初陣
第12話
部屋に戻り、まず朝食の席についてもらう。
あれほどここの料理を食べたくないと言っていたハクトだが、楽しみができたせいか素直に手をつけた。食べ始めれば、味は口にあったのか黙って皿を平らげていく。
それを見てチレも一安心した。
数日ぶりの食事を終えると、ハクトは満足げに椅子の背にもたれた。
「お腹は満たされましたか」
「ああ、まあな」
「お元気になられてよかったです」
ハクトはもう酒に手を伸ばさなかった。代わりに果実を搾ったジュースを口にする。
「よし。じゃあ体力もついたし、いくとするか」
飲み終わると杯をテーブルにおいて立ちあがった。
「大丈夫でございますか。まだ病みあがりですが」
「もう充分元気だ。いくぞ」
「はい。わかりました」
チレは準備していた防具を倉庫から持ち出して、いそいそとハクトの前に並べた。革と鋼でできた鎧や兜である。
「これを身に着けてください。万が一のため」
「何かデザインがいまいちだな」
「では作り直させましょうか」
「いや、スーツを強化するわ。そのほうが手間ねえし」
ハクトは着ていた服に魔法をかけた。紺色の薄い生地の服が、一瞬光って艶を増す。
「ついでに身体もきれいにしとこう。ここんとこ風呂入ってなかったしな」
全身をなでて整え、最後に顎をこすると生え始めていたヒゲが消える。
「うし。さっぱりした」
「ハクト様、聖女の魔力は強大ですが、魔量には限りがありますので、使い続けると減っていきます。その点ご注意ください」
「そうなのか」
「しかも補給はできません。魔力を使い切ると聖女としては引退でございます」
「まじか」
「ですが、普通は魔物退治だけしていればほぼ一生分に足ります。なのでそれほど心配なさる必要はありません。無駄遣いさえしなければ」
釘を刺すように言うと、ハクトは「ふぅん」とうなずいた。
「で、今日は魔物はいるのか?」
ハクトの問いに、チレが救世軍から得た情報を伝える。
「現在、五匹ほど、海上と陸地にいるそうです」
「ふむ。じゃあ、今日は初戦だから、一応、様子見な」
「わかりました」
「現地まではどうやって向かう?」
「飛んでいかれればよろしいかと」
「俺、空も飛べちゃうわけ?」
「はい。飛行能力も、お持ちのはずです。飛び方もお好きな形で。羽根や翼に、絨毯で出かけられた方もいらっしゃいました」
「ふぅん。じゃあどれにしようかな」
言いながら楽しそうに口元をあげた。
――ハクト様が上機嫌になっている。
そのことだけで、チレは嬉しくてたまらなくなった。
「なら道案内が必要だな」
「では救世軍より優秀な戦士をひとりお呼びいたしましょう」
「いや」
ハクトは首を振った。
「チレ。お前がこい」
「へ?」
「お前が案内するんだ」
「ど、どうしてでございますか? 私は戦士ではありませんが」
いきなりの指名にうろたえる。
「知らねえ奴となんかいきたくない。お前が使い勝手がいい」
「けど私ではお役に立たないかと」
「案内するだけだ」
「し、しかし」
「断るならいかない」
「よろこんでお供させていただきます」
チレは即答した。ここで機嫌を損ねてもらいたくはない。
「うし。じゃあ出かけるか」
ハクトは腕を回して身体をほぐした。それから窓辺へと向かう。
「てか、お前は飛べねえよな」
「はい」
ルルクル人にそんな能力は備わっていない。
「じゃあ、仕方ねえな。ほら」
ハクトはチレに手を伸ばした。
「?」
きょとんとするチレに、ハクトが焦れたように言う。
「ほら、こっちこいよ」
「はあ」
チレが近づくと、ハクトはチレを抱きあげた。
「ひあ」
「こら、暴れんな」
「で、でもしかし、これは」
「こうするしかないだろ」
ハクトの腕に抱えられて、恥ずかしさに慌ててしまう。
「静かに納まってろよ。落ちたらお前のせいだからな」
「ええっ」
チレは短い手でハクトにしがみついた。
「うん? ……お前、いい匂いすんな」
意外だという顔で言われる。
「そりゃあ、毎日、被毛の手入れはしておりますから」
チレは若干赤くなって答えた。もちろん獣毛で肌は隠れているから相手に変化は伝わらない。
「くそ。無駄にふわふわしてやがる」
ハクトは悪態をついてチレを抱きしめた。そうされるとチレも無駄にドキドキしてしまう。
「ちゃんとつかまってろ」
「は、はい」
「じゃあいくぞ」
バルコニーに立ったハクトは、少し考えるようにして、それから高らかに言い放った。
「飛べ!」
するとふたりの身体がぐぅんと上に持ちあがる。
「ひやあ」
あっという間に空に出ると、「いくぞ」というかけ声とともにいきなりビュウンと高速で前に進み始めた。まるで光の矢だ。
「ひやあああああっ」
ハクトは一直線に海に向かい、魔物のいる島を目指した。
あまりの早さにチレが口をパクパクさせる。当代聖女の飛行は予想を超えた速さだった。瞬きする暇もなく、島が目前に迫ってくる。
「どの辺にいけばいい?」
ハクトがたずねた。
「あ、あそこです、あそこに魔物が」
島の上空に黒く大きな物体がふたつ。それは見るからに凶悪な姿をしていた。全身はぬらぬらと波打ち、頭は野獣の様相、手足は複数胴体から突き出ていて、刃のように尖った翼や爪を持っている。この世の醜さを凝縮したような生物だった。
「キモいな」
「邪悪の塊のようです」
ハクトは魔物から距離を取って、空中で動きをとめた。その場に浮かんだまま敵の様子を探る。
眼下では帆船に乗った救世軍が絶えず弓矢を引いていた。しかし魔物はものともせず奇声をあげている。救世軍は苦戦している様子だ。
「じゃあ、ちょっと攻撃してみるか?」
「よろしくお願いします」
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