帰還した聖女

第33話

 卵の中から出てきたのは、三百年前に穴に飛びこんで死んだとばかり思われていた聖女ジェルヴェだった。

 彼はすぐさま召喚神殿へと移送された。意識はなかったが、生きているのが確認されたからだ。

 神殿内にある客間のベッドにジェルヴェは寝かされ、呼ばれた医師に診察された。

「一応、脈は安定していますし、外傷も見当たりません。多分、ただ眠っていらっしゃるだけかと」

「三百年前に消えたお方じゃが、本当にちゃんと生きていらっしゃるのか」

神官長の問いに、医師も信じられないという顔をする。

「ええ。不思議なことに」

 見守るチレや神官たちの後ろにいたハクトが、前に出てきて言った。

「ちょっと俺にも診せてみろ。回復魔術はできないけど、何かわかるかもしれない」

 ハクトは眠るジェルヴェの胸に手をあてて、身体の内側を探るようにじっと見おろした。それを皆が固唾を呑んで見守る。

 ハクトが指先に力を入れて胸を強く押す。するとジェルヴェの瞼がピクリと動いた。

「――おおっ」

 驚いたハクトが手を引けば、ジェルヴェがゆっくりと目をあけた。青い瞳があらわになって、皆が驚愕の声をあげる。

「お目覚めにっ」

「なんとぉっ」

 ジェルヴェは、茫洋としたまなこをあたりにさまよわせた。

「……ここは」

 かすれた涼しげな声は、まさしく失われた聖女のもので、チレは驚きと歓喜に泣きそうになった。

「ジェルヴェ様……っ!」

 思わずベッドに縋ってその手を掴む。感激に涙がボロボロとこぼれ出た。

「本当に、本当に、ジェルヴェ様なのですか? 本当に、無事に戻られたのですか」

 信じられなくて、疑う言葉を何度も繰り返してしまう。そんなチレを眺めながら、ジェルヴェがうっすらと微笑んだ。

「……チレ?」

「はいそうです。チレです。あなた様の世話役でございます」

「……私は、どうして、ここに?」

「わかりません。けど、長い間お眠りになっていたのです。そして、無事に、我らのもとに帰還なされたのです」

「……帰還?」

 ジェルヴェは記憶を辿るように、ほんの少し眉をよせた。

「わからないな。……よく、覚えていない……」

「いいのです。覚えておられなくても。生きて、戻ってくださったのなら、それだけで」

 涙と洟水をたらしてエグエグと泣くチレの手を握り返して、ジェルヴェが優しく微笑む。それが三百年前と寸分違わぬ笑みだったので、チレは嬉しさに気を失いそうになった。

 その横で、神官長が恭しく頭をさげた。

「無事のご帰還おめでとうございます、ジェルヴェ様。我らルルクル人にとって、これほど喜ばしいことはございませぬ。これは奇跡です。ジェルヴェ様の魔力と勇敢さがもたらした神業でございます」

 神官長の言葉に、ジェルヴェがゆったりと微笑んだ。青い瞳が皆を見渡し、最後に背の高いハクトに注がれる。

「……あなたは」

 ジェルヴェをじっと見おろしていたハクトに代わって、神官長が紹介した。

「このお方は、当代聖女のハクト様でございます。ハクト様が、ジェルヴェ様を魔物から助け出したのでございますよ」

「……そうなの」

 ジェルヴェはゆっくりと頭を動かした。

「ありがとうございます、ハクト様」

「いや」

 ハクトがぶっきら棒に返事をする。

「まあ、……助かってよかった」

 まだ何か言いたげなハクトに、横から医師が口を挟んだ。

「さあさあ、皆様、これくらいにして。積もるお話はまた後で、今はジェルヴェ様をお休みさせてください。ひどくお疲れのご様子ですから」

 急かすように追い立てられて、「おおそうじゃ」「その通りですね」と神官らが賛同する。医師以外は部屋を出されて、皆はゾロゾロと回廊を歩いていった。

「……しかし、不思議な出来事じゃのう。一体、何がどうなっているのやら」

 神官長の呟きに、一緒にいた神官トトもうなずく。

「前例のないことでございますからねえ。ジェルヴェ様の体力が回復したら、すぐにお話をうかがいましょう。聖女の持つ魔力の可能性と、闇の回廊と魔物について、新たな見識が得られるかも知れません」

「そうじゃのう。とにかく王様に報告して、ジェルヴェ様がお元気になられたら、まずは盛大な祝宴を催すかの」

「それがいいでしょう。きっと喜ばれます」

 楽しげに話す神官長らの後をついていきながら、チレはふと横に立つハクトを見あげた。皆の話には加わらず、黙って何か考えこむ姿に、「ハクト様?」と声をかける。

 けれどハクトは呼びかけに気づかないようで、物思いにふける様子でじっと前を見つめていた。

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