不機嫌なハクト

第39話

 チレは、ジェルヴェにハクトの無礼を詫びてから、急いで部屋を出た。

 ハクトを追いかけたが、どこにも見あたらない。

「……どこへいかれたんだろう」

 ハクトの言った言葉が気にかかる。聖女がひとりでなくてはならない理由、そして片方は消えねばならず、その原因が自分にあるとは。あの人たちは一体ぜんたい何を競っているのか。

 ハクトは心根は真っ直ぐで純粋な人だ。そのことをチレはよくわかっている。だから彼がどうしてああまで意固地にジェルヴェと対立するか理解できなかった。

「もしかしてハクト様は、私がジェルヴェ様につきっきりになったのが、気に食わないのか」

 思いついた考えに、まさかとフルフル首を振る。たかが世話役ひとり。取りあうほどの価値が自分にあるとは思えない。

「でもハクト様はあれで、私のことをずいぶんと気に入ってくださっていたから」

 口にすれば、頬が熱を持つ。

「キスしたり、一緒に戦ったり、普通ではない関係になってるけど……」

 ハクトは甘えたがりなところがあることも、もう理解している。

「私とジェルヴェ様が、同じような関係なるかもしれないことを、嫌がって、妬いているのかも」

 チレはプルプルと首を振った。

「思いあがりも甚だしい。高貴な聖女様の考えを、私の個人的な予想で貶めてはいけない」

 きっと他に何か理由があるのだ。ハクトを見つけて何に機嫌を損ねているのかちゃんと聞き出そう。もしも自分に原因があるのならそれを正していこう。

 チレはそう決意しながらハクトを探した。

 聖女の部屋や中庭、書庫に建物の裏まで神殿中をくまなくテコテコと走り回って、最後に主塔の一番上、天辺の見晴台までやってきて、チレはようやく本人を探しあてた。

「……ハ……」

 声をかけようとして、一瞬ためらう。

 さほど広くない見晴台は、屋根部分が四本の柱に支えられた吹きさらしの小部屋になっている。その一画、低い石壁の手すりにハクトは腰をかけていた。

 こちらに横顔を向けた姿は、――遠い昔、見たことのある光景だった。

 けれどハクトをここで見るのは初めてだ。どういうことだろうと考えて、かつて同じ体勢で手すりに腰かけた人がいたことを思い出した。

 ――ジェルヴェ様。

 そうだ。三百年前、ジェルヴェもここで、こうやって遠い景色を眺めていた。何かを思い煩う表情で、太陽の沈みかけた海をじっと望んでいた。あれはたしかジェルヴェが穴に飛びこむ前日だった気がする。

 チレはハクトも消えてしまうような嫌な予感に襲われて、一歩を踏み出した。

「ハクト様」

 小さく呼びかけると、目だけをこちらに向けてくる。

「何を、怒っていらっしゃるのですか。私には、ちっともわからないのですが」

 少し離れた場所からおずおずと話しかけた。海風が強くて、チレの声もかき消されそうだ。

「わかんねーのか」

 ハクトが仕方なさそうな口調で答える。

「わかりません。聖女がふたりではダメな理由も」

「だろうなあ」

 わからなくてもあたり前、という声だ。ではなぜあんな問いを自分にしたのか。

 ハクトはまた眼差しを海に向けた。銀灰色の海は、厚く張った雲のせいか、どんよりと重たげに波打っている。今日は風が強く、空では雲が渦を巻いて流れていた。季節外れの冷たい空気がローブの中に入りこみ、不穏な予感にチレは身をすくませた。

「この世界の行く末を決めるのは、聖女の意思が関係しているからさ」

 不意にハクトが言った。

「聖女の意思?」

 チレが目を瞬かせる。

「強すぎる魔力が、世界のあり方を変える。この地に最初の聖女が降臨して以来、世界を統べてきたのは、王ではなく聖女の力だった。聖女が魔物を退治するから、この国は生き残れた。そして、俺とあいつは、どうやら選ぶ未来が違うらしい」

 チレは首を傾げた。

「聖女様の魔力が強大で、そのお力のおかげで我々の生活が守られているのは存じあげております。聖女様が選ぶ未来が我らの未来になることも。けど、選ぶ未来が違うとは?」

 自分にはちんぷんかんぷんだ。

「しかも、そんなに壮大な話に、なぜ私のような一介のルルクル人が関係してくるのでしょう」

 ハクトがやっとこちらを向く。

「なぜって? ……それは」

 片頬をゆがめるようにして笑う。

「お前の望みを、叶えたいと俺が思ってるからさ」

 チレは目を見ひらいた。

「お前がこの世界で、ちっこい身体をちょこちょこ動かして働いたり、笑ったり怒ったり、俺の命令をきいて怪獣になったりする姿が、笑えるほど、呆れるほど可愛いと思えてしまうときが悔しいけどあるからだよわかったか」

「え?」

 最後は早口で一気に喋るものだから、風に吹き飛ばされてチレにはよく聞こえなかった。 

「それからお前は、……俺が日本においてきた初恋を、ちゃんと認めて、……救ってくれた」

 絞り出すような呟きは、途切れ途切れにしか耳に届かない。

「……はい?」

 問い返すも、意地悪なハクトは二度と同じことは言ってくれなかった。いささか恥ずかしげな表情で、また海へと視線を投げてしまう。

 そしてぽつりとこぼした。

「でもお前はきっと、神官長と一緒にあいつを聖女に選ぶんだろうな」

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