ふたりの聖女

第35話

 翌日から、チレは献身的にジェルヴェの世話をした。

 朝から晩まで時間のある限り、食事を始め着がえから沐浴に至るまで、身の回りのことをすべて甲斐甲斐しく面倒を見る。その分、ハクトの世話が疎かになってしまっているという自覚はあったが、今は病人のほうを優先しても許してもらえるだろうと考えて、ハクトの担当は召使いに任せていた。

いそいそとジェルヴェの部屋に向かいながら、チレは時折、背中にハクトの物言いたげな視線を感じた。けれど元々自分はジェルヴェの世話役でもあったのだ。以前の仕事を兼任しているだけだから大丈夫だろうと、勝手に判断していた。

 数日後、ジェルヴェはベッドに起きあがれるほどになった。食欲も戻り、このまま回復すれば、以前のように元気な身体になるだろうと医師も診断した。

「よかったです。本当に」

 喜ぶチレに、ジェルヴェもゆったりと微笑む。

「チレの世話のおかげだよ」

 そう言って金髪をさらりと揺らし、花がひらくように口元をほころばせて優雅に笑う。異世界では貴族だったというジェルヴェは何ごとに対しても温厚篤実、振る舞いも気品に満ちていて、チレに対しても威張ったところがひとつもない、ハクトとは正反対な性格だった。

「しかし、聖女様がおふたりになられたということは、この世界も今まで以上に、ますます安泰になりますな」

 神官長が横でカッカッカと笑う。

 今日はジェルヴェの体調もいいようで、彼の部屋にチレとハクト、そして神官らが集って、帰還の経緯を本人から聴き取っていた。

「けど、まったく驚くべき力でございますね。聖女様の魔力というものは」

 ジェルヴェの証言内容を紙に記していた神官トトが感嘆する。それにチレも同意した。

 ジェルヴェの説明によると、彼は三百年前、暗黒の穴に飛びこんだ後、ずっと闇の回廊を彷徨っていたのだという。果敢にも穴に挑んだのはいいが、元いた自分の世界を見つけ出すことができず、またチレらが住んでいた世界も見失ってしまい、長い間漂流することになった。その後、疲れ果てた彼は自身を守るため硬い殻を生成して眠りについたという。いつか誰かの手で見つけてもらえるようにと。

「闇の回廊の中で、世界は無数の輝く風船のように浮いていました。そのひとつひとつに、違う世界が存在しているのです。暗黒の空間には醜い魔物が棲んでいました。それは各々の世界で死んだ生物の、負の感情の濁りが集まって具現化したものでした」

「負の感情の濁り……」

「ええそうです。苦痛や怨恨、悲しみや後悔、死への恐怖、そんなものが漂っているうちに引きよせられ、やがて黒い塊となります。それが魔物の正体でした。それらのうち、力のあるものが出現すると、風船に穴をあけることができるようになるのです。この世界にあいた穴も、そんな風にできたものだったのでしょう。回廊には不思議な力が満ちていて、穴はこの世界だけじゃなく、他の世界にもあくことがありました。穴がふたつになれば、気の流れが生じます。僕らの住む世界とここが繋がったのは、そういった偶然の重なりあいでした」

「そうじゃったのか……」

 闇の回廊の秘密がまたひとつ解き明かされて、皆が感嘆する。

「暗黒の穴は常時あいているものと、時々ひらくものもありました。私の元いた世界では、時々ひらいて誰かが異世界に飛ばされていたようです」   

「なるほど、なるほど」

 トトが一心に、証言を紙に書き記した。その横で神官長が低く唸る。

「しかしじゃな、ジェルヴェ様の力を持ってしても、あの穴は塞ぎきれなかったとなると、我らの世界の穴はいつとじてくれるのやら……」

 ジェルヴェがわずかに目を見ひらいた。

「私が、穴を塞ぐ?」

 不思議そうにたずねる姿に、チレがうなずく。

「ええ。そうです。ジェルヴェ様は、あの穴を塞ぐために飛びこまれたのですよね」

「……そうだったのか……?」

 覚えていない様子で首を傾げる。もしかして長年の漂流で記憶障害でも起こしたのだろうか。

「ジェルヴェ様、もうお疲れでしょう。今日はこれくらいにして、聴き取りは終わりにいたしましょうか」

「ああ……そうですね」

 少し疲れた顔になっていたので、チレはジェルヴェの枕を整えて、横たわらせようとした。

 そこに背後から声がかかる。

「で、これからどうすんだよ」

 振り返れば、ハクトが腕組みをして立っていた。

「どうするとは?」

 神官長が聞き返す。 

「この世界は今、俺とチレで守ってる。そこに聖女がもうひとりやってきて、これからどうすんだ」

 ハクトの言葉に、皆が目を瞬かせた。

「それは……」

 聖女がふたりになって、心強いことこの上ないとしか考えていなかったチレは戸惑った。  

「私は、必要ない?」

 ジェルヴェが苦笑まじりにささやく。それにチレはブンブンと首を振った。

「そんなことはございません。ジェルヴェ様が必要ないなど。体力が戻られたら、協力して魔物退治を行えばよろしいではないですか」

「あんな生ぬるい魔物どもは、俺だけで十分」

 ハクトが断言する。

 するとそれまで穏やかだったジェルヴェが、思いがけない冷淡な声で答えた。

「ということは、私だけでも十分、ということですよね」

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