第9話

 皿を見おろす相手に答える。

「プリンでございます。お熱に浮かされている間、ずっとレイゾウコのプリンとうわごとを言ってらしたので。レイゾウコは何かわかりませんでしたが、プリンは多分これかと思い、料理人と話しあって作りました」

「……」

 聖女は腫れぼったい目でプリンを見おろした。

 何かを考えるように、いっとき眉根をよせて皿を眺めた後、盛大にため息をつく。

「どうぞ、一口でいいですから、食べてみてください。ちゃんとプリンのはずです。過去の聖女様から教わったレシピです」

 皿の上には焦げ茶色のカラメルソースがかかった薄黄色の丸いプリンがのっている。カラメルは艶々と輝き、プリンには所々小さながアクセントのように入っていた。それがなんとも食欲をそそる。ふんわり甘い匂いが、チレの元まで届いていた。

 ミルクと卵の優しい香りに誘われたのか、聖女は負けた表情になって皿を受け取ると、プリンに匙を差し入れ、一かけらすくい取った。

 ――どうか、食べてくださいませ。

 固唾を呑んで見守るチレの願いが届いたのだろうか、聖女は乾いた唇を少しあけてそれを含んだ。ゆるく顎を動かし、嚥下する。

「……いかがでございましょう」

 聖女は小さくうなずいた。

「……うん」

 それしか言わなかったけれど、もう一匙すくうと、ぱくりと口に入れた。

「俺の好きな固めのプリンだ」

 口の両端をさげて、何とも言えない表情になる。

「お好きなお味でしたなら、よかったです」

 聖女は黙々と皿を平らげた。その姿にチレも涙目になる。不味くはなかったらしい。皿はあっという間に空になった。ベッドの傍らで安堵に目を潤ませるチレの頭に、聖女が空になった皿をぽんとのせた。

「ごちそうさん」

「ひぁ。そこに置かれては、手が届きません」

 ルルクル人の手は短い。頭の天辺までは届かないのだ。アワアワするチレを見て、聖女が思わずというように口の端を小さくあげた。

 ――あ、笑っていらっしゃる。

 その姿に胸がトクンと跳ねた。

「あ、あの、プリンはまだいくらでも作れますので、いつでもおっしゃってくださいね。他にも、滋養のつくお料理を作らせていただきますので」

 焦って早口になるチレを、聖女がじっと見てくる。

「食っても、お前らの言うことは聞かないぞ」

 念を押されても、チレはプリンを食べてくれたことが嬉しかったので、大きな声で返事をした。

「はい。わかっております。健康第一でございますから。後々のことは、またこれからいつでも」

 頭に皿をのせてウロウロしていたら、召使いがやってきて皿を取ってくれた。チレが忙しく立ち働くのを、聖女はぼんやりと見つめている。その表情からは、病み上がりのせいか以前のような険が取れているように思えた。

「では、失礼させていただきます」

 頭をさげて部屋を出ていこうとしたら、「おい」と呼びとめられた。

「はい。何でしょう」

 眠たげな瞳の聖女に問いかけられる。

「お前の名前。なんていう。――まだ、聞いてなかった」

「私でございますか? 私は、チレ・ミュルリと申します。あなた様の世話役でございます。チレとお呼びくださいませ」

「ふうん……」

 気のない様子で枕にもたれる。チレはいい機会だと思い、そっとうかがうようにたずねた。

「あの、聖女様のお名前も、教えていただければ幸いです」

「俺? 俺の名は、国森羽来斗くにもりはくとだよ」

「クニモリハクトダヨ様」

「ちげーよ」

「す、すみません。ええと、ではなんとお呼びすれば」

「ハクト、でいーよ」

「ハクト様」

「おう」

 素っ気なく答えられる。けれど前のような刺々しさはなくなっているような感じがした。

 ハクトの部屋を辞したチレは、とにかくほんの少しでも意思疎通が前進したことに喜びを覚た。

「よかった……プリンが功を奏したのかな。よほどお好きでいらっしゃったのか、空腹が限界を越えていたのか……」

 厨房に向かい、今後のメニューについて料理人と話しあう。体力回復に向いた料理とプリンを頼んだ後、ひとりで中庭に出た。

 朝日に輝く花々を眺め、浮き立つ気持ちで歩いていると、ふと、離れた場所から話し声が聞こえてきた。

「あの聖女はいつになったら戦いの場に出てくださるのか」

「全くじゃのう」

 柱の陰に後ろ姿がふたつある。聖徒用のローブをまとっているところを見ると、どうやら神官長と大召喚師のようだ。

「召喚神殿の中で暴れまくって神官らを怯えさせ、あまつさえ興奮しすぎて熱を出して倒れたなど前代未聞じゃぞ」

 ふたりはコソコソと人目を避けるように話していた。けれど周りが静かなせいで会話はこちらに丸聞こえだった。

「このままでは儂らの立場がない。どうしたものか」

「聖女降臨の噂はもう外部にもれ始めている。救世軍も怪しんでいるし、王の耳に入るのも時間の問題じゃ。いかがする」

「……どうにもこうにも、ハズレの聖女を呼んだのは召喚師側の責任じゃぞ」

「何を言う。聖女をきちんと世話できずに寝込ませたのはそっちのせいだろうが」

 老体同士が口喧嘩を始める。

「責任転換するつもりか。大体なんであんな役立たずの聖女を召喚したのだ」

「聖女が選べるか!」

 近くで聞いていたチレは、ふたりの言い分に、つい腹を立てて口を挟んでしまった。

「いい加減にしてくださいっ」

 立場も忘れて怒ってしまう。それにふたりが振り向いた。怒りを湛えるチレを見てギョッとする。

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