いつか物語に
第58話 最終話
世界から魔物が消えて五十年。
今日も空は青く澄んで、地上では平和な日々がすぎている。
「暖かくていい天気ですねえ。お洗濯物がよく乾きます」
チレは大きなシーツをロープにひろげ、端を洗濯ばさみでとめていた。
海からの風が気持ちよく洗濯物をはためかす。チレの栗色の髪もさらりと風に流れた。
「本当になあ。お前が毎晩シーツを濡らすから、洗濯が大変だよなあ」
近くの芝生の上に寝転んでいるハクトがのんびりと呟く。それにチレは顔を赤くした。
「な、な、なんてことを言うんですかっ。そ、そ、それは私だけのせいではないでしょうが」
周囲には誰もいなかったが、チレはあたふたしながら答えた。
「……まったくもう。恥ずかしいことを言うのはやめてください。誰かに聞かれたらどうするんですか」
残りの洗濯物を手早く干して片づける。それからハクトのもとへいき、隣に腰かけた。
「何をしていらっしゃるんですか」
「記録の整理だよ」
ハクトの手には分厚い本があった。それをめくりながら話をする。
ふたりの暮らす召喚神殿は、聖女の降臨がなくなったので、最近、召喚記念神殿と名前が変えられた。儀式も行われなくなり、今は聖女と魔物の記録を保管するだけの場所となっている。
チレはここで数人の神官や使用人、そして元聖女と共に生活していた。
広い敷地と建物を守り、日々、歴代聖女への祈りを捧げ、ついでに掃除洗濯と元聖女の世話をして暮らしている。
最後の聖女であるハクトは、王様から報奨金をたっぷりもらい、ここでのんびり引退生活を楽しんでいた。戦いの記録を整理し、あとは昼寝をしたり、近隣住民の頼みを聞いてやったりしている。
「けれど、不思議なことですよね。この空の果てには、無数の異世界が存在して、そこで暮らしている人がいるなんて」
青い空に目をやり、チレはしみじみと話した。
世界は膨らんだ風船で、それが無限にぷかぷか浮いているとは、魔物や聖女がこの世界にこなければ、到底信じられないことだった。
「……ジェルヴェ様は、今ごろどこでどうしているのでしょうかねえ」
無限の回廊の存在さえ、今ではもう人々の記憶から消えかけている。いつか時が流れた先で、自分たちの話も神話になるのだろう。
「まああいつのことだろうから、死んじゃいないだろうがな。どこか遠くに飛ばされて、そこでまた悪さをしてるんじゃないだろうかなあ」
「では回廊の果てにある異世界で、魔王にでもなっているのでしょうか。自分の国を作りたがっていらっしゃいましたし」
「そしたらまた、その世界の勇者があいつに戦いを挑むんだろうよ。そんな簡単に悪がはびこれるわけがない。あいつはきっと、どこかの誰かにまた退治される運命にあるのさ」
「それは大変な人生でございますね」
「まあでも、それはまた別の世界での物語だ。俺らにはもう関係のない、遠い遠い国での英雄譚さ」
「遠い遠い国の英雄譚、でございますか」
強い風が吹いてきて、本の頁をぱらぱらとめくった。まだ真白い羊皮紙には、どんな物語も紡がれていない。
「ハクト様はこれから、ここに私たちの話を記録していくのですね」
「ああ。そうだ。俺がどこからやってきて、何をして、なぜ最後の聖女になったのかを、未来のルルクル人らに伝えていく」
「私のことも書かれるのでしょうか?」
「もちろんさ。世話焼きで騙されやすくて泣き虫な世話役がいたってことも、ちゃんと記していく」
「……騙されやすい泣き虫ってのは、書きかえてくださいよ」
ハクトが笑いながらチレの髪にキスをした。
「わかった。素直で可愛い世話役だと盛っておくよ」
「ありがとうございます」
チレもお礼にキスを返した。
ふたりの足元で、赤や黄色の花々が揺れる。優しい昼下がりに、幸せな時間が流れていく。
いつか未来に生まれてくる人々は、この地にかつて聖女と呼ばれた異世界人がいたことを知るのだろう。
何人もの聖女が戦った千年戦記の後に、最後の聖女が平和を取り戻した話と共に。
そうして最後の聖女は、召喚神殿の跡地に、世話役だったルルクル人と伴侶となって、幸せな人生を暮らしたことを、きっと暖炉脇やベッドの中で、祖父母や親から伝えられるのだろう。
――昔々、この世界には、闇の回廊からやってくる怖ろしい魔物と、それを倒そうとする聖女と呼ばれる異世界人がいたのだよ。――と。
【終】
召喚聖女に問題あり ~もふもふな世話役の恋と受難~ 伽野せり @togino
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