第33話 第3部 6・全道大会(後編)
田上先生がいつも以上に興奮した早口になっていた。ただでさえ分かりにくいしゃべり方をする田上先生なのにと沼田先生は思っていたが、彼はそんなことを気にする人ではなかった。
「ヤバイね沼田さん! あの子、川相さん? ちょっと覚醒してしまってないかい? あそこでパスするなんてさ……どっちの指示なの? 沼田さんかい? 悦ちゃん?」
「田上先生、声が大きすぎますよ。みんな振り返ってますから。ゆっくり、落ち着いて」
「いやー、悦ちゃんさ、ちょっと落ち着けないよー、あのジャンプ凄すぎでしょ! なんか魔法の言葉掛けたのかい?」
「私は魔法使いじゃないですから。そんなものありませんって。あの子はね、とっても真面目で優秀な子なんですよ。自分で勝負所掴んじゃったみたいですよ」
「それならなおさらすごいっしょ! もう、相手にしてみたらさ、崖っぷちまで押し込まれちゃったみたいなもんだからね。旭川志文の子なんかさ、去年の新人戦優勝してたからかなり自信持ってたみたいだよ。山野さんも出てなかったしね。でも、川相さんの方がもっと強烈だったね。山野さんより」
「山野は明日から七種ですよ。多分勝ちますよ!」
「いやー、沼田さん、すごい選手ばっかりじゃないのさ。南ヶ丘って合格するの大変な学校だろ!なんでこんなにすごい子ばっかり集まったの? うちなら特待生で授業料も免除してあげるのにね」
「彼らは陸上やるために来てないんですよ。たまたま陸上やったらこんな結果が出てるだけなんですよ。まあ、中学から優秀だったのもいますけど、野田賢治なんか中学の時野球部で陸上やったことない奴ですから。ただ、共通してるのはみんなすごく素直だということですね。みんな個性は強烈に強いから厄介ですけどね。素直で頭いいってのは他と違うとこかもしれません」
「そうだな、うちの奴ら素直じゃないからなー。やっぱり、理解力の問題かなー。中川君と野田君と川相さんの三人はもう全国決定だもんねー。あと、山野さんと高跳びのもう一人の野田君かい。すごいねー。これでみんな医学部とか北大とか行っちゃうわけかい!いやー、まいったね」
「田上先生、この子たちみんなすごい努力してるんですよ。うちの旦那は謙遜した言い方しかできない人ですけど、去年からずいぶん工夫してやってたみたいですよ」
「そうみたいだね、ちょっとだけ聞いてた。でも、ちゃんと悦ちゃんの考えも入ってるんだべさ」
「わたしは、ほら、アドバイスの係りだから。自分の学校の方をちゃんと中心に働いてますよ」
「はいはい、そうでしょうね。いやー、うちの学校にもアドバイスに来てや!」
「良いですよ。でも私のアルバイト料って結構高いんですよ!」
「まーね、そうだろうね。今の学校まだ3年だったか?……5年? 秋山先生もそろそろだって言ってたから、あんたが動くわけにいかんものな。まあ、しばらくしょうがないわな。この子達育ててくれよ!」
「いやー、田上先生は札幌陸協全体のトップなんですから、広―く目を見開かなきゃダメじゃないですか。片桐大先生に怒られますよ」
「はいはい、また悦ちゃんに怒られて帰ることにしますよ。沼田さん、山野さんたちも全国行かせるぞ!」
「もちろんですよ! ホテルとか旅行会社の手配とか、またよろしく頼みます」
「OK 何人でもOKよ! あしたまた」
「田上先生のとこだってもう二人決まってたよな?」
「そうだよ、あそここそ優秀な選手いっぱい集めてるとこだから何にも心配ないはずだよ。田上先生の気配りなんだねこういうの。けっこう気を使う人だから」
「そうだな。いっつもわざわざ来てくれるものな」
「じゃあ、自分の学校に戻ってホテルで楽しい夕食ですよ」
「じゃ明日な」
「うん、明日も楽しみいっぱいでいいわー! じゃねー」
北海道大会第2日目
野田琢磨の走り高跳び予選と山野紗季の100mハードルが同時に始まった。
ハードルを使ったリズム跳びを何年も繰り返してきた山野紗季にとって、ハードルは練習に不可欠のパートナーだった。今年になって正式にハードル走の練習をする前からハードルの高さや倒れる時の特徴も熟知していた。ハードルを跳ぶということが毎日の習慣のようになっていた彼女にとって、たった三回目のレースではあってもハードルは「仲間」だった。
自分のスタートが鋭くなった感覚はこの春からあった。それが冬季練習の成果なのか長年の練習のたまものなのかはわからないけれども、確かにスタートの力強さは今までよりはるかに良い感じだ。スタートから13m。一台目までの距離を8歩で行く。100mのフラットレースよりも早めに体が起きるように歩数を刻む。約84㎝の高さは男子用のハードルより15㎝も低いので、私の身長でもそんなに跳びあがる必要はない。
必要以上に体を前屈させることなくリズムを大切にしてインターバルを走り切る。ハードルは跳ぶ意識を捨て、跨ぎ越すつもりで抜き足を横から前へ前へと進めていく。10台目のハードルからの10.5mは障害から解き放たれたようにスピードを上げ最後は倒れこむつもりで胸を突き出す。競っている相手とはこの最後の10.5mが勝負の分かれ目になる。
上野先生には実際の走りを見ていただいた。沼田先生にはスタートからの感覚を言葉でイメージさせられた。
実践二回目の大会になった今日もその練習とイメージがしっかりと実行できたと思う。練習を重ねるごとに腕の振りが上手にできるようになった分、タイムも向上した。
15秒68は754点になる。札幌地区大会から少しだけ上乗せできたみたいだ。でも、函館の選手が15秒23で走っている。もちろん自分より経験のある選手が多いのだから、当然力が上の選手だっていて当たり前だけど、ちょっと悔しい。高跳びで挽回してみせる。
野田タクの走り高跳びは180㎝が予選通過記録となっている。昨年と同じ設定だった。タクは昨年この記録を越えられずに予選落ちしていたので、今年こそはと異常にファイトを燃やしている。ここに来るまでも何度も言葉に出していたのに、今はかなり緊張気味で朝食の時から目が落ち着かない。
170㎝をゆったりとした跳躍でクリアーして今日は大丈夫だという気になった。しっかりと自分の動きをコントロールできていた。バスケ部の練習から得たことは、振り上げ脚の膝を曲げて上を目指すということだった。膝を伸ばしたままの踏切だと、体が最後まで傾いたまま跳びあがってしまう。そこで、まっすぐに伸ばした膝を水平位置まで来たときに突き上げるつもりで曲げるようにした。そうすると体を一本の棒のようにして真上に向けることができるので、片足立ちで直立した状態でジャンプできるようになった。バー上のクリアーもより縦方向に回転するようなり、背面跳び以上にこの跳び方の方が効率的になったはずだ。
タクの「進化?」した跳び方は、見方によっては壁をよじ登るヤモリのようにも見える。武部の写した写真を見て本人はスパイダーマンのようだと言っている。それに対して、坪内さんを筆頭にした陸上部の仲間達は壁に張り付いたヤモリだとからかっている。
タクは、175もしっかりと丁寧に助走しきれいなクリアーをした。踏切からの一連の流れが今まで以上にスムーズになり、唯一のベリーロールはここでも注目の的だった。予選通過記録の180㎝を一回でクリアーしたタクはマットの上で声を上げ両手のこぶしを握り締めた。
二組に分かれて行われた走り高跳び予選は26人が通過記録を突破した。決勝進出者が20人を超えるのは多すぎたかもしれない。180㎝の予選記録が来年には上げられそうだ。レベルが上がっていくのは北海道の陸上全体を考えればよいことなのだが、実は高校生に限ると北海道の走り高跳びのレベルはずいぶん昔から高かったのだ。20年ほど前には2m22㎝の高校記録を旭川の選手が記録しているし、同じ年に札幌の選手が2m20㎝の大会記録を樹立している。インターハイの全国大会でも数多くの入賞者を輩出していたのだ。しかし今はそのころに比べると上の方の記録に到達している選手は決して多くはない。2mの大台を超える選手が少なくなってしまったようだ。背面跳びは取り組みやすく記録の向上も速いが、極めるのはやはり簡単ではないことの表れなのかもしれない。それはどの種目でも同じだし、どんなスポーツにも言えることなのだが。
七種の走り高跳びは山野紗季の一人舞台になった。安全策を取って140㎝から始めた後は、ひたすら他の選手が失敗していくのを待つことになった。145、148とパスしているうちにほとんどの選手が落ちてしまった。151㎝で二回目を跳び、154㎝を成功したのは一人だけ。157㎝を成功したところで誰もいなくなってしまった。ここまででまだ3回の跳躍なのであと3回跳ぶと決めた。
「165でお願いしまーす」
ちょっと驚いたような係りの先生が指で6と5を表した。
「ロクジュウ ゴ?」
「はい、65でお願いします!」
自分の試技がすでに終わり天幕だけを張った待機場所の中にいた他の選手たちがざわついている。昨日川相智子が162㎝をパスした時と同じだった。係の先生も昨日と同じ方たちで互いに顔を見合わせ何かを小声で言った。164㎝の身長の自分にとってこれが頭上1センチ。昨日、智子が169㎝の高さを越えた時も同じく頭上1センチ。これを跳べば智子と同じこと。そう自分に言い聞かせてスタートを切った。
助走の速さとカーブの鋭さは誰にも負けない。踏切で後傾よりも内傾に重きを置いて、鋭く踏切位置に切り込んで行く。軸足をしっかり一本の棒にして、それを支点として助走のスピードを上方へと方向を変えてはじき返してやる。振り上げた右足は、次の高さへさらに階段を上るようにしっかりと踏みしめて伸ばしきる。右手でリードしてバーの後ろへと体を落とし込み背中から着地。
この一連の流れは誰にもまねができないと自負してきた。今日もそれはうまくいった。これでようやく中学以来の自己記録を更新できた。
165㎝をクリアーしても当たり前という表情の山野紗季に、ますます周りの選手たちの顔色は変わっていった。南ヶ丘の応援生徒達も昨日に引き続き大歓声を上げた。樋渡が叫び、野田タクは手が腫れてしまうほどの拍手の仕方だ。そして、坪内航平キャプテンが他の部員たちをリードするように声を合わせて叫んでいる。二日続けてこの芝生席の最前列は南ヶ丘高校陸上部の応援団席に変わっていた。他の種目があちこちで進んでいる陸上競技場の中でこの場所が一番熱く盛り上がり、二日続けてすべての観客の注目の的でもあった。
「169センチでお願いします!」
あと二回だけ跳ぶことに決めていた山野紗季は迷っていた。少しでも得点を伸ばしておきたい。けれどもここで力を使い切ってしまうわけにはいかない。まだ二種目目でしかないことを考えると、あと二回の跳躍がギリギリに思えたのだ。智子の記録に追いついておきたい気持ちも強かった。きっと智子はもっと上の高さまで跳んでしまうに違いなかった。今私も同じ高さを跳んで追いついておきたい。条件は違いすぎるけど自分で決めたことだから……やってみよう。
踏切位置を確認しにバーの下まで行ってみる。さすがに自分より5センチ高いところにあるバーは見上げる状態で空中にあった。その場で軽くジャンプしてみる。上からバーを見下ろすことで心理的に高さへの恐怖心を和らげられると思った。スタート位置からもう一度バーを見つめ、大きく息を吐いてから体を前後にゆすり反動をつけるようにスタートを切った。踏切4歩前、カーブの頂点で重心を下げ深く曲げられた膝でさらにスピードを上げる動きをした。
すると、その途端、左足のスパイクが滑った。踵にある長い二本のピンがゴムの走路に突き刺さる前に何か砂のようなものに足を取られてしまった。カーブの頂点で体が内傾し、重心も後ろに架かり始めた時だったのでそのまま左脚側に転んでしまいそうになった。咄嗟に右足を小さくバー側に送り、重心を前に移すようにして何とか転倒を免れたが、勢いは止められずそのままバーの下を通ってマットにぶつかるようにして乗り上げて横向きに転がった。
「うわー!」
「えー!」
「あー!」
声にならない様々な叫びが競技場に響き渡った。
野田タクと坪内キャプテンが芝生席から飛び降り駆けつけようとして係員に止められた。
記録をまとめていた女性の先生と高さを計測していた先生がすぐにやって来て、マットの上に座ったままの山野紗季に声をかけている。
「大丈夫です。ちょっと滑ってしまって!」
「脚は? 血が出てない?」
右脚の膝の上あたりからわずかな出血が見えた。セーフティーマットのバックルにぶつけて切れてしまったようだ。
「あっ、ほんと! ……でもちょっとだけなので、大丈夫です!」
女性の先生が救急バックから消毒液とカットバンを出して処置してくださった。
「大丈夫だと思うけど、打撲の痛さとかはない? ここの他は?」
マットから降りて何度か屈伸してみた。軽くジャンプもしてみた。
「大丈夫ですね。ここだけですから、なんともありません。ありがとうございます」
「あすこにさ、ゴムチップの削れたの浮いてたんだわ!」
計測係の男の先生が滑った原因らしい小さな丸いゴムの粒をいくつか見せて言った。
「古いからねこの競技場も。来年改修なんだけどね。大きな怪我無くてよかったわ。大事な選手だからね」
沼田先生と上野先生がやって来て怪我の有無を確認して安心していた。
「紗季ちゃん、今日調子良すぎだからね。危ないよ! 足首は大丈夫、ひねってない?」
「はい、自分でもちょっと怖くなりました。足首は大丈夫ですけど、もう終わりにします」
「山野、立派だぞ! ナイスチャレンジだった。川相もおまえも毎日の練習の成果しっかり出してた。立派立派!」
普段褒めることなんてない沼田先生に褒められて反応できなくなってしまった。
「ほらー、普段と違うから紗季ちゃんも困ってるでしょう。普段からちゃんと褒める習慣つけないとねー」
「悦子さんすごいですねこの子達。昨日の川相さんも同じ南ヶ丘なんでしょう!びっくりですよ」
そう言ったのは記録係をしていた女性の先生だった。
「いやー、京野さんも連日ご苦労様です。暑いのに大変だよね。でもね、私はこの子達と違う学校なの。南ヶ丘はこっちの沼田恭一郎の方」
「はい、そうでしたよね。沼田先生やっぱり混成の指導上手なんですね。あの、男子の凄い選手もいますし」
「この人はね、何にも指導しないのが指導方針なんですよ。選手たちの力がね、凄いの!」
「またー! 悦子さんもかかわってるんでしょう」
京野郁美さんは上野先生と沼田先生の大学の後輩で、走り高跳びの有名な選手だと教えてもらった。しかもまだ現役で活躍している函館近郊の高校の先生なのだという。
「この後の種目も頑張ってね。全国大会楽しみにしてるからね」
最後に京野先生がそう言葉を掛けて下さった。昨日智子が言っていたことはこれだったのだ。
「ご心配かけました。ありがとうございます」
ちょっとトラブってしまったけれどとにかく最低限の目標は達成した。七種競技の得点換算表を見ると、165㎝は795点だった。100mハードルを15秒23で走った地元函館の選手は151㎝で632点。まだ二種目目だけれどここで一応逆転できたことになる。次は砲丸なのでどうなるか。練習積んだから大丈夫のはず。そう思わなきゃ!
砲丸投げはちょっとした工夫がうまくはまった。ノダケンに教えられたように、グライドを右足の蹴りで行うのではなく、小さくしゃがんだ時に重心を少し後ろに持って行くやり方にしてみたのだ。そうすると重心が後ろになった分だけバランスを崩して後ろに倒れそうなるから、その倒れそうになった力を利用して鋭くステップに結びつける。なかなかタイミングをとらえるのは難しかった。
「あのさ、野球のピッチャーも足を上げた後でさ『ヒップファースト』って言ってね、尻の方から倒れるようにして、その勢いを利用して前に踏み出すと、体にスピードをつけられる。それと似てると思うんだ」
そんな説明だった。野球のことはよくわからないけれど、確かに右足の蹴りだけに頼って進むよりはるかに力強くなった。
10m35㎝まで記録は伸びた。やっと10m越えられたけど、トップはあの函館の選手で11m22㎝を投げた。彼女は三年生で背が高かった。砲丸の放物線も私のものよりずっと高いところを通っていた。去年の大会では三位に入賞していた。そして、その時の優勝者は菊池美咲さんだ。私の得点は552点、彼女の方は610点。3種目終わって50点くらいの差になった。差が縮まったけれど、なんか競ってる感じが楽しくなってきた。今日はあと一種目。200mも自己記録出してみせる。
タクの走り高跳び決勝が14時30分から始まった。
170㎝から開始され、二組に分かれた26人が交互に跳躍を開始した。175㎝になると失敗する選手が多くなり待ち時間が増えて来た。予選の180㎝を越えてきた選手ばかりでも常に一回で越えられるわけではない。ここがギリギリの選手もいるし、まだ跳び始めてない選手もいる。この高さから始めたタクがきれいなベリーロールを披露した後はかなりの待ち時間になった。
180㎝にバーが上がった時にはもう、15時10分スタートの七種の200mの時間になってしまった。両方を見られるようにとメインスタンドのゴール前に陣取った南ヶ丘応援団は、タクの180㎝一回目と山野紗季の200mスタートがほぼ同時になってしまったことで、両方に目を向けなければならない落ち着かない時間になった。しかも、そのことに気づいていないタクがスタートのピストルが鳴るのを待って助走を開始したので、ますますしんどい瞬間になってしまった。
100mを12秒4で走る山野紗季のスタートは抜群だった。体が起きて疾走体勢に入った時にはもう他をリードしていて、カーブを周り直線に入るとその差は歴然としていた。彼女は最後まで力を緩めることなくゴールでも胸を突き出してしっかりとタイムを稼いでいる。七種競技に参加している他の選手とは力が違いすぎる。25秒88はフラットレースでも決勝を狙えるタイムだ。これで808点を追加して一日目の合計は2909点になり、27秒07で走った函館の選手とは150点まで差が広がった。
山野紗季がゴールする前に野田タクが180㎝をクリアーした。マットの上で派手なガッツポーズをして応援団のいるスタンドの方を指さしてポーズを決めたつもりが、みんなはすでに山野紗季の走りに声援を送っているところだったので、誰一人それに反応できなかった。
山野紗季がスタンドの応援団に合流して、いよいよタクの走り高跳びも山場を迎えた。185㎝に成功したのが9人。なかでも北見の三年生が185㎝から始める余裕を見せている。この選手がランキング一位で197㎝の記録を持ってやって来ていた。タクはここまでいずれも1回でクリアーしているので有利ではあるけれども、次の高さが勝負になりそうだった。
188㎝の1回目。
タクは今まで以上にはしゃいでいるように見えた。自分の番が来るまでも芝生の上をスキップしながら上半身をくねらせて行ったり来たりしている。おまけに名前も知らない他校の選手に次々と何かを話しかけては自分だけ笑っている。相手は何か不思議な顔をしているように見えるけれどもタクは全く気にしていない。動いていることと、話しかけることが彼にとってのリラックスメソッドなのかもしれないが、周りにとってはちょっと迷惑なやつなのかもしれない。
「やっぱ、緊張してるな。動きすぎだろ!」
武部はさっきからずっと望遠レンズを通して表情を見ている。
「いやいやタクはさ、ああいうことができる時は力発揮できる奴なんだ。ダイジョブでねえか」
坪内キャプテンが珍しくタクを認める言い方をした。いつもの漫才コンビは相手のことをちゃんと理解していた。
大きく両手を前後に振り、いっぱいに後ろに倒した上半身で反動をつけるようにしてタクの助走が始まった。跳びはねるような助走の始まりから最後の三歩で極端に重心が低くなった。長い脚の振り上げに続き膝が天を目指して一本の棒になって伸び上がった。ヤモリのように壁を上る跳び方で、右手を先頭にしてバーの向こう側に滑り降りるようなクリアランス。マットの上に柔道の受け身の形で転がると、少しだけ揺れていたバーの動きが止まり白旗が上がった。それを見たタクはマットの上でバク転をしようとして失敗した。顔面着地で乱れてしまった髪の毛を気にすることなく、大きくジャンプしてから派手なガッツポーズをして応援団の方を指さした。今度は応援団もしっかりとその姿を見ていて、大きな声援とともに盛大な笑い声を送ってやった。
188㎝をクリアーしたのは5人でタクも全国出場を決めた。しかし、その後の高さは全く跳べそうな跳躍にならなかった。北見のランキング一位だった選手が194㎝を一回で跳んで優勝した。同じ高さを二回目に跳んだ小樽の選手が二位になり、191㎝を跳んだ石狩の選手が三位となった。タクは試技数の関係で四位に入賞した。
席に戻って来たタクは大騒ぎで、仲の良い二年生の仲間たちとハイタッチを繰り返した。そして坪内キャプテンを見つけると手を腰のあたりに構え手のひらを上に向けた。坪内キャプテンはその手のひらに上から強烈な「タッチ」をお見舞いした。
「やるじゃねえか! タクちゃんも全国でしょ、お土産期待してるからな!」
「もちろんですよ。徳島名物阿波踊りクッキー買ってきますからね」
「おいっ、そんなのあんの?」
「いやー、徳島だからたぶんあるんじゃないかなーっと思って」
「買う気ねえだろ」
「いやいや、大丈夫ですって。乞うご期待ってえやつですよ」
「タクはあてになんえよなー、やっぱさー。じゃあみんな! 明日は全員で山野の応援団結成しますよー。この大会最後なので全力応援でいきましょう!」
坪内キャプテンが最後の仕事を宣言し、三日目が終わった。いよいよ明日が最後だ。
全道大会四日目
この四日間は毎日晴天に恵まれ、厚別の時のような向かい風もなく競技に集中することができた。
七種の走り幅跳びは9時45分から始まる。今朝の坪内キャプテン最後のミーティングは「全道大会総仕上げの日」と題しての長い演説だった。もちろん今日唯一の競技がある山野紗季と昨日から練習相手になっていた川相智子は参加していない。
走り幅跳びが始まり、函館の選手が最初の跳躍者で5m38㎝を記録した。ハードルと幅跳びを得意とするこの三年生は昨年も二日目の競技で高得点を獲得していた。人生二度目の幅跳びに挑戦中の山野紗季は5m15㎝を一回目にマークした。札幌地区大会からちょうど10センチ伸びたことになる。
「やめよう!」
今日の三種目で一番怪我のリスクが高いのはこの幅跳びだ。去年の大迫さんの大怪我も頭の中にあった。あとのやり投げと800mはじっくりやればなんとかなるだろう。昨日上野先生に言われたように調子良すぎる時は要注意。昨日から自分の動きが軽すぎた。そしていつも以上に体が思い通りに動くように感じていた。その為気持ちもずいぶん前のめりになっていた。それこそが危険信号かも知れないと改めて思った。この記録だと601点。5m38㎝を跳んだ地元函館の選手の得点は665点。合計点ではまだリードを保っているし、次のやり投げは今回は練習積んできたから大丈夫。800mだってついていけるはず。
盛大に応援してくれている仲間たちには悪いけど、ここは慎重に行こう。今朝、智子とも話したように確かに自分で競技をコントロールすることが大切だ。逃げてしまう負けじゃなくて、次につなげるための作戦だと思えばいいんだ。そう、智子の言う通り。これは負けじゃない。次へつなげるために自分が精神的にリードして競技を進めるためのものなのだ。
「山野! たいしたもんだな。考え方が進歩してるなお前たちは。すごいぞ」
沼田先生の言葉が上野先生に近くなって来たような気がする。上野先生は今、清嶺高校の生徒たちの1600リレーのアップでここにいないけれど、いたらきっと同じこと言ってるような気がする。
「沼田先生、ずいぶん褒めるよね、最近」
智子が小声で言った。
「やっぱり、去年の秋季練習からの成果が出て来たから先生もうれしいんだと思う」
「そうだよね、沼田先生と上野先生夫婦のおかげがたくさんあるよね」
「うん、私なんか上野先生に言われなかったら混成してないよきっと」
「それは、あれじゃない。野田君の影響もあるんじゃない?」
「それはそうだよ。あんなすごい見本がすぐ近くにいるから、やれそうな気持ちになるよ」
「野田君だったらさ、インターハイでも優勝しちゃうかも知れないよね!」
「かもね……でもなんか、そんなにうまくばっかりいかないのがこういう勝負事の難しさかもしれないよ」
「うん、全国にはすごい人がいっぱいいるだろうからね」
「そう、そのために全国に行って経験してくる価値があるんだよ」
「じゃあ、紗季にあと二種目頑張ってもらって、二人して徳島行こう!」
「当然! 北海道でナンバーワンになって行くからね!」
「そうそう!そういう言葉が聞けなくっちゃ、紗季らしくない」
12時30分からのやり投げは札幌地区大会と同じで記録が伸びない選手ばかりだった。やり投げの練習は場所が限定されるし、女子選手にとっては慣れない体の使い方をしなければならないことが理由じゃないかと考えた。私は憲輔とキャッチボールの経験もあるし、沼田先生やノダケンに基本的な動きを理屈から教えてもらったので割と早いうちに動きを覚えることができたと思う。上半身の力はないからまだ記録はたいしたことないけれど、どうすれば結果に結びつくかはわかって来た。それだけでも大きなことだと思っている。他の選手の多くはそんな環境にいないに違いなかった。だから私はこの大会でそれを証明して見せる。
走り高跳びと同じような助走から、サイドステップを変形したような感じでクロスステップを二度入れられるようになった。最後の三歩は高跳びと全く同じだと思っている。右足の踏ん張りと左足で踏み切るのと同じようにスピードに乗った体を止めてからやりを上空に放り投げる。左手のリードとギリギリまでやりを後ろに残すあたりはバドミントンのハイクリアーとそっくりだった。その動きを理解できたのはつい最近のことだ。
一投目で32m46㎝を記録した。札幌市大会より大きく伸びている。これが一投目で最長記録となり、余裕が生まれた。函館の選手は長身と長い腕をうまく利用して投げているが、助走スピードをうまく利用できていなかった。それでも31m12㎝を投げ、一投目では二人だけの30mオーバーの記録だった。
自分の予想通りに物事が進んでいることから気持ちに余裕が生まれた。クリアになった頭の中は体の動きをもスムーズにしてくれた。二投目は33m38㎝を投げ541点を獲得した。三回目の投擲で函館の三年生が32m45㎝を投げてさすがに気持ちの強さを見せたが、523点と10点以上の差がついたので自分の三投目はパスすることにした。これで50点以上の差をつけたまま最後の800mを迎えることになったので少し気が楽になった。
そのあと、最終種目までは二時間くらいあったので、競技場の外に出て智子と二人だけでゆっくりと昼食をとることにした。
昼食の弁当を前にして坪内キャプテンは最終種目800mの「応援団シフト?」を発表した。
「はい、じゃあいよいよ最後になりました。今日はあんまり歓声を上げる機会がなかったので、最後は思いっきり心残りないように応援しつくしましょう!」
「キャプテン! なんか、他の学校から浮いて見えてるんですけど……ちょっと気が引けますねー」
「なにをつまんないこと言ってんですか。ここまで四日間も函館のこの素晴らしい競技場で過ごしてこれたことに感謝しないとダメでしょうが!俺たちなんか大して競技に参加してないんだからさ、応援だけでも自分の存在した足跡残さなきゃ、ここまで連れてきてもらった価値がないでしょう!しかもだよ、これから最後の800mに臨もうとしてるのは優勝に王手をかけて二位の選手と競ってる山野なんだよ。ここでおとなしく観戦してるのはお客さんだけでいいだろう? 俺たちはね、南ヶ丘高校生徒と教職員合わせて約1000人の思いを代弁してここで最大限の声援を送らなくてどうするんだ!……」
「樋渡、おまえが余計なこと言うから坪内の喋りが止まらなくなっちまっただろう。ほんとにこれが最後なんだからさ、ちょっと我慢して聞いてやれ」
福島海斗は自分も半分同じ気持ちであることを隠しながら樋渡に小声で言った。
「坪内さん前置き長いっすよ。どんなシフトか早く発表してくださいよー」
野田タクが坪内キャプテンの攻撃先をそらしている。
この様子がすっかり気に入ってしまった武部は、少し離れたところからこの陸上部の不思議な雰囲気をカメラに収めようとしている。
「……だから、良いか400mトラックを四等分してな、ゴール前のスタンドとバックストレートの前半と後半、そして第四コーナーのあたりに分担して人数を配置するってことよ。自分たちの範囲に来たらな、全員で声を合わせて「ガンバレ山野コール」を全力で叫ぶってことよ。いいか、それぞれな……」
食事を忘れた坪内キャプテンの当たり前すぎるような作戦はみんなの頭の上を通り過ぎ、配布された弁当もすべて食べつくしたころ、やっとキャプテンの最終指示が終了した。
800mのスタート時間が近づいた。
山野紗季はいつも以上にリラックスしてスタート位置に移動して行った。南ヶ丘の生徒たちは「応援団シフト作戦」の計画通りに人員配置も終わり、武部だけはメインスタンドの中央に位置取り、どの場面をも狙える場所でスタンバイしている。
武部のその様子を見ていた川相智子が小声で言った。
「野田君……裕也君ね、ほんとは函館に親戚なんかいないんだよ。お父さん側の両親はもうずいぶん前に亡くなってるんだから……」
「うん、知ってる。武部の父さんは京都生まれの京都育ちだって、前に武部と丹野のばあさんが話してるの聞いたことあるから」
「知ってたの? そう、知ってたの……。でも何であんな嘘ついたのかな?」
「武部ってそういうやつだろ。川相さんたちは幼稚園の頃から一緒だったから気づいてると思うけど、なんて言うかさ、自分のことで余計な心配させないようにさ、わざとふざけてみたり、笑われるようなことしたりさ……なんて言うかな、自分が主役にならないようにしているというか……そんな奴だろう?」
「そうかもしれない。うん、そういえばそうだよね、私と祥子なんかずっと一緒にいたのにね、何にも気づいてなかったかも……」
「君の妹もちょっと似たようなとこあるでしょう?」
「ええっ! そう?」
「うん、なんかそんな気がする。武部と同じで、わざとはしゃいでごまかしてしまうっていうか、そんなとこあるんじゃないかなー」
「そう?考えてもみなかった」
「うん、身近にいすぎるとわからないものなのかもしれない」
「裕也君、この三日間どこに泊まってたんだろ?」
「あー、それはね大丈夫! あいつ今までもね、カメラ持ってぶらっと行方不明になったこと何回かあるから。そういうの慣れててさ、安いホテルのリストとか行き方とかの情報たっぷりストックしてあるんだ。あのでっかいリュックの中はね、家出も出来るように準備万端だから」
「すごいね……」
「うん、凄いと言えば凄いかも」
「いや、そうじゃなくて、そんなことまでしっかりわかってる野田君がすごいよ!」
「まあ、腐れ縁ってやつ?! 丹野さんのとこにもね、家出してきたことがある」
「良いよね! 本当の仲間って」
「川相さんと山野だって、最近そんな感じじゃない?」
「うん、そうなんだよ! そうなのよ! だから、すっごく楽しい!」
「そうだよな、仲間って、そういうものだよな」
山野紗季がスタートした。
三組に分かれた一組目が山野紗季達トップグループだ。函館の三年生が先頭に立った。彼女はこの種目で差をつけなければ逆転できないので、出だしから勝負をかけてきた。しかし、山野紗季はこの種目も決して弱くはない。しっかりと先頭について行っている。
「ガンバレ、ガンバレ、やーまーのー!!」
トラック一周の間にこの声援が絶えることはなかった。地元函館の選手にも当然大きな声援が起こっている。それでも、南ヶ丘の坪内流「応援団シフト」の応援の声の方が上回っていた。
「サキ―!ガンバレー! ヤマノ―!ファイト―!」二週目からはそんな声援に変わった。
山野紗季はとても気持ちの良いレースになっていた。400mを一周する間にどこからでも仲間の声が聞こえて来るのだ。こんな経験は今までなかった。自分一人でなんでもできると思ってやって来た。それはそれで楽しいことで自信を深めることにもなっていた。でも、こうやって陸上部員全員が自分の応援の為に声をからして叫び続けてくれることなど考えたこともなかった。陸上が団体競技だと感じられた瞬間だった。去年野球から陸上に変わったことで、野田君が言っていたのはこういうことなのだろう。そして、去年までのように走り高跳びだけだったら、こんな風に感じることもなかったに違いない。
スタートからずっと先頭を走って来た函館の三年生は先頭を走り続けることのプレッシャーに疲れ始めていた。ラスト一周になってさらにスピードを上げようとして上半身のリキミが更に増した。肩が揺れている。私がここまで常に後ろについて来たことがこの人はずっと気になっていたみたいで、コーナーのたびに後ろを振り返った。バックストレートでスパートをしたはずが、全く差が広がらないことで益々体に無駄な力が入ってしまったようだ。コーナーを回るところでもう付いて行く必要がなくなった。
最後の直線になると競技場のすべての方向から私に向けての大きな声援が上がり、七種目を完走する直前の疲労感をすっかり解消してくれた。先頭でゴールを通過できた。すぐ後から函館の三年生がゴールしその場に座り込んだ。私だって力を使い切った感があったけれども、目の前のスタンドで強烈に盛り上がっている坪内さんを中心にした見事な応援に両手を振って応えているうちにそんなことは忘れてしまっていた。
2分28秒71と2分29秒39はわずかな差だけれども、競った相手に勝つと負けるのとでは全く価値が違う。そういう気持ちじゃなくなったら記録を伸ばすことは出来なくなっちゃう。そして、その結果として初めて挑戦している混成競技でインターハイ全国大会まで行ける。それ以上に、今はみんなに応援してもらえる……、なんか去年のバドミントンから始まって、いろんな事やって来てよかった。みんなで一緒に頑張ったから出来たのかもしれない。
709点と701点を加えてそれぞれ4760点と4681点。まだまだ上を目指さなければ全国では戦えないかもしれない。でも、これはまだ始まったばかり、これからもっといけるはず!
競技場の外では仲間が拍手で出迎えてくれた。
「航平さん盛大な応援計画ありがとうございました。とっても力をもらえました。徳島名物の阿波踊りクッキー買ってきますから」
「おいー、ほんとにそれあるのかよー! まあなー、タクよりは信用出来るけどもさー。おい、野田兄弟!お前たち……わかってるよねー!」
「もー、坪内さん一緒に徳島行きませんか? 自分で好きなだけお土産選んでください!」
函館での全道大会最後となった夕食時間には沼田先生から食後のデザートが差し入れられた。別なホテルに泊まっている応援生徒にもそれと同じものがちゃんと手配してあったらしい。こんなことは、去年はなかったことだ。
「明日は12時45分の列車だから、それまでは自由時間にしていいぞ。函館駅に12時30分までに集合ということにするから、市内観光でもお土産あさりでも自由にしろ。但し時間に遅れたものにはチケットがあたらないからあとから自費で来てください」
昨年の旭川からだと2時間で札幌についてしまうけれども、函館からだと特急で4時間はかかる。自家用車を使うと高速を利用しても半日はつぶれるだろう。北海道内の移動はなかなか時間がかかることになる。道東までだと一日がかりになってしまう。本州に暮らす人との距離感の違いは大きい。
札幌に向かう特急列車が大沼公園駅を過ぎたあたりから武部とタクが学校祭の話で止まらなくなってしまった。樋渡がやって来てさらに盛り上がり過ぎたので、坪内キャプテンから「他の客の迷惑を考えろよ!」と言われたばっかりだったが、この車両に他の客はいなかった。南ヶ丘と清嶺高校以外の一般客は他の車両にいる。上野先生はおしゃべりに夢中な清嶺高校の生徒たちと一緒に大笑いしているし、沼田先生は他の高校の先生に連れていかれたまま戻ってきていなかった。
野田賢治は珍しく話を始めた健太郎と一緒に、彼らからずっと離れた席で車窓に流れ行く湖の水面を眺めていた。
「野田、ほんとに、学校祭、出るのか?」
まだまだET語から脱し切れていない健太郎の質問に渋い顔で応えながら「健太郎は何の係りさ?」と聞いたが「焼き鳥」とだけ答えて窓の外を見ているだけだった。
川相智子と山野紗季が武部たちの大声に負けて移動してきた。
「こっちに移住するからね」
そう言った山野紗季が荷物を網棚に上げた。
「裕也君もタックンも話し出したら止まらないからねー!」
珍しく不愉快そうな声でそう言った川相智子も網棚に大きなバックを上げて、二人は向かい合って座った。
健太郎が迷惑そうな顔で隣に座る山野紗季に声をかけた。
「寝るとこ、だった、のに」
「今寝てしまったら、夜寝られないでしょう!こんな時はちゃんと話をして過ごすのが仲間を作る鉄則なの!」
「いいよ、もう」
「なにがもうなの!人生終わりに差しかかったわけでもないでしょ!」
相変わらずこの二人は姉弟のような言い合いになってしまう。
「ねえ、本当に野田君も裕也君やタックンと一緒にステージ発表するの?」
「そうそう、函館駅で待ってる間にね、武部君のその話聞いたからみんなビックリだったよ!」
「イヤー、本当にもう、武部とタクにさー、ハメられてしまって……」
「ハメられたって?」
「久しぶりに学校に来たら、もう決まったからって断れない設定作りやがってさ……」
「そうかー、お爺さんのお葬式でいなかったからねー」
「ねえ、お爺さんってどんな人だったの?」
「うん。……昔のことは知らないけど、一緒に暮らしていたころはさ、毎朝6時には港まで行って一時間くらい歩き回ってた」
「朝の散歩?」
「散歩ってわけでもなくて……、港にいるのはみんなね、昔の仲間やその子供たちなんで、会う人会う人みんな話しかけてくるわけ、で、帰りには魚とか貝とかタコとかぶら下げて帰ってくるのさ。昔の仲間にもらってくるみたいで、いや、もらいに行ってるわけじゃないんだ。漁から帰って来た人たちがね『持ってけ』ってことになるらしい」
「網元だったからでしょう?」
「そう、それで長い話になることもあるし、挨拶だけで通り過ぎる時もあるし、水揚げされたばかりの魚や貝なんかを貰ってくるときもあった、ってことで……」
「へー、いいな!」
「それが目的じゃないんだけどさ、相手も持って行ってもらうことを喜んでるような、そんな気がした。昔っからずっとそうやって毎日港を歩き回っていたらしい」
「なんかさ、港の管理人みたいな感じなのかな」
「そうかもしれない、仲間たちの働きぶりを見てると安心できる、みたいな感じかな」
「さすがだね。自分の役割をちゃんと続けてたんだ」
「そうかもしれない」
「とっても盛大なお葬式だったって!」
「うん……」
「寂しいね」
「いや、そうでもない。なんか逆にこう、吹っ切れたみたいで、父親も今まで見たことない様な動きしてたし、ばあちゃんも父親たちと一緒に暮らすことになったし……弟たちともしばらくぶりに遊んできたしね」
「野田、弟妹いたのか?」
「まだ、小学二年生と5歳だ」
「えー、なんかかわいい!」
「うん、かわいいんだ……」
「でも、野田君ってお姉さんいそうな気がしてた」
「いるじゃない。誠さんもいるし菊池さんもいるものねー」
「……うん、まあそうだけど、野田君って弟っぽくない?」
「中川君みたく?」
「全然違いそう!」
「学校祭楽しみだね!」
「えー、気が重いよ!」
「大丈夫、みんな楽しみにしてるから。自信もって!」
「それこそ、最悪だよー!」
武部裕也と野田琢磨たちの作戦は札幌駅に着くまでずっと続いていた。4時間の「車内会議」でシナリオがすべで出来上がったと武部は目を輝かせていた。
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