聖女の戦い
第47話
ジェルヴェは空を駆け、救世軍が天幕を張る駐屯地に向かった。
海と陸の境にある崖の上では、草地で多くの兵士らが夕餉を前にくつろいでいる。見廻りをする者、交代を控えて談笑する者。彼らはジェルヴェが近づいていくと、顔をあげて手を振った。歓迎ムードのその頭上で、ジェルヴェはチレをぶらさげたまま酷薄に笑った。
「馬鹿どもが。すべて消え失せるがいい」
そして片手を突き出す。何をするのかと疑問を抱く間もなく、指先から炎が噴き出された。
ゴオオウッと激しい音を立てて、紅蓮の炎がテントに落ちていく。
ルルクル人らは一瞬、何が起きているのかわからないといった表情でキョトンとなった。しかし天幕から大きな火があがると、それが夢ではないと悟り、一斉に悲鳴をあげて逃げ出した。
ジェルヴェが彼らを追いかけ、手から炎を繰り出す。阿鼻叫喚の渦がわき起こり、チレは怖気立った。
「やめてください、ジェルヴェ様っ」
「あはは、見てみろ、焼きネズミのできあがりだ」
「お願いです、やめてくださいっ」
チレの嘆願は無視され、ジェルヴェは旋回しながら火を放った。その顔は虐殺を楽しんでいるとしか思えない様相だ。
悪夢のような光景に、チレは呆然とした。
「……こんな、こんなことが」
聖女であるはずの人物が、このような邪悪な振る舞いをするなんて。あり得ない。
しかし現実に、ジェルヴェはルルクル人を攻撃している。
この人の力を持ってすれば、世界の住民すべてを焼き尽くすことも可能だろう。
チレはハクトが言っていた言葉を思い出した。
――この世界の行く末を決めるのは、聖女の意思が関係している。強すぎる魔力が、世界のあり方を変えるんだ。
闇落ちする聖女の可能性を、ハクトは予感していたのか。だからああ言ったのか。
眼下の地獄に混乱しながら、けれどできることは何もなく、黙って眺めているしかないチレは悔しさに死にそうになった。
そのとき、どこからともなく、シュルッと風を切る音が聞こえてきた。瞬間、チレの身体がパシリと大きく弾き飛ばされる。
「――あッ」
ジェルヴェの縄から切り離されて、チレは宙を舞った。そのまま落下しそうになるが、すぐにストンと何かに受けとめられる。
目をみはると、ハクトに抱きかかえられていた。
「……ハクト様」
「怪我はないか」
ハクトはチレを抱いたまま、駐屯地から離れた場所に着地した。草地の上にチレをおろすと、魔法で縄の残りを切る。
「あの野郎、一体なにしてやがるんだ」
もうもうと煙をあげて燃える天幕を眺めて怒りの声をあげた。
「ジェルヴェ様は、我々を全滅させるおつもりなのです。そうして、自分だけの新たな国を作りあげるのだと言いました」
「何だと?」
ハクトは空を見あげて、ジェルヴェの姿を探した。
「そうか。そういう考えだったのか。あいつ、やっと正体をあわらしやがったな」
「ハクト様は、ジェルヴェ様の考えをわかっていたのですか」
それにハクトが口元を歪める。
「気配だけな。奴からは黒い気がぷんぷんしていたから」
「そうなのですか」
チレにはまったくわからなかった。きっと聖女にだけわかる気の流れだったのだろう。
「どうしたらいいのでしょう。ジェルヴェ様はもう、聖女ではありません。このままでは、ルルクル人は残さず殺されてしまいます」
チレはハクトに縋った。
「わかってる。奴を倒さなきゃ、俺も殺されるだろう。だが、あいつの魔力は俺を上回っている。しかもどす黒い闇の魔力だ。正面から戦っても勝てる気はしない」
「ではどうすれば」
震え声でたずねるチレに、ハクトが目を向けてくる。
「チレ」
落ち着いた、余裕のある声音だった。けれど表情は切羽詰まっていた。
「やるだけは、やってみる。俺もまだ魔力は充分にあるしな」
「ハクト様」
「負けたら骨を拾ってくれ」
「ええっ」
チレが絶望的な顔になると、その頬に素早くキスをする。
「けど、俺は頭がよくて目端はきくって、よく上司に言われてたんだ」
「では」
「その頭を使って何とかしてみる」
口の端をあげて、笑い顔になったハクトが言った。
「お前と世界を必ず救ってみせるよ」
「……ハクト様」
「短い間だったけど、一緒にすごせて楽しかった」
頬肉を横に引っ張ってむにむにする。何度もされた仕草にチレはたまらなく悲しくなる。
「嫌です」
口が勝手に動いていた。
「嫌です。ハクト様を失いたくない」
いかないで欲しい。いけばきっとハクトは命を落とす。
チレの懇願に、ハクトは目を見ひらき、それから苦笑した。
「バカ言ってんなよ。お前ら、何のために俺を召喚したんだ」
「……」
「最後に格好いい聖女を見せてやるよ」
チレにかるく口づける。
「じゃあな」
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