聖女覚醒

第8話

 翌日も聖女は神殿内をさまよい歩き、出会う神官らに八つ当たりをし、酒だけ飲んでひっくり返って寝てしまった。顔色はどんどん悪くなる一方だ。それをチレは懸命に世話をした。

「聖女様、どうか一口だけでも料理をお召し上がりください。お着がえも、お風呂も準備しております。このままでは健康を害してしまいます」

「うるせえ」

 聖女はチレを無視して勝手な行動ばかり取る。追いかけてなだめるチレも、一日の終わりには疲れ果ててしまった。

「……はぁ」

 すぎた疲労から一睡もできずに夜をすごし、早朝、部屋を出てふらふらと中庭を横切る。

 ――どうしてうまくいかないんだろう。

 こんなことは初めてだ。今までチレがお世話をした聖女は四人。全員をきちんと救世主に導くことに成功したのに。

 その内、男性はひとりだけいたが、当代聖女とはまったく異なる性格で、チレたちにも協力的だった。

「……ジェルヴェ様」

 三百年近く前に失った、いにしえの男の聖女の名をつぶやく。

 あの方はもっと優しくて親切で、チレのことを気遣ってくれた。正義感が強く礼儀正しくて、いつも穏やかに微笑んでいた金髪碧眼の美しい人――。

「いけない」

 ブルブルと頭を振って、昔を懐かしむ感情を振り払った。

 過去の聖女と比較するのはよくないことだ。当代聖女であるあの人に、ここでできるだけ心地よく、健康で楽しくすごしてもらわねば。それが自分に与えられた使命なのだから。

 見れば中庭には、今が盛りの花々が風に揺れていた。

「そうだ。花をつんでいこう。お部屋にたくさん飾れば聖女様もきっと、気持ちよく目覚めることができるかもしれない」

 チレは庭の隅に向かった。白や黄色の可愛い花を選んでせっせとつんでいると、回廊から「聖徒チレ・ミュルリ!」といきなり大声で呼ばれる。振り返れば神官長が立っていた。

「はい。何でございましょう」

 神官長は、怒りで震えているように思えた。どうしたのだろうかと近よっていけば、老体は嗄れた怒声を響かせた。

「何と言うことをしでかしてくれたのだ! お前はっ!」

「えっ」

 驚いたチレが花をすべて取り落とす。

「な、何がでしょうか」

 ヒゲを揺らすチレに、神官長は忌々しげに言い放った。

「あの聖女が、熱を出して倒れたぞ!」

「ええっ」

「今、医師が懸命に手当てをしておる」

 寝耳に水のチレが慌てて聖女の部屋に向かうと、そこではベッドに寝こむ異世界人の姿があった。

「こ、これは……」

「お前は彼のそばにいて一体何を見ていたのだっ」

「す、すみません」

 体調不良は感じていたが、これほど衰弱していたとは。気づかなかった自分の失態だ。聖女は熱に浮かされた顔に汗をかいていた。

「この聖女が命を落としたら、お前のせいじゃからな。世話役として責任を取るのじゃぞ」

 チレは被毛の下で地肌を青くした。

 聖女の診察を終えたらしい医師が、診療器具をしまいながら言う。

「一応、命に別状はないようです。異世界人は我々よりも体力がありますから、熱はきちんと休息して栄養を摂れば数日で下がるはずです。歴代聖女様にも起こった病ですね。激変した環境に身体がついていかなくなり、このようにお熱を召された方が過去にもいらっしゃいました。しかし、ルルクル人より丈夫と言っても何も摂取しなければ命を落とすことも考えられます。まずは栄養です」

 医師の言葉に、チレは蒼白のままうなずいた。

「……わかりました」

 医師と神官長が去ると、その日からチレは懸命に看病をした。寝る間を惜しんで水枕を取り替え、汗をふき、水や果物汁を飲ませた。

 努力の甲斐あってか、聖女の熱は数日後にはさがりはじめた。

 朝方、疲れ果てたチレがベッド脇でコックリコックリ船をこいでいると、頭の天辺に何かが触れる感じがして目を覚ました。獣毛をワシワシとかき回されて気持ちよさにうっとりする。

「……なんだこれ」

 ポツリと呟かれた声に視線をあげれば、聖女がチレの頭をもてあそんでいた。

「聖女様?」

 触れてくる手はもう熱くない。

「お目覚めですか」

 チレは枕元に近づいた。

「よかったです。お加減はいかがですか」

「最悪」

 顔をしかめて答える。けれど顔色はだいぶよくなっていた。

「お飲み物はいかがでしょう。喉が渇いていませんか」 

「……ああ」

 チレは杯に果実水を注いで手渡した。さすがに体力の限界がきていたのか、聖女は拒否せずに上体を起こすと、それを飲んだ。ごくごくと飲み干して、ふう、と息をつく。

「俺、どうなってた?」

「三日間、熱を出して寝こまれました」

「まじか」

「急激な環境変化と緊張が原因だそうです。ごゆっくり休息なさってください。――ああ、そうだ、何か食べられますか」

 チレは傍らのテーブルにおいてあった蓋つきの小皿から、蓋を取って、匙と一緒に聖女に差し出した。

「……これは」

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