願い
第55話
ハクトはチレを抱きしめると、そのまま寝台にゴロンと横になった。ふわふわした身体を愛おしむように、ローブをまくり上げて、全身を何度も撫でてくる。チレはくすぐったさに身をよじりたくなったが、ハクトが喜ぶのならとそれを我慢した。
やがて気がすむまで被毛を楽しんだ後、チレの頭の天辺に顎をくっつけて「はあ」とため息をついた。
「チレ」
静かな声で呼ばれる。
「はい」
ハクトの手が、チレの後頭部をカシカシ掻く。気持ちよくてうっとりとなった。
「俺さあ、ここに帰ってくるまでに、魔力をほとんど使い果たしたんだよ」
「……」
チレは相手の腕の中で目を瞬かせた。
「もう、ほんのちょっとしか残ってない」
「そうでございますか」
激しい戦いを繰り広げ、その後長年漂流していたのだ。聖女の魔量は膨大とはいえ、使い切ったとしても不思議ではない。
「だからさ、最後の魔法は、お前のために使いたいんだ」
「私のために?」
「そう」
ハクトが顔を離して、チレと向かいあう。
「お前が望むことを、叶えてやりたい」
「……けど」
大切な魔力だ。自分のために使う方がいいのでは。そう思ったが、ハクトはただ微笑むだけだ。
「いいのですか?」
「ああ。そうしたいんだよ」
大きな手がチレの頬をゆっくり撫でる。
黒い瞳にあるのは優しげな想いのみ。ハクトがチレのことを本当に好きでいてくれるというのが伝わってくる眼差しだ。
「……では」
夜空を抱えこんだような、神秘的な色あいの虹彩を見つめつつ、望みを口にする。
「私を異世界人の姿にしてください」
その願いに、ハクトは目を見はった。
「ヒトに? ……いいのか」
「はい。私は、ハクト様と同じ姿になりたいです」
「けど、一度なったらもう、ルルクル人には戻れないんだぞ」
「構いません。ヒトにしてください」
そうして、この人と抱きあいたい。口づけを交わして、被毛のない肌を重ねあわせ、同じ形の性器を愛でて深くまで繋がりたい。
自分の瞳が潤んでいくのがわかった。この望みは、なんてはしたなくて欲望にまみれているんだろう。
けれどハクトは静かな目で見つめ返してきた。
「……ん。わかった」
長い腕がチレをギュウッと抱きしめる。
「このもふもふがなくなるのは残念だけど、俺も、お前とそうしたい」
ふたりの願いは一致したようで、ハクトは名残惜しげに何度か被毛をかき混ぜると、最後にチレの鼻の頭にキスをした。
そうして小さく告げる。
「ヒトになれ」
するとチレはしゅるるんと変化して、異世界人へと姿を変えた。さらさらの髪に、細長い手足。むき出しの肌は白くてつるつるしている。
「お前可愛い」
ハクトがじっとチレを見つめて、自然な口調でもらす。そこにはもう、強がりや意地悪は存在していなかった。
「ルルクル人のときもペットっぽくて可愛かったが、こっちのお前もすごく可愛い」
本心を隠さなくなったハクトは、何だか甘えたがりになったようだ。とろりとさがった目元は、言っている本人のほうがよっぽど可愛いい。好きな相手の初めて見る甘い表情に、チレもドキドキしてきた。
「これからはずっと、一緒にいような。もう俺もどこにもいかない。お前とここで、死ぬまで一緒に暮らす」
「はい」
「魔力がないから聖女の仕事はできないが、何か別の仕事を見つけて、お前を養っていく」
「私も働きます。この神殿では、仕事がいくつもありますから。私にハクト様を養わせてください」
「じゃあ共働きだ」
「はい」
ハクトが両手でチレの頬を包んでくる。そうして、顔をよせると、そっとキスをした。
「お前のことが好き」
相手の瞳に映っているのが自分だけという事実に、嬉しさで胸が絞られる。大好きな人が無事に帰ってきた。そして現実に口づけてくれている。これは夢じゃない。本当の出来事。
「……私もです」
チレも細い指でそっと相手の頬に触れた。異世界人の肌は温かくてすべすべしていて、いつ触っても不思議な感触だ。
「チレ」
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