暴れん坊聖女

第7話

 翌朝、不機嫌な顔で起きてきた聖女は、朝食もとらずに部屋を出ていってしまった。

「お食事もされず、お着替えもされず、そんなことでは倒れてしまわれますよ」

 チレは慌てて彼の後を追いかけた。

「どこへいかれるのですか」

 聞いても返事はない。聖女は召喚神殿のあちこちを歩き回り、門から外へ出ようとした。

「外へ出ても、海と草地しかございません」

 チレの呼びかけに、やっと振り返った。

「うるせえな。俺についてくんなよ」

「し、しかし」

「お前らが役立たずだから、俺は自分で帰る手立てを見つけようとしてんだ」

「そ、そうでございますか」

 けれど世話役として、この人をひとりにすることはできない。チレは嫌われながらも後をついていった。

 聖女は門を出たところで、足をとめて周囲を見渡した。

 召喚神殿は岬の先端にあり、前には海、後ろには何もない草原が地の果てまで広がるばかりである。

 その風景に聖女は目を細めた。

「お前、この世界には他にも住人がいるって言ってたよな」

 海からの風が、彼の黒髪をはためかせる。

「え? ええ。おりますが」

 以前は牧草地だった肥沃な草原は、今はうち捨てられ、生き物の影さえ見あたらない。

「けど見渡す限り、人の気配はないじゃないか」

「このあたりに住んでいた者らは皆、殺されるか、移住してしまいましたから。もっと内陸にいけば村もありますけど」

「殺された?」

 訝しげな顔になった彼に、チレは続けた。

「はい。あれをごらんくださいませ」

 自分たちが住む世界にほんの少しでも興味を持ってもらえたことにほのかな嬉しさを覚えつつ、草原の反対側を手で示した。そちらには青い海が水平線を見せている。沖に出る手前に小さな島がひとつあり、周囲に帆船がいくつも碇泊していた。

「あの島から、怖ろしい魔物がやってくるのです」

 チレの言葉に、聖女が島に胡散臭げな目を向ける。

「あそこから不定期に穢れた魔物があらわれます。それらが大陸まで飛んできて、住人や家畜を襲って殺すのです。だからこの周辺に住むものはいません。救世軍が駐屯しているだけです」

「へえ」

 あまり興味もなさそうに、というか自分に話題を振られるのを嫌うかのように、聖女はすぐに踵を返した。そして神殿の中へと戻っていく。

「俺は魔物の退治なんかしないぞ」

 その途中、前を歩きながら冷たく宣言した。

「帰る手段を見つけて、絶対日本にもどる」

 念を押すように低い声で告げるのを、チレは黙って追いかけた。目の前にある広い背中を見あげながら、すまほの中の景色を思い出す。それほどあそこに帰りたいのだなと考えると胸が痛くなった。できることなら戻してあげたいという気持ちが湧きあがるが、世話役の使命感がそれを押しとどめる。

 しばらくの間、聖女は神殿を探検するかのように、敷地内を歩いて回った。

「何か探していらっしゃるのですか」

 大股で闊歩する彼の後を、急いで追いながらたずねる。

「必要なものがあれば、何でも準備いたします。私に言いつけてくだされば、できる限りのことをいたしますから」

 けれど前の人から返事はない。

「あの、歩き回ってお腹は空きませんか? 昨日も今日もお酒以外召しあがってないじゃないですか」

「腹は減ってない」

「そんなはずはないと思いますが」

「何も食べたくないんだよ。食欲もない」

「それはよくありません。部屋に帰って美味しい果物でもいかがですか」

「いらない」

 答えた瞬間、聖女の身体が傾ぐ。

「――っ、とぉ……」

 倒れそうになったのを、チレが横から支えた。さすがに聖女も空腹の限界がきていたらしい。

「……しかたねえ。戻ってまた考えるか」

 少し重くなった足取りで進む彼を追いかけて、部屋に帰ると、急いで召使いを呼んで食事を運ばせた。

 テーブルに異世界人が好む飲みものや食べものを並べるが、食欲がないと言っていたとおり聖女はただ水だけを飲んだ。見ればここにきたときよりも顔色が悪くなっている。瞳がどんよりし、髪も乱れて生気がなくなっていた。このままでは健康を損ねてしまう。

「寝る」

一言残して、よろりとベッドに向かう聖女の後ろ姿を眺めながら、チレは本当にどうにかしなければと焦り始めた。

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