第16話

 トトがチレを見て仮定する。

「ですから、今回も、聖女様の血がチレに注がれて、それで、魔力がチレに移動してしまったのではないでしょうか」

「いやまさか」

 言いながら、けれどチレは自分の身体の変化を確実に感じ取っていた。脅威の回復力は通常では考えられないものだったし、そして今も力は漲り、何でもできてしまいそうなほどの活力に満ちている。

「いやいや」

 チレが両手を振って否定した。

「血が混ざったとしてもそんな多量でもありませんし、それで攻撃魔力すべてが私に移動してしまうなどと……」

 と言いつつ、あのときのハクトを思い返す。彼は傷口を押さえ、力の限りにチレの回復を祈っていた。それはチレの中にあらわれる死を攻撃し、生命力を注ぎ身体を強靱なものに作りかえていった……気がする。

 チレは恐怖に身震いした。

 自分が、ハクトの魔力を吸い取ってしまった?

「いやいやいやいや……」

 そんな大変なことが、自分の身体に起きたなど到底信じられない。聖女の攻撃力を世話役が身につけて、それで一体どうすればいいと?

「あり得ませんよ」

 全力で否定するも、心に不安が満ちてくる。

「ただの仮説ですから、外れているかも知れませんが」

 横からトトはそう言ったが、皆の顔は懐疑で一杯だ。

「つまり俺の魔力が、チレに移っちまったと? だったら戻しゃいいじゃないか。それはどうする?」

 ハクトが神官らにたずねる。しかしその方法を知るものはいない。

「戻すということは、したことがありませんから……」

「だったらもう一回――」

 喋ってる途中、窓の外から大きな奇声が響いてきた。

「ギャアアアア――ッ」

 という醜い鳴き声は、魔物のものだ。

「ヤバい、あいつ、追いかけてきたのか」

 振り返れば、巨大な双頭の首の長い魔物が窓辺へと降り立ち、部屋の中に頭を突っこんできた。

「ひええええっ」

 いきなりの襲撃に、神官らは目を剥いて叫んだ。

「グアアギャオオオウゥ――」

 一瞬にして室内が恐慌状態に陥る。

「ひゃあ、助けてぇっ」

 ちょろちょろ逃げ惑う皆を、怖ろしげなふたつの口が追い回した。

「大変ですっ、どうしましょうっ」

 チレはハクトの背広にしがみついて悲鳴をあげた。   

「このままじゃ全員やられて死ぬぞ」

 ハクトがチレを抱きあげて逃げ場を探す。しかしパニックになった部屋の中では動きもままならない。魔物の頭の一方が出口をみつけて先回りすると扉を塞いでしまった。

「逃げられなくなりました!」

 神官から悲痛な声があがる。

「クソッ、攻撃できねえんじゃどうしようもない」

 もうひとつの頭がハクトを見つけて襲いかかってきた。ひらいた口の中にはびっしりと尖った歯が生えている。

「やばい」

「ハクト様あっ」

 喰われる直前、ハクトはチレを抱えたまま部屋を転がって、間一髪で長椅子の後ろに身を隠した。

「チレ、俺の攻撃力はお前に移ったんだな」

「はい?」

「だったら、お前が攻撃しろ」

「え?」

「ほら、攻撃しろっ」

「け、けど」

 どうやって? という疑問は次の命令にかき消された。

「いいから口から火でも吹けよッ!」

「はいっ?」

 ハクトがチレの顔を掴んで、魔物のほうに向ける。

 瞬間、口の中が異様に熱くなった。

「え? はぃぃ……ごおおあアアアアアっ」

 目の前が炎に包まれる。何が起きたのかとビックリ仰天している間もなく、それが自分の口から放出されていることに気がついた。

 ――えええええッ?

 魔物の頭がひとつ、燃え落ちて黒焦げになる。

「やったぜ」

 ハクトが喜びの声をあげた。しかしもうひとつ頭が残っている。それが怒りで暴れ出した。

「それ、あれも、燃やしちまえ」

 呆気に取られるチレの顔を方向転換して、魔物に向ける。

「炎を放て! 焼き尽くせ!」

 ハクトの命令に身体が勝手に従う。

「ほぇ……ゴオオアアアアアアアッ」

 吐き出された炎に魔物が包まれた。のたうち回って怖ろしげな断末魔をあげる。その姿を、神官らも呆然と見つめた。

「ギャアァ――ッ……」

 頭を焼かれた魔物は、胴体も炎に巻かれ、そのまま窓から落ちていった。ドウンという鈍い音が響いてきて、あたりが静かになる。

「……やった、――のか?」

 ハクトがチレの顔を掴んだまま窓の外を見渡した。ふたりで眼下の草地に黒い煙を燻らせて横たわる残骸を確認する。

「そのよう、ですね」

 チレも呟いた。そのとき背後から泣き声があがる。

「聖女様あ、火を消してくださいませえ」

 振り返れば、部屋の中はメラメラと燃えていた。

「いけね」

 ハクトがチレの顔をむんずと炎に向ける。

「水を出せ!」

「えは?」

 目を丸くするチレの意思を無視して、口から滝のような水がいきなり飛び出した。ザバアアアアッと溢れる水を、ハクトが操作して周囲にまき散らす。それでしばらくすると火もきれいに消えた。

 半焼で水浸しになった部屋の中、炎と混乱でボロボロの神官らが立ち尽くす。皆、何が何だかわからないといった顔で唖然としていた。

「とりあえず、魔物は倒せたようですね……」

「ええそのようで……」

 怪我人は出たようだが、一応全員無事な様子だ。

「しかし、奇っ怪なことになりましたな」

 神官長が、ハクトに抱えられたチレに目を移す。

「………………」

 チレは生気を失い、口から水の残りを垂れ流していた。

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