優しいジェルヴェ

第37話

 ハクトと仲違いをしてしまった。

 彼と別れた後、チレは自分の言動をひどく反省した。

 あれは世話役として正しいふるまいではなかった。自分が間違っていた。きちんと謝罪して、二度とあのようなことはないようにしなければ。

 けれど謝るタイミングがうまく掴めず、忙しさもあってか、気がつけば翌日になっていた。

「どうしたんだい? チレ?」

 話しかけられてハッと我に返る。手にしていた盆を取り落としそうになって、チレは慌てて握り直した。

「なんでもありません、ちょっとぼんやりしてしまいました」

 ジェルヴェの朝食の世話が終わり、食器を片づけながら、召使いがやってくるのを待っていたところだった。

「いかがですか、具合のほうは?」

 食後用の果実酒を手渡してたずねる。

「ああ。チレが世話をしてくれるからずいぶんよくなったよ」

「それは何よりです」

 以前よりもずっと血色がよくなった様子に、チレも安堵した。

「何百年も動かずにいたからね、身体も弱ってて、歩くのにもまだ少しかかりそうだ」

「無理はなさらないで、ゆっくり養生していただければ」

 ジェルヴェは甘い果実酒を一口飲んで、淡く微笑んだ。

「けれど、魔物がきたら」

「大丈夫です。私がハクト様と倒します」

 力強く告げると、相手が笑みに苦さをにじませる。

「……チレは、彼と、とても仲がいいんだね」

「えっ? そ、そうですか」

 ジェルヴェが杯を両手でくるんで、上目でこちらを見つめてきた。

「彼は、どんな人?」

 その瞳には、いささか尖った好奇心が感じられる。それは多分、昨日のふたりのやりとりのせいだ。

「ハクト様は、ジェルヴェ様とはまったく性格の異なるお方です。非常に気難しくて、……怒りっぽくて、我が儘で、自分勝手で」

 話し出せば、口がとまらなくなる。そうするつもりはなかったのに、まるで愚痴のようにハクトへの不満が出てしまった。

「言葉使いが乱暴で、偉そうで、戦うときもいつも私をこき使って、ここにきたばかりのときなんて、ぜんぜん魔物退治に協力的じゃなくて、戦地に連れていくのにすごく苦労したんですよ」

「へえ」

 ジェルヴェが目を見ひらく。

「けど、私が怪我をしたときは、必死で助けようとしてくれて。……それから、一緒に戦うようになって、大変だけれど、楽しいこともあって……」

 言いながら段々、勢いが小さくなっていく。

「ハクト様は子供っぽいけど、純真だったり、気のおけないところもあったりして、それに、意地悪だけどちゃんと正義感もあって、優しさもあって、だから……」

 だから本当は嫌いじゃない。チレは陰口みたいなことを言ってしまったのを反省した。

「だから、本当は、すごくいい人なんです」

「ふぅん」

 ジェルヴェの手が、チレの頬に触れてくる。ひんやり冷たい指が被毛の下に差しこまれ、自分の頬が熱くなっていることに気がついた。

「変わらないね、チレ」

「……」

 獣毛をゆっくり、かき混ぜるようになでられる。

「何百年もたつのに、君はいつも、素直で勤勉で、不器用だ」

 青い瞳が、じっとチレを見つめてきた。

「チレ。君は、私のことは、どう思っていた?」

「ジェルヴェ様のことですか?」

「そう。教えて」

 ハクトとは色と形の異なる目を見返しながら、チレは思ったことを口にした。

「ジェルヴェ様は心が澄んでいて、慈愛に満ちていて、優しさで世界を救おうとなさった素晴らしい聖女様です。ですからずっと尊敬していました」

 ふと、過去の悲しみがよみがえる。

「三百年前の……あのとき、お救いできなかったこと、ずっと、後悔していました。どうして、ジェルヴェ様だけ穴に向かわせてしまったのかと。どうしたらジェルヴェ様を失わずにすんだのか、何か他の手立てはなかったのかと、自分に何が至らなかったのかと、ずっと、ずっと……悔やんで、悔やんで……」

 話していると涙がにじんできた。それを拭って笑顔を作る。

「だから、今、ジェルヴェ様が五体満足で戻ってくださって、私は本当に嬉しいんです。命を失うことがなくて、よかったです。さすが聖なる力に守られたお方。あなた様は、真の勇者であらせられます」

 グスグスと洟をすすりながら褒め称えた。

「……そう思ってくれてるんだ」

 ジェルヴェが片手で、チレを抱きよせる。

「嬉しいよ、チレ。私もずっと、君に会いたかった」

「ジェルヴェ様……」

 感極まって、チレはボタボタと涙を流した。

 そんなチレの頭を、ジェルヴェは微笑みながら、優しくなでて慰めた。

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