対立する聖女

第38話

 ジェルヴェの部屋を辞した後、ひとりになったチレは、彼の言葉に嬉しさを噛みしめた。

 ずっと君に会いたかったと言ってもらえた。素直で勤勉と褒めてもらえた。そのことが、今までの後悔を洗い流してくれる心地がする。

「ジェルヴェ様はお優しい」

 温かな感情が、ふんわりと身体中に満ちていた。

 そのままの気持ちで、中庭を横切りハクトの部屋に向かおうとしたら、ベンチに腰かける本人を見つけた。また今日もぼんやりと空を眺めている。ここのところ、何かを考える様子で物思いにふける姿を何度も見かけていた。

「ハクト様」

 そっと近づいていき、声をかける。

「なんだよ」

 ハクトは目だけをこちらに向けて、つまらなさそうに答えた。どうやらまだ機嫌が悪いらしい。

「あの、……昨日は、失礼なことを言ってしまい、大変申し訳ございませんでした」

「失礼なこと? ――ああ」

 少し考えてから、首肯する。

「別にあれくらいどうってことねえよ」

 大したことないという口調で肩をすくめた。それにホッとする。すると別の話題を持ち出された。

「ていうか、お前、俺の世話役やめたの?」

 ハクトが冷たい半眼でたずねてくる。

「えっ。や、やめてませんが」

「けど、ここんとこずっと、あいつんとこにこもりっきりじゃん。俺んとこには別の奴がきてるし」

「それは、一度にふたりのお世話はできませんので、今は、召使いに手伝わせているのです」

「それっていつまで? ずっと?」

「ええと、……ジェルヴェ様が回復されるまで」

「回復したら俺んとこ戻って、あいつには別の世話役つけんの?」

「それはまだ、決まってませんが」

 チレはハクトがどうして世話役に拘るのか、よくわからなかった。

「それって誰が決めんの? 神官長? それともお前? てかあいつもう、そこそこ元気じゃん。お前がついてる必要ある?」

「けれど、あのお方も聖女様でいらっしゃいますし」

「俺が当代聖女だろ。魔物倒してんだし。だからお前は俺の世話役だろが」

「し、しかし、今後はどうなるか」

「じゃあ早く決めようぜ。どっちが正式な聖女なのかをよ」

「……」

 ふたりで仲よく魔物退治をするという発想が、この人にはないのだろうか。なぜそこまでジェルヴェを敵対視するのか、チレにはまったくわからなかった。

 困惑するチレを見て、ハクトは焦れた顔になるといきなり立ちあがった。

 大股でずんずん中庭を横切って回廊を渡っていく。チレはどうしたのかと慌てて後を追いかけた。

 やがて神官長の執務室へ着くと、ハクトはノックもせずドアをあけて、食事中だった神官長を無理矢理抱えあげた。

「え? や、あの、何でしょう?」

 パンの欠片を頬張る神官長を片手に、ジェルヴェの部屋に向かう。こちらもノックなしに中に入った。

「今すぐ、決めろよ。どっちが本当の聖女なのか」

 ベッドに上半身を起こしてくつろいでいたジェルヴェの前で、神官長を床に転がして命令する。追いかけてきたチレが老体を助け起こした。

「ええっ?」

 本当も何も、ふたりとも本物の聖女だ。なのに一体何を争おうと言うのか。

 しかし、ハクトの言葉にジェルヴェは納得した様子で鷹揚にうなずいた。

「いいでしょう」

 ふたりの間に、冷たい火花が散るようだった。

「……あの、どうして、そんなことを決めなければならないのでしょうか。聖女様がふたりという前例を作っても、我々はまったく構わないのですが」

 神官長がおずおずと提案するのを、ハクトが却下した。

「俺は構うね」

 それにジェルヴェも同意した。

「私もです」

 なぜに? と目を剥くルルクル人に、異世界人だけの会話が続く。

「この世界を統べる聖女はひとりで十分だからだ。そうだろ?」

「ええ、まさしく。そのとおり。よくわかってらっしゃる」

 ジェルヴェがおっとりと微笑んだ。

「ひとりには消えてもらわないとな」

「仰るとおり」

 剣呑な台詞に、チレは驚いた。

「どうしてなんですか? ふたりで交代に魔物退治をすればいいじゃないですか。協力しあって、親交を深めて、皆で仲良くやっていきましょうよ」

「無理だ」

「なぜなんですか、わかりません」

 ハクトの視線が、チレに注がれる。

「その理由は、チレ、お前にあるんだよ」

「えっ」

 チレが目をみはった。

「私に?」

「そうだ。だから、チレ、お前が決めろ」

「ええっ? 私が?」

「どっちの聖女の世話をしたいか。お前が選ぶんだ」

「そ、そんな」

 唖然とするチレに、ジェルヴェが微笑む。

「この世界は、チレのために。ですか。なるほど聞いていたとおり純真なお方ですね」

 指先を顎にあてて優雅に口角をあげる。

「どういうことですか……?」

 まったく意味がわからないチレに、ハクトが答えを迫った。

「いいから早く決めろよ」

 混乱するチレは弱々しく首を振るしかなった。

「……無理です。そんな、決められませんよ」

 どちらかなんて、絶対に無理だ。選べない。選ばなければならない理由もわからない。

 小さく縮こまって答えを拒否したチレに、皆の視線が集まった。ハクトはチレを睨むようにしている。ジェルヴェは冷静に状況を見つめるだけだ。神官はただ怯えるのみ。

 張りつめた空気の中、やがてハクトが焦れた様子で「チッ」と舌打ちした。

「バカチレめ」

 口汚く言い捨てると、話を打ち切ってひとりで部屋を出ていってしまった。

 身勝手に言いたいことだけ言って、話しあいすらしなかったハクトの言動に、神官長が戸惑いのため息をもらす。

「一体何が不満なんじゃろう」

 傍らのチレも首を振った。

「わかりません。まったく」

 なぜ自分が関係しているのかも。 

「聖女の資質ということであれば、ジェルヴェ様のほうがよっぽど向いていると思われるのじゃが。……困ったもんじゃのう」

 神官長の言葉に、しかしチレはすぐには同意できなかった。

 ハクトが何を考えているのかまるでわからない。だから素直にはうなずけなかったのだ。

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