大好き

第52話

 祝宴は朝まで続き、徹夜で歓迎されたハクトは、朝方、服だけ脱いでベッドに倒れこんだ。そのまま昼すぎまで熟睡する。

 起きれば風呂を使い、きれいになってから神官長らにことの次第を報告した。それが終わればまた歓待の宴が始まり、王様への報告書の作成や、救世軍や市民への顔見せなどあれこれあって、結局、祝いの席から解放されたのは帰還から五日後のことだった。

「やっと静かになったかな」

 記念祭も終わって、聖女の部屋に戻ったハクトは寝室のベッドにどっかりと腰をおろした。

「そうでございますねえ。皆、嬉しくてしょうがなくて、歓迎したくて仕方なかったんですから」

 チレはベッドサイドに燭台をのせながら言った。

「これからはゆっくりとお休みください。お疲れでしょう」

 一礼して、寝室から辞去しようとしたら、ハクトに手招かれた。

「はい?」

 まだ何か言いつけられるのかと彼に近づく。すると両手で抱えあげられた。

「ハ、ハクト様」

「ちょっと充電させろ」

「え? はい?」

 ハクトはチレを後ろから抱きしめるようにして、自分の膝の上に座らせた。もふもふっと毛を混ぜっ返して、全身をくすぐるように撫でてくる。

「ええっ、ちょ、っと、これは……」

「はぁ気持ちいい」

 チレの後頭部に顔を埋め、顔をわしわしと左右に振った。

「そんじょそこらのぬいぐるみより、ずっと肌触りがいいな。ふわふわでつやつやで、ほんのりあったかくて」

「……そうでございますか」

 くすぐったくてしょうがなかったが、聖女がそうしたいのなら、世話役として我慢するしかなかった。

「チレ」

「はい」

「お前……五十年間、ずっと、俺のこと、待ってたの?」

「……」

 ハクトの手が、チレの腹に回されている。異世界人の長くて細い指を見おろしながらチレは答えた。

「ええ」

「他に、することなかったのかよ」

 チレはわずかに微笑んだ。

「私は聖女様の世話役ですから」

「世話役だから、俺が帰ってきて、嬉しかったの? 泣くほどに」

 チレは身をよじって、後ろの人を見ようとした。けれどハクトはきつくチレを抱きすくめていたので、それはかなわなかった。

「では、……ハクト様は、なぜ、この世界に帰ってこられたのですか? ニホンに戻ることもなく」

「あの世界はもういいよ。未練はない」

「あんなに帰りたがっていたのに?」

「うん。もういいんだ。それよか、チレ、俺の質問に答えろよ」

「……」

 答えるには勇気のいる問いだった。

 ハクトが戻ってきてくれて泣くほど嬉しかったわけは、ひとつしかない。けれど、チレがハクトを想うのと同じように、相手も想ってくれているとは限らないのだ。

 五十年前、身体を繋げたあのとき、ハクトはチレに言った。

『俺にしてみりゃお前は、ただのハム人間だ。別に特別な想いなんて欠片もない。行為をしたのだって、魔力を戻すためだけだった。それだけだ。いい気になんな』

 あの言葉にチレはひどく傷ついた。自覚したばかりの恋心を打ち砕かれて、落ちこんで、それでも嫌いになれなくて、五十年間、ずっと心のしこりとして抱え続けてきた。ハクトの好きじゃない部分をあげつらって忘れようとしたけど、いつもそれを上回る好きな部分がたくさん浮かんできて、結局今でも大好きなままだ。

 再会できた嬉しさと、報われない恋心。喜びと悲しみが入り交じり、心は複雑に揺れ動いて、素直な気持ちを口にできなくなる。

「内緒です」

 だから本人には伝えないことにした。

「えっ?」

 ハクトが背後で顔をあげる。

「なんで?」

 予想外という声音だ。チレはその鈍感さにちょっと凹んだ。この人、自分が何を言ったのか憶えてないのかな。

「言いたくないからです」

 伝えたって、また傷つくだけだ。

「なんでだよ。なんで隠す?」

「だって、ハクト様に対する気持ちは、私にとってとても大切な想いなんです。だからもうあなたに踏みにじられたくないんです」

「俺が? 踏みにじった? いつ」

 ああこの人、完全に忘れてる。こっちは五十年という長い間、愛しさと切なさと心細さの狭間でさまよっていたというのに。

「憶えていないのなら、その程度のことなのでしょう。いえ、いいんです。私はたかがハム人間。聖女様に特別な想いを持つなど、いい気になってはあなた様に叱られます」

「はあ?」

 ハクトはチレの身体を持ちあげて、自分と向かいあうようにしようとした。しかしチレはそれに抗った。

「何言ってんだ?」

 本気で疑問符を浮かべる相手に、腹が立つ。

「私が何を言おうとハクト様には関係ありません」

「関係ないってどういうことだよ」

 バタバタ手足を動かして、相手の膝から降りようとした。しかしハクトの方が力が強い。

「関係ないから関係ないんです。私の気持ちはもう、放っておいて下さい」

「放っておけるか」

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