行為の中で
第41話
ハクトはチレを抱きあげると、見晴台から飛び降りた。ヒュン、と風を切って落下し、自分の部屋の窓から室内にストンと入る。
目を見はるチレを抱えたまま、スタスタと寝室まで歩いていくと、ベッド上にチレを放り投げた。ポスンと尻餅をついて転がる身体に、ハクトが呪文を唱える。
「ヒトになれ」
それでチレはぽややんと異世界人に変身した。
「……ハクト様」
白い足を短いローブからむき出しにした、しどけない姿があらわれる。
「魔力が戻れば、もう俺と一緒に戦う必要もなくなる。お前は自由だ」
「……」
「それで、ジェルヴェのところへいけばいいさ」
「そんな」
チレは首を振った。
こんな形で魔力を返したくなかった。いや、それ以前にハクトに魔力を戻したくなかった。戻せばこの人との縁も切れてしまう。
ハクトが自分の服に手をかける。背広に似せたデザインの服は、彼のための特注品だ。その上着を脱ぎ捨てる。
「……してしまえば、他のルルクル人に、したことがバレてしまいますよ」
ずっと前に、ハクトはそれが嫌でチレと寝ることを拒んだはずだ。その話を持ち出すと、ハクトが片頬をゆがめて笑った。
「ああそうかもな。ジェルヴェにもバレるだろな」
だったら何だよ、という顔で言い捨てる。
「……恥ずかしいのでは?」
「お前はするのが嫌なんだ? 恥ずかしい?」
チレは頬が熱くなった。もちろん恥ずかしいのはそうなのだが、心の奥底では嫌ではなかったからだ。
「……ハクト様が、そう望まれるのなら」
「世話役に拒否権はないってか」
フン、と鼻で笑って、シャツの釦を外していく。チレは視線をそらした。ハクトは上半身裸になって、立ったまま片足をベッドにのせて長革靴も脱いだ。
いつもハクトの沐浴を手伝っているから、半裸の姿は見慣れているはずなのに、今日はどうしてかドキドキしてしまう。
「ほら、お前も脱げよ」
命令されてもチレは身体が動かなかった。
「とっとと魔力を戻して、終わりにしちまおうぜ」
露悪的な言い草は聞きなれたものだったけれど、チレはふと、なぜか彼が虚勢を張っているような印象も受けた。
どうしてなんだろう。この人は怒りから行為をしようとしているはずなのに。
チレは自分の勘違いなのかと彼を見返した。黒い瞳は怒っているようで、けど哀しんでいるようでもあって、はっきりとはわからない。
ハクトはさっき、人の気持ちなんて他人にはわからないものだと言い放った。確かにそうだろう。
チレはこの人がわからない。
ハクトはズボンも脱いで捨てると、ベッドに乗りあげてきた。
「ヤってる最中は、魔力よ戻れ、ってちゃんと祈らないといけないからな」
「……」
「他のことは考えるなよ。俺に魔力を戻すことだけ、考えるんだぞ」
命じられれば従うしかない。
「……はい」
渋々答えると、近づいてきたハクトがチレのローブに手をかけた。
「自由になったら、お前はどうしたいのか。自分の意思で決めろ」
「ハクト様」
「命令だ」
ローブをまくりあげて首から引き抜く。すると素裸のチレがあらわれた。地肌丸出しは落ち着かなくて、両手で胸をかき抱こうとすると、その手首を捕まれた。
ハクトが目を伏せ気味にして、ゆっくりと近づいてくる。
蠱惑的なこの表情があらわれる瞬間が、チレはいつも好きだった。黒い瞳に、長い睫毛。真っ直ぐな鼻筋は、とても綺麗な造形だと思う。
けれどそれも、今日で最後だ。
魔力が彼に戻れば、キスをする理由もなくなる。こんな風にふたりきりのときをすごすのも、これで終わり。
そう考えると、胸の奥から如何ともし難い感情がわいてきた。それが何なのか、未熟なチレにはよくわからない。
三百年も生きてきて、自分はまだ何も知らないでいる。清純な童貞であること、それは聖女に使える身として、とても大切な戒めだった。だからその教えを守り、チレは誰にも恋をしないでいた。
――恋?
恋なんだろうか。この気持ちは。
ハクトはチレに対して意地悪で、命令ばかりしてきて、今だってこんな理不尽な仕打ちをしようとしているのに。
なのに、嫌じゃない。
この人の願いを聞いて、望みを叶えてあげるのが、嫌じゃない。それは長年染みついた世話役としての責務からなんだろうか――。
ハクトの唇が、静かにチレの唇に触れた。やわらかくて温かくて乾いている。応えるように唇をそっとひらくと、舌が口の中に入ってきた。濡れた舌先を甘く感じる。ほんのりと砂糖のような香りを覚えるのは、自分が彼を欲しがっているからなのか。
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