第48話

 唇が離れると、ハクトは立ちあがった。そして空を仰ぐ。

 見ればジェルヴェが降下してくるところだった。

「そのネズミをよこせ」

 地上に降り立った闇の聖女が冷たく言う。

「嫌だね」

 ハクトは即答した。それに相手が嫌らしく笑う。

「私に敵うと思っているのか」

「やってみなきゃわかんねえだろ」

「愚かな」

 ジェルヴェがゆらりと片手をあげた。

「チレ、逃げろ」

 言うなり、ハクトがジェルヴェに向かって走り出す。

「ハクト様!」

 真っ直ぐに駆けながら、ハクトは巨大なドラゴンに変身した。いつもチレにさせていた変化そのままに、白銀に煌めく魔物に姿を変える。そうして光のいかずちをジェルヴェに放った。

 天を切り裂く鋭い音が轟いて、あたりが純白に輝く。

 しかし対するジェルヴェも負けてはいなかった。間一髪で落雷を避け、空に飛び立つ。そして漆黒の竜に変身した。

 二匹の巨大な竜が、空中で対峙する。ハクトが白い光線を口から撃ち出せば、ジェルヴェは黒い炎を噴き出した。互いに相手を打ち負かそうと、旋回しながら攻撃を繰り返す。

 チレはハラハラしつつ地上からそれを見つめた。

「あれはいったい、どういうことだ」

「聖女同士が戦っているのか?」

 焼け出された兵士らがやってきて、チレの横で戸惑いの声をあげる。

「ハクト様が、この世界を救うために、戦っておられるのです」

 チレが彼らに言う。ハクトは今、命をかけてルルクル人を救おうとしているのだ。

 強大な魔力を持つふたりの聖女の熾烈な戦いに、手出しできる者などひとりもいない。皆ただ緊張した面持ちで、成り行きを見守るしかなかった。

 戦いはやはりジェルヴェに分があるようで、ハクトは巧みに攻撃していたが、次第に動きが鈍くなり、やがて傷を負ってしまい、片方の翼がうまく羽ばたかなくなった。

「ああ、ハクト様……」

 チレは祈る思いで、白銀の竜を見つめた。

 ジェルヴェが勝利を確信したのか「ギャアアウッ」と声高に叫ぶ。そしてハクトにとどめを刺そうと、大きく口をあけた。

「……ハクト様っ!」

 そのときハクトの身体が震えた。ビリビリと痙攣し、最後の力を振り絞るように全身を輝かせると、光の速さでジェルヴェに体あたりしていく。

 目を剥くチレの前で、ジェルヴェに激しくぶつかると、瞬間、白蛇に変化する。そのまま黒竜の身体に巻きついて、彼を締めあげた。

「ギャオアオウウウウウッ」

 先刻の勝利の雄叫びと違い、ジェルヴェが今度は苦痛の叫びを轟かせる。白蛇は黒竜を引っ張るようにして海上へと向かっていった。

 残った力を振り絞り、身体から血を滴らせて、白蛇のハクトは、魔物島へと進んでいく。

「どうなさるおつもりなのか……」

 遠目でその姿を追うが、次第にふたりの姿は小さくなり、やがて黒い点になってしまった。

「もしや」

 チレは嫌な予感に全身を震わせた。

 魔物島のクレーターの真上にくると、黒い点は絶叫をあげた。悲鳴に近い声が海上に響いたかと思った瞬間、点はいきなりクレーターへと落下していった。

「――ああっ」

 チレの予想したとおり、ふたりの聖女は穴へと突進していった。

 姿が消える直前、断末魔が聞こえたが、それがどちらのものだったのかはわからない。

「ヒギィィィィ――…………」

 怖ろしい雄叫びは長い尾を引いて消えていった。

 その後はいくら待っても、ふたたび二体が姿をあらわすことはなかった。

 あたりには何事もなかったかのような静寂が戻ってくる。

「消えた……?」

 兵士のひとりがポツリともらした。

「ど、どうなったのだ」

「どっちが勝った」

 皆が目をこらして島を眺める。しかしもう、何も変化は起こらなかった。

 さっきまでの物々しさは嘘のように消え、海は凪ぎ、そよ風は優しく吹いている。

 沈み終えた夕日も、空を茜色に彩るのみだ。

「……」

 残されたルルクル人らは、何が起きたのかわからないといった顔で、いつまでも魔物島の方角をぼんやりと見つめていた。

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