ジェルヴェの本心

第45話

 控え室に戻る気になれなくて、階段をおりて中庭に向かう。途中でもぞもぞとローブを身に着けると、傷心のまま夕暮れの庭を歩いた。

 ひどい言われようだった。チレのことが気に食わないとしても、あの言い様はひどすぎる。歩いていると涙がボロボロとこぼれた。余りのショックに拭うことも忘れて、ただ流れるに任せて被毛を濡らす。

 恋心を自覚したばかりだというのに、こんな仕打ちをうけるなんて。

 ふらふらと中庭をさまよって、花壇に咲いているきれいな花を見て、これを持っていったらハクトは機嫌を直してくれるかなあと世話役の癖でまたそんなことを考えてしまった。

 海からの風で、花がそよそよと揺れている。それをしゃがんでじっと見つめた。

「……ハクト様は、ここを出ていかれるつもりなんだ。私のことも赤の他人と言われた。……だったら、私も、この気持ちを諦めなければ」

 もう二度と会えなくなるかも知れない。ならばずっと想い続けるのはつらすぎる。

「忘れなきゃ。楽しかった日々も、恋したこともぜんぶ」

 涙がとまるまで、花を相手に独り言をもらす。

「大丈夫、長い時間をかければきっと、忘れられる。……だいたい、あの人の一体どこを好きになったのか、自分だってよくわかんないんだしな」

 足元の雑草をブチブチちぎって呟いていたら、段々恨み節に変わっていった。

「異世界人にしては見てくれはいいんだけど、性格はすごく悪いし、言い方も乱暴だし。それに、ここを出ていくにしたってあんな捨て台詞残しておく必要なんてないじゃないか。ありがとう、じゃあね、ってお別れすればいいだけのことなのに。……しかも私のことをハム人間とかバカとか言うし。ホント、どこが好きだったんだろ」

 そう考えれば、少し冷静さが戻ってきた。

「……仕事、しなきゃ」

 泣いてばかりもいられない。三百年、聖女がいる間は、一日も休まずに働いてきた。いつまでもここでサボっていたら神官長に叱られる。

 チレは立ちあがると、手で被毛をなでてきれいに毛繕いをした。

 それからジェルヴェの部屋へ向かう。そろそろ夕食の準備をしなくてはならない。ハクトのベッドで数時間をすごしていたから、仕事が溜まっていた。

 ジェルヴェの部屋に入ると、彼はベッドの中で、枕に上体を預けてくつろいでいた。

「チレ」

 こちらを見て、かるく目を見ひらく。

「どうしたんだい? 今日は昼から沐浴をする予定だったのに」

「……ああ。そうでした、すみません」

 ハクトの寝室で魔力を返し、その後少し眠ってしまったので、すっかり予定を忘れていた。

「ちょっと、別の用事が入ってしまい、忙しくて」

 モゴモゴと言い訳をすると、ジェルヴェはゆったりとうなずいた。

「そう。だったらいいけど。何かあったのかと心配したよ」

 ――心配したよ。

 その言葉が胸を打った。ハクトとは違う優しさを見せられて、瞳からまた涙がボロボロとこぼれた。

「どうしたんだい?」

「い、いえ。何でもありません。少し、目にゴミが入ってしまって。ああ、すぐに夕食の準備をします。ベッドで召しあがりますか、それともテーブルにしますか」

「今日はテーブルにしようか」

「では、こちらに」

 チレは手で涙を拭い、立ちあがるジェルヴェを支えようと手を差し出した。

「ありがとう」

 ジェルヴェが微笑んで、その手を取る。

 そのとき、脳内に奇妙な声が響いた。

『――チッ、汚ないな。涙を拭いた手で触るなよ』

 口汚い悪態に、チレはビックリして目を大きく剥いた。

「え?」

 思わずジェルヴェの手を振り払う。

 どこから聞こえたのかと周囲を見渡すと、頭上の人に不思議そうな顔をされた。

「どうしたのかい?」

「あ、い、いいえ」

 何だろう。今のは。ただの空耳にしては明瞭だったけど。

 チレはもう一度、ジェルヴェの手を取った。するとまた声がした。

『だからぁ。汚ないんだよ。気安く触るんじゃないよ』

 チレは目をみはって、ジェルヴェを見あげた。しかし相手はにこやかに笑んでいる。

「……」

 一体何が起きているのかわからなかった。

 この声は誰のものなのか。どこから聞こえてくるのか。声質はジェルヴェに似ているが、話している内容はとても彼のものとは思えない。

「どうかした?」

 少し戸惑い気味になったジェルヴェから、チレはそっと手を離して首を振った。

「あ、えと、テーブルにお連れする前に、食事の準備を整えなきゃいけないのに。あはは。順番を間違えました」

「そう。粗忽者だね」

「すみません。もうしばらくお待ちください」

 ぺこりと頭をさげて、急いで寝室を出る。そうして召使いを呼んで夕食を運ばせた。

 皿や布巾を並べながら、先ほど起こった奇妙な現象について考える。

 あれは誰が放った言葉だったのか。ジェルヴェか、それとも別の誰かが悪戯をしているのか。

「……もしかして、ハクト様?」

 彼が手のこんだ嫌がらせを、ジェルヴェに?

 チレはブルブルと頭を振った。ハクトはチレに対して意地悪だったけど、こんな陰険な悪戯をしたりはしない。

「だったら……」

 手の先が急に冷えていく。

 ――人の気持ちなんて、他人にはわからんもんだろ。

 ハクトの言葉が思い出される。

 あのとき、自分は彼に腹を立てて言い返していた。

 ――ジェルヴェ様は、ハクト様と、違います。

 ――どう違うってんだよ。はっきり言えんのかよ。あいつの考えを。

 ――わからないけど、きっとそうです。

 根拠のない強い思いこみで、きっとそうなどと反論した。

「……」

 テーブルに温かな食事を並べ終わると、チレはジェルヴェの元に戻った。

「どうぞ、ジェルヴェ様。まだお身体に触りますから、私を支えにしてください」

 チレは自分の手を差し出した。

「ありがとう」

 ジェルヴェが床に足をおろして、布製のやわらかな靴を履く。そうしてチレの手のひらに長い指を乗せた。

『本当は触りたくないんだよな。何か気色悪いし』

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