五十年後

第49話

 今日も晴れ空で、太陽が輝いている。気候は暖かで春の訪れが感じられる。

 チレはひとりで神殿の中庭に出て、せっせと花を摘んでいた。

 白、青、黄色に薄紅色。

 ハクトは花には興味がないようで、何を飾っても一言の感想もなかった。けれどチレは部屋が華やかになるのが好きだ。美しい花々には、淋しさを紛らわせる効果がある。主のいなくなった部屋だって、ちょっとは明るくなるだろう。だから花は絶やしたくなかった。

 短い両手一杯に花を抱えて立ちあがると、さあっと海風が吹いてきて腕の中の花びらを揺らす。チレは呼ばれるように海に目を移した。

 遠くに、かすかに魔物島が見えている。青く晴れた空と、澄んだ紺碧の海に挟まれ、小さく平たく浮いている。

「……」

 その姿を確認して、チレはキュウッと胸が絞られた。

「……ハクト様」

 彼がこの地を去って、五十年が経過していた。

 ――あの日、あの壮絶な戦いがあったとき。

 ハクトは闇落ちしたジェルヴェを掴まえて、穴へと一緒に落ちていったのだった。

 最後に遠い叫びが聞こえたのをチレは今も鮮明に憶えている。

 そして、ハクトは二度と戻ってこなかった。

 この世界を去り、どこか遠くの場所にいってしまった。

 その姿を脳裏に思い描いて、瞳に涙を浮かべる。

 ふたりの聖女が消えた後、救世軍は島へと船を向かわせた。チレも同行して上陸した。そこで皆が見たものは、消失した穴の痕跡だけだった。クレーターの真ん中、千年の間あいていた漆黒の穴はきれいになくなりむきだしの地面だけが丸く残っていた。

「……ハクト様が塞いだのだ」

 直感でそう思った。

 彼はこの世界を救うため、ジェルヴェを連れて闇の回廊へと突っこみ、穴を魔力でとじたのだ。

 そうとしか考えられない。

 きっと強大な魔力を使ったのだろう。ジェルヴェのときは数年であいた穴が、五十年経った今でも元に戻る様子はない。

 だからこの世界からは魔物が消えた。千年ぶりの平和な日常がやってきたのだ。

 人々は喜び、国は前よりも豊かになって、今では皆が幸せに暮らしている。そのため聖女の召喚も行われなくなった。魔物がいないのだから聖女も必要なくなったから。

 最後の聖女が消えた後、世話役のチレもお役御免となった。今では召喚神殿で、掃除と祈りの生活を行うのみになっている。

 ハクトはどこへいったのだろう。闇の回廊に落ちて、その後どうなってしまったのか。ジェルヴェには勝ったのか、もしくは共に死んだのか。

 それを知る術はない。

 チレはひょこひょこと聖女の部屋に向かうと、花瓶の手入れをして、窓際に花を飾った。明るい陽の光を浴びて、花たちは嬉しそうに笑っているようだった。

 そうして思い出す。

 ふたりででかけた草原でのピクニックを。

 初夏の暖かな日、お弁当を持って、遠くの原っぱまで飛んでいき、遊んだり寝転がったりしたりしたことを。

 あのときハクトはチレを異世界人の姿にして、優しくキスをした。それからなぜか「バカチレ」と叫んで駆けていき、小さな動物を追いかけて回った。それを自分は呆れながら見守った。

 二度と戻らない日々を思い描くとチレの瞳はまた濡れてしまう。もうずいぶんと年月が経つのに。まだ悲しみは薄まってくれない。

 被毛を濡らす涙を指で拭っていると、後ろから「チレ様」と呼ばれた。

 振り返れば、若い神官がひとり立っていた。

「そろそろ祭りの準備が整いますが。チレ様は島に向かわれますか?」

「ああ、そうですね。今年は五十年という区切りですから。島にいって式典に参加します」

「わかりました。では、船に伝えてきます。あと少しで出航しますので急いでください」

「すぐに着がえて向かいますね」

「はい」

 神官が出ていくと、チレは手早く式典用のローブに着替えて神殿を出た。あたりは勝利記念日の準備に追われて、人々が忙しそうに立ち働いている。出店でみせの支度や楽団の用意をするルルクル人の間を抜け、崖に取りつけられた階段をおりて砂浜に出る。そこには小舟が一艘ひかえていた。それに乗って沖へ出て、かつては軍艦であった帆船に乗りこむ。

 船は真っ直ぐ魔物島へと向かった。

「チレは魔物島へ降りるのは、久しぶりではないかの」

 甲板で、横に立つ老神官長が聞いてくる。

「はい、そうですね。十年ぶりです」

 ふたりの背後で船員が大きな笑い声をあげた。それを眺めて神官長が呟く。

「この船も変わったのう。救世軍の兵士はもう殆どおらぬ」

「そうですね」

 魔物との戦を憶えている者は、ここにいるだろうか。最後の聖女の姿を記憶にとどめている者は、この船に同乗しているのか。五十年という月日は長い。

 やがて船は島に近づき、チレらは小舟に分乗して岩場から上陸した。

 クレーター近くの平地に、式典用の祭壇が設置されている。簡易型の卓上には白い布が敷かれ、その上に燭台や花、酒やたくさんの料理に、山盛りの果物が並べられていた。

 神官や救世軍の元将校、そして神殿近くに領地を構えた貴族らが見守る中、式典が開始される。老神官長が祭壇の前に立ち、聖女への讃辞を述べ、チレも神妙にその言葉に耳を傾けた。

 式が進み、ハクトが穴に落ちた時刻になると、神官長が両手を空にあげて高らかに彼の名を呼ぶ。この世界を救ってくれた感謝と、彼の魂の救済を願って、ひときわ大きく祈りの言葉を唱える。それが終われば、皆も同じように彼の名前を繰り返した。

 一通り式典が終了すると、一同は船に戻り始めた。召喚神殿では、祝宴の準備が整えられているはずだった。 

「チレ、お前は戻らないのか」

 魔法島に駐屯している救世軍の兵士に、今夜の寝床を頼んでいると、神官長にたずねられる。

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