不思議な物体
第31話
ハクトがこの世界にきて五十日がすぎた。
魔物退治は順調に行われている。チレは相変わらず得体の知れない生き物に変化させられ、彼の命令の下、魔物退治に勤しんでいた。
今日も顔は獣、身体は爬虫類、翼と尾は未知の形をしたいかにも怖ろしげな姿で、魔物島と呼ばれる小島の上を旋回している。
この島には、魔物が生まれるクレーターがあった。隕石が落下した跡のようなクレーターの真ん中には、大きなどす黒い穴があいていて、そこから魔物が飛び出してくる。穴は闇の回廊に繋がっていると考えられていた。
なぜそこから魔物がやってくるのか、原因はまだ明らかにされていない。千年前、突如として現れたこの穴により、世界の平和は失われたのだった。
「……あれ?」
クレーターの上を横切っていたチレは、暗黒の穴を見て呟いた。
「穴が小さくなっている気がする……」
いつもはクレーターの半分くらいの大きさなのに、今は三分の一ほどに縮んでいる。
「どうしたんだろう」
不思議に思ったチレは、神殿に帰還後、神官長にそのことを報告した。
「ふむ。そう言えば、ここのところ魔物の数も少なくなっておるな」
いつもの執務室で、今日はチレと神官長、そしてハクトも同席していた。
「確かにそうでございますね」
神官長の言葉にチレがうなずく。
「何か、穴に変化が生じておるのじゃろうか」
「けれど原因は思いあたりません」
チレは首を捻った。横に座るハクトも思いあたるふしはないようで肩をすくめる。
「とにかく、穴が小さくなっているのはよいことじゃ。このまま萎んで消えてくれれば言うこと無しなのじゃがな」
「そうでございますね」
原因不明で発生し、原因不明のまま消えていくのは納得しがたかったが、無くなるのならそれに越したことはない。
「じゃ、消えたら俺はお役御免ということか」
ハクトが話す。
「けど、穴は闇の回廊に繋がってるんだろ。だったら、消える前に飛びこんでおくか。そうしたら元の世界に戻れるかもしれないしな」
それに神官長とチレは思わしげに顔を見あわせた。
「穴に入るのは大変危険な行為でございますな、ハクト様。確かにあの中には、星のように無数の異世界が存在していますが、その中からあなた様の世界を探し出すのは非常に難しいかと」
神官長が慎重に進言する。
「回廊は無限の広さがあり、しかも穴から魔物が出てくるということは、回廊の中には奴らが多く棲息しているということです。元の世界を探しても、永遠に見つけられずに彷徨うか、もしくは途中で命を落とす可能性があります」
「何だよ。そんだけわかってて、お前らは何も知らない異世界人を召喚してんのか。まじ鬼畜だな」
「……それを言われますと、私どもも……」
神官長がモゴモゴと口ごもった。咳払いをして、話を逸らすように言う。
「たしか大昔に、穴に飛びこまれた聖女様がいらっしゃいましたが、その方も戻られることがございませんでした」
「へえ?」
ハクトが椅子から身を起こした。
「帰ろうとした聖女がいたのかよ」
「いいえ。その方は、帰ろうとしたのではなく、魔力で穴を塞ごうとして、飛びこんでいかれたのです」
神官長の説明に、チレが横からつけ加えた。
「この世界を救うために、自らを犠牲にして、魔物封印を試みられたのですよ」
「まじで?」
「はい。とても勇敢な、正義感に溢れたお方でしたから」
「へぇえ」
神官長が宙に目を向けて考える顔になる。
「あの方は……第十一代聖女のジェルヴェ様だったかのう」
ジェルヴェ、という名前にハクトが目を見はった。そしてチレを振り返る。チレは小さくうなずいた。
「じゃがしかし、ジェルヴェ様の力を持ってしても、穴を完全に塞ぐことはできなかった。いっとき魔物の発生は収まったが、数年後に再び、魔物の襲撃は始まったのじゃからな」
「じゃあ、そいつは無駄死にだったってわけか」
ハクトの言葉に、チレと神官長は黙りこんだ。
「……つまり、そういうことなのですじゃ、ハクト様。穴に飛びこむのは、聖女様にとっても危険極まりない行為なのです」
最後に神官長がそう言って、会話は締め括られた。
「ジェルヴェってのは、この前、お前が草原で話した、あのジェルヴェだよな」
執務室を辞した後、ハクトとチレで中庭を横切りながら話の続きをする。
「ええそうです」
「お前が片想いしてフラれたっていうジェルヴェだな」
「……片想いも、フラれもしていませんが」
「まあその相手だってことだ」
チレの反論はかるく流された。
「しっかし、お前らのために自分の命を省みず穴を塞ごうとするとは正気の沙汰じゃねえなぁ」
「ジェルヴェ様のことを悪く言わないでください」
いかにハクトと言えども聞き捨てならない台詞に、チレが諫言した。
「あのお方は、とても慈愛に満ちていて、とても優しくて、困っている人を放っておけない、本当に心の底から、平和と愛にあふれた聖女様だったのですから」
「ほぉお」
いささか揶揄する口調でハクトが答える。
「俺には無理だな。絶対できねえ」
片頬をあげて薄く笑う横で、チレは小さく呟いた。
「……ハクト様は、そんなこと、なさらなくてもいいですよ」
それに相手が視線を向けてくる。
「無事で、長生きしてくだされば。ここで、魔物退治をしながら楽しく暮らしていただければ。そのほうが私も安心ですから」
あんな思いはもうしたくない。強すぎる正義感と自己犠牲は、ある意味、周囲を救うのではなく不幸にする。
チレが黙りこむと、それを見たハクトが肩をすくめた。
「ま、俺は危険なことはしたくねえし。穴に飛びこんでも帰れる保証もねえし、仕方ないから、当分ここに残るかあ」
両手を頭の後ろに組んで、しょうがねえなあとぼやく。
「はい。そうしていただけたら嬉しいです。私もできる限りのことはいたしますから」
チレが笑顔を取り戻して言うと、ハクトが苦笑する。
「お前、俺の人生奪った責任取れよ」
「わかっています」
「ホントにわかってんのかよ」
「もちろんです」
自信を持ってうなずくと、相手が胡散臭げな目になって見おろしてきた。けれどなぜか目元は赤らんでいる。
「ぜってーわかってねえだろ。責任ってのはなぁ……」
とふたりで言いあいながら聖女の部屋がある塔に向かっていたら、遠くからひとりの兵士が駆けてきた。
「大変でございます!」
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