に「えーっ!」という強烈な反応があった。
「……いやいや、皆さん! 皆さんはきっと中島みゆきは十勝だよ! 藤女子だよって言いたいんでしょうけど、実は……お父さんの仕事の関係で小学校の時には岩内町にいたことがあるんですよ。そして、この学生服しか着るものを持ってない野田賢治も、岩内町の同じ小学校を経由して札幌に来たんですよ。ほんと、なんだか信じられないことだけど、皆さんも意外でしょう?!」
納得顔の何人か以外はみな武部と野田タクにヤジを飛ばしている。
「……では、わが北海道が誇る歌姫中島みゆきさんの数多くの名曲の中から『ファイト』」
樋渡が曲の始まりを静かに語りかけるように歌い始めた。後を継いだ武部が次第に盛り上げ、野田タクが強烈なシャウトを始めた。ノダケンは「ファイト!」という部分だけに加わり、四人一緒に「ファイト!」とシャウトするたびに会場の全員から歓声が上がり、最後は会場のみんなが「ファイト!!」と呼応してくれた。最高の掴みで始まったようだった。
「さあ、二曲目は……当然、千春で行くよー!『空を飛ぶ鳥のように 野を駈ける風のように』」
「果てしなく~続く道~……」
武部の選んだこの歌は松山千春のファンだという彼の母親のお気に入りの曲だ。
「十勝の広大な風景が目に浮かぶようなのよねー。最後のねー、『若者よー、力尽きるまでー』なんて、ものすごく千春っぽいでしょう!」
足寄の千春の家まで何度も行って来たという武部の母親は、息子以上に気ままな旅を楽しんできたらしい。
ステージでは最後の歌詞に四人それぞれが右手の人差し指で会場を指し示し「~力尽きるまで―!!」と雄々しく歌い上げた。
盛大な拍手をもらった。会場の多くはこの曲を聞いたことがなかったはずだが、しっかりと歌詞の意味を理解して盛り上がってくれた。二曲の予定は終わったのだが、予想外に(いや予定通りに)アンコールの声がかかった。いやこれはきっと武部たちがあらかじめ「サクラ」を仕込んでおいたに違いなかった。
生徒会と確認してあったルールでは、アンコールに対しては短い曲を一曲だけOKと言うことだったので練習通りに行ける。
「ありがとうございます。では予定通りのアンコールにお応えして最後の曲です。えー、最後はー、皆さんお待ちかねでしょうから……野田賢治が歌います……」
一斉に大きな歓声が沸き上がった。一年生の陸上部員たちが立ち上がった。「ノダケーン!」という声があちこちから上がっている。その中には聞き覚えのあるような声もあった。
「……ノダケンの『大きなのっぽの古時計』です」
拍手が再び会場に満ち溢れた。
「おーおーきな……」
平井堅の歌い方とは逆に、低い音で歌い始めると「オー!」という声が上がった。
「……おじいさんの時計……」
「ノダケン。もしさ、アンコールの声が掛かったらさ、そん時はお前が好きな曲にしようぜ。何が良い?」
「アンコールなんて掛からないだろ?」
「いや、だからもしそうなったらってことでさ、準備しとかなきゃ歌えないだろ。何が良い?」
「そんなのない」
「やー、なんか歌える歌あんだろ? 一曲くらい好きな歌さー?」
タクはいつでもなんか歌らしきものを口ずさんでるやつなのでちょっといらついている。
「演歌でも童謡でも何でもいいぞ。うん、かえってその方がさ、ウケるかもしんないしよ」
「ほら、あれは? あのー平井堅が歌ってた……古時計の歌? 確かさ、亡くなったお爺さんの家にある時計があの歌詞のまんまだって言ってただろう?」
祖父の家の居間に掛かっている時計は、僕にとっては曽祖父にあたる野田謙輔が祖父の誕生を祝って買い替えたものだ。高さが一メートルもある振り子時計で、ゼンマイ式の物なので毎朝祖父は二か所のねじ穴に蝶ネジのようなものを差し込んで螺子を巻いていた。「チクタクもボーンボーン」もまさに歌の通りなのだ。そのことを丹野さんとの話から振られて武部に話したことがあったのだ。
「……おじいさんが生まれた時に、かぁっ……てぇ……」
そこで言葉に詰まってしまった。
すぐにそのことに気づいた武部がブルースハーモニカの和音をわざと間違えたような吹き方をして胡麻化すと、タクが跡を継いで「……かあってーきた時計さー……」とオクターブ上の音階で歌を引き取った。そこに樋渡のカン高い声が加わり、武部のハーモニカ(ブルースハープとも言うタイプのハーモニカらしい)が必要以上にビブラートを効かせて、……歌が続いた。
「百年休まずに……今は、もう、動かない……」
祖父の家の時計はまだ動いている……きっと毎朝祖母がゼンマイを巻いている……。
タクと樋渡の後ろになった野田賢治は、声を出すとこみあげてきそうな何かをじっと抑えて上を向いていた。その姿は本人が気づかないうちに平井堅の歌う姿に似てしまっていた。
最後に武部がわざとハーモニカをマイクに近づけて盛大に間違いを犯したふりをしてコードを行ったり来たりさせて笑いをとってくれた。
「野田君、泣いてたね、きっと……」
そう言った川相智子の目に涙がにじんでいた。
「智子も泣いてるよ」
「うん……、あんな野田君……初めて見た……」
「お爺さんのこと思い出しちゃうよね、この歌……」
「あの人たち、ちゃんと計算してやってんだねきっと。裕也君のブルースハーモニカ間違うはずないから。わざわざマイナーキーのハーモニカ選んでたし……。」
「函館からの帰りの列車でずっと計画してたの、こういうことだったんだね」
「みんな野田君のこと好きだから」
「智子も、好きなんでしょ?」
「紗季だって!」
「嫌いな人なんていないよね。こんなに盛り上がって……」
山野紗季も潤んだ眼をしていた。
「良いよね、あの人たち!うらやましいくらい!」
「そうだね。良い奴って、あいつらのことだよねきっと!」
「うん、そう! そう思う!」
午前の部が終わりそれぞれの学級が企画した模擬店で昼食替わりの食事をしていたところへ大森先生が通りかかった。今年はタクや武部たちの担任なのにわざわざ僕のことを探してきたようだ。
「野田、ああタクもいるけどノダケンね。いい歌だったじゃないか! 武部さすがだな! タクも樋渡もやってくれるじゃねえか!」
「大森先生、焼き鳥買ってくださいよ!」
すぐ後ろから健太郎が声をかけた。健太郎がこんな風に呼びかけたりすることはごくごく珍しい。
「おう!中川家の弟だな? 良いよー、二人前持ってきな!」
「はい!注文でーす!二人前―」
今日の健太郎はきっと別人が中に入っているに違いない。
「先生、うちの姉が言ってましたよ。素面(しらふ)でも酔っぱらえるのが大森先生の良いところだって」
「おう、そうだなー。お前の姉さんにはよくそんなこと言われたな。美由起は冷たい言い方しててもしっかり相手の内側見えてたもんなー。……んで、それは武部家の伝統みたいだな。さっきの歌だっておまえがちゃんと仕組んでたんだろ?」
「仕組むって、先生、なんて人聞きの悪いことを……」
「いやいやいやいや、ちゃーんとお前たちの計画通りに進んだんじゃねえのか? あー、勘違いすんなよ、これはな俺のお前たちへの誉め言葉だからな。」
大森先生は僕の方に向かって言った。
「いやー、北海道に来てさ、もう十年になるんだけど、なかなか男の生きのいいのに出会えなくてな、女の子はな結構いるんだよー。例えば武部の姉さん、美由起を筆頭によ、結構はちきれてんだわ、これがよ……」
確かに素面のはずの大森先生は何かに酔っているような感じがする。
「……男はよー、小っちゃく小っちゃくなってしまったようでさー、これは北海道だけじゃなくって日本全体のことなんだろうけどなー、寂しい話よなー」
「先生―、何だかさっぱりですよー」
タクがイラついて来た。
「まあ、タクよ、さっき言ったようによ、俺はお前たちを褒めたいんだよ。お前たちはいい男だってことよ」
「先生、ほんとに酔っぱらってんじゃない?」
樋渡は妙に楽しそうにしている。彼は大森先生の大ファンだ。
「人のためにさ、自分を笑いの対象にしてしまえるってのはさ、男としてさ……いい奴ってことよ」
本当に酔ってるかもしれない。
「俺が中学生ん時によ、見事に時代に乗れないような友達がいてな、歌手のさ『さだまさし』の大ファンだって奴がいたんだよ。俺の中学時代なんてそんな時代じゃねえんだぞ。もう、その、Jポップとか言ってた頃だからな。そん中でよ、さだまさしの『道化師のソネット』が好きですって自己紹介しやがった。もう周りはドン引きよ! それからそいつはもうほとんど一人弁当の生活になったんだけど、成績はもう抜群に優秀でさ……。そいつの書いた詩がさ、公募で受賞したんでみんな大騒ぎよ」
「公募ですか?シって?……」
「ポエムの詩よー。その中身がな、まさによ『さだまさし』で……自分の大切な人が悲しんでいたり苦しんでいたりすると自分がピエロのようにふるまって悲しさや寂しさを少しでも和らげてやりたいって……。そんな中身だった……」
僕はそのさだまさしの『道化師のソネット』という歌を知っていた。祖母のお気に入りだったのだ。
「歌詞の言葉が心を打つって、日本人だからなのかなー。言葉は大切なんだって、そう思える歌だよー。こんな言葉を紡げる歌手たちが少なくなったかもしれないよー」
祖母は岩内の老舗旅館の三女として生まれた。旅館を継ぐ立場にはないので、自分の力で生きていけるようにと子供のころからバイオリンとピアノを習わされ、野田の家に嫁ぐまでは中学校の音楽の先生をしたり、子供たちにピアノを教えたりしていた。さだまさしのレコードやCDは居間のピアノの上に家族写真と一緒に置かれてあった。
「タカヒロって言う名前だった。みんなからターヒロなんて呼ばれてたけど、本人は何にも気にするそぶりもなくってよ、自分の言ったことはどんなに難しいことも平気な顔してやり通してしまうやつだった……」
「先生、思い出話なんか俺たちに言ってもわかんないですよー」
「……うん、そうだな。いや、お前たちもなターヒロと同じでよ、良い奴だってことよ。それを思い出したのよ」
大森先生の言いたいことはよくわかった。武部たち三人が僕の為にわざと自分たちが『ピエロ』になって盛り上げてくれたってことを言いたかったのだ。
「はい!焼き鳥二人前でーす!」
別人の健太郎がやって来た。
「おう、中川。あと二人前なテイクアウトだ。うちのカミさん用にな、しっかり包んでくれよ!」
「まいどー!焼き鳥二人前追加!テイクアウトー!」
こいつ、本当に健太郎じゃないな。
「ほら、これはお前たちにおごりだ!腹いっぱいにならん方がいいだろうから一本ずつな」
「先生うちの学級にも顔出さないと後で恨まれちゃいますよ」
タクはもうすでに焼き鳥にかぶりつきながら冷たい言い方をした」
「おう、そいつはまずいよな。樋渡、あとでよ俺の注文したやつ持ってきてくれ」
大森先生は樋渡に「絶対に忘れるなよ」と念を押してから、両手をズボンのポケットに突っ込んで歩き出した。
その様子を見ていたのはなぜかここにいるはずのない川相祥子だった。
「かっこいいね、あの先生! ねえ望月さん、あの先生なんて名前?何の先生なの?」
「祥子! お前なんでここにいるのさ?」
武部が本当に驚いたというふうに大きな目をさらに見開いた・
「へー、大森先生? 古典の先生! やっぱりー! なんか男っぽい筋の通ったしゃべり方だよねー!」
「だから、お前、なんでここにいるんだって!?」
「もう、うるさいな武部はー。そんな大きな声で言わなくてもちゃんと聞こえてるって!」
「あのー、私がチケット上げたんだよね……」
南ヶ丘高校書道部で今年もノダケンと同じクラスになった望月清華がそう答えた。
「でもさー、北園も今日学校祭じゃなかった? 俺の友達が今日が二日目だって言ってたはずだけど?」
樋渡はそう言いながら二本目の焼き鳥に手を伸ばしたのを、タクにしっかりと見られていてゆっくりと手を引っ込めた。
「私の出番は午後からだから、午前中はフリーで良いんですよー」
「それにしてもお前、その恰好!みんな振り向いてるぞー。なんで書道パフォの時の格好してんだよ?!」
「だってー、着替える時間もったいないからー。家で着替えて来たんだ。そしたら学校行ってから時間の節約になるじゃん! ノダケンのステージも見たかったし。時間はね、有効に使って初めて役に立つモノなんです!」
「で、その恰好でバスとか乗ってきたわけ? 望月さんだって書道パフォ参加するんじゃなかった?」
「うん、私は向こうに行ってから着替えようと思ってるから」
「サチコさんさ、その恰好でこれから地下鉄乗るの?」
「もちろんじゃない。なんか悪いですか?」
「いやー、君達ってほんとに双子だった? 顔はそっくりだけど、全然違うくナイ?」
そう言った樋渡の後ろから覗いていた健太郎が、今更ながら祥子だと気付いたようだ。
「うん? 川相じゃないの? なんかの仮装じゃなかったの?」
本当に中には別人が入っているに違いないしゃべり方の健太郎が、前に回って不思議な顔をしている。
「えー祥子―! 何やってるの! なんでここにいるー!?」
山野紗季と一緒にやって来た川相智子が大声を出した。周りを歩いていた皆が振り返った。
「もー、説明するの面倒くさいよー!」
「北園の書道パフォに誠さんが来るからって張り切ってたでしょう? 今日でしょう?」
「もー、だからノダケンたちのステージ見たかったの! だって、いっぱい宣伝してたの智子でしょ!」
「はいはい! 良いじゃないの! 姉妹そろってノダケンのファンだからねー!」
山野紗季はまるで自分の妹たちを見ているような表情をしている。
野田賢治は久しぶりに誠さんの名前を聞いた。
「あのー、誠さん、北大だよね」
「そうなんだよ! 北大生なんだよ。もうね『武士道』そのものでしょ!」
「うん、北大生って『武士道』なのか?」
樋渡も北大を志望していると聞いたが、新渡戸稲造は知らないらしい。
「樋渡、お前さ新渡戸稲造の『武士道』知らないのか? 北大目指してんだろ!」
そういう野田タクのすぐ後ろから声をかけたのは……
「あらー『新渡戸稲造』知らないの君たちは!」
模擬店の後ろからやって来たのは誠さん本人だった。
「誠さん!!」
そこにいる何人もの声が重なった。
「えー、北園の体育館で待ち合わせだったのに!」
川相祥子が一番驚いた顔をしている。
「ああ、それはOK! ちゃんと了解してる。でもちょっとねケンちゃんの、いや、ノダケンのねステージも見たくなったからさ、先にこっちに来てみたの。そしたら、あんたたち見つけたんでね……」
「あの、誠さんの剣道着以外見たことないかも。なんか不思議な感じ」
「私だってあんたの学生服姿このあいだ初めて見たからね!」
「でも何で誠さん、ノダケンのステージのこと知ってたんですか? 私言ってなかったよー」
「あのねー、私だって伊達に三年間高校生活してたわけじゃないからね。ちゃんと情報網はいっぱいあるのよー」
「誠さん、農学部だって聞いたけど? やっぱ、家業継ぐの?」
「農学部?家業? 何すかそれ? 三戸部稲造は?」
樋渡がさっきの話から離れられずにいた。
「うんあのね、北大はもともと農学校でしょ。クラークさんの頃からね。三戸部稲造もね農学博士だからね。でもアメリカに留学してね『武士道』って本をね、日本を紹介するつもりでアメリカで出版したんだよ。それが有名になったんだよね。」
「……?」
樋渡はますます理解できなくなったようだ。
「誠さんとこは『山の民』だから」
「『山の民』って、古事記とか日本書紀とかにでてた?」
野田タクは歴史が得意だったがちょっと外れている。
「キングダム! 楊端和?」
健太郎は漫画アニメオタクだ。
「いや、山の民って言ってもそういう特殊な集団みたいなもんでなくって、山をしっかり守っている人たちってこと」
「うん、私の家はね昔から山を整備しながら暮らしてる人たちなの。まあ、営林署みたいな仕事かな。林業って言えば一番近いかもしれない。北大の農学部もね山とか自然環境とかちゃんと勉強できるんだ。一番上の兄が北大の水産卒業して陸上養殖の会社始めたんだ。今それに乗っかろうって人達が増えてきて、海の貧栄養化とか磯焼けなんかの問題もあって、なかなか山も注目なんだよ」
「農学部で、山で林業と水産とですか?」
「そうなのよ。ちょっと今の時代に外れてるって思うでしょう。でもね、近いうちにそうじゃなくなるよきっと」
「で、で、それでさ、「武士道」のことと「山の民」となんか結びつかないような……」
樋渡の頭にはずっと?マークの光が点灯したままだ。
「祥子が言ってた『武士道セブンティーン』が剣道につながったみたいに林業って言ったら、三浦しおんの『神去なあなあ日常』とか関係ありなのかな?」
「わー、祥ちゃんのお姉さんだったよね。すごい。その通り。なんでわかったの?私の愛読書だよ。『武士道』シリーズとね、三浦しおんの作品はもう、部屋中に散らばってる!」
「私も、三浦しおん大好きです。なんか一番青春感じる作品ばっかりで、だんだん主人公が何かにはまり込んで成長していく姿がホントに魅力的で」
「すごい。さすが南ヶ丘の生徒だなー。祥ちゃんのお姉さん凄い!」
「そうですか? 智子の部屋なんて壁一面本がびっしり並んでいて入っただけで気持ちが押しつぶされそうですよ」
「祥子。お前の部屋は散らばり過ぎなの。少しは智子を見習え!」
「なによ武部。あんたは私の家族じゃないからね!」
「誠さん。剣道は?」
「もちろん、北大剣道部に決まってるでしょ。ちゃんとね旧帝大対抗戦にだって選ばれてるからね」
誠さんは大学生になってもやっぱり変わらずに「誠さん」のままだった。
「そう言えば、ノダケンさんのお葬式の時ね、美咲ちゃんに会ったんだよ。もう十年も会ってなかったからすっかり忘れてたけど、私の母さんが覚えててね、懐かしかったー。美咲ちゃんもすぐ思い出してくれたんだよ……」
ちょっとまずい方に話が行きそうだった。
「あ、あのーそれは……」
誠さんたち兄妹は話し好きというか、話し出したら止まることを知らない人たちだ。
「……旭川でのことも聞いたよ。よかったよねー。もう十年も会ってなかったんだものねー。美咲ちゃんは岩教大だって……」
山野紗季と川相智子が何かに気づいたような顔になった。
「あのー、その人、もしかして菊池美咲さんのことですか?」
「あれ、美咲ちゃんのこと知ってるの?」
「やっぱり!」
「菊池さんって、厚別競技場であった人だよね。なんかノダケンに似てるナナシュ競技ってのやってる人だったよね。ねータケベあの時あった人だよね」
「なんだー、みんな知ってたの。そう、良かったねケンちゃん」
「誠さんもやっぱり岩内で菊池さんの近所だったんですか?」
「近所ってことはないけどね、ノダケンさんの所で、あのケンちゃんのお爺さんね。小さいころからずーっと剣道と習字教えてもらってたんだ。そこで一緒だったんだよ。美咲ちゃんは剣道やらなかったけど習字の時は同じ年だったから、二人で並んでやってたんだよ」
「そこで野田君も一緒だったんですね?」
「うんそうなんだ。そうなんだけど、美咲ちゃんはすぐ旭川のお祖父ちゃんのとこに行っちゃったから、一年くらいかな、一緒だったの。でもすぐそのあとにケンちゃんが剣道習いに来たから、美咲ちゃんに変わってお姉さん役やってたような感じかな。美咲ちゃんからケンちゃんのことはいつも聞いてたから」
「そこで三人がつながるわけなんだ」
武部が推理小説のなぞ解きをするみたいな言い方をした。
「うん、でも美咲ちゃんがいなくなる前に何回かね、ノダケンさんの家に遊びに行ったことあるから、その時ケンちゃんとも会ってたんだよ。まだケンちゃん小さくてね、美咲ちゃんがお姉さんらしくいろんなこと面倒見てたんだよね。私は末っ子だったからね、弟のいる美咲ちゃんがうらやましかったんだよね……」
山野紗季が鋭い目になっていた。
「あっ……あのー、弟って? 菊池さんの弟って……野田君のことですか?」
「えっ! そうよ。うん?……知ってたんじゃないの?」
その場にいた皆は言葉を出す方法を忘れてしまっていた。そしてノダケンの顔をみんなして見つめた。ただ一人、菊池美咲のことを知らない望月清華だけがその様子を不思議がっていた。
「あれ、ケンちゃん……、もしかして……」
北園高校に行く時間が迫って来ても、誠さんは林業がいかに北海道にとって大切なことなのかを時間をたっぷりと使って力説していたが、誰もその話に乗ることはなかった。
第三部 完
✳︎次回 第四部は公開が少し遅れる予定ですが、ノダケンの南ヶ丘での生活はまだまだ続いていきます。次回作にご期待ください。
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