聖女の事情
第6話
チレが住むのは、広い大陸から突き出た半島の先端にある、エクレシア・カテドラリスと呼ばれる召喚神殿である。ここでは三十人の神官と召喚師、そして召使いらが暮らしていた。
前代の聖女が寿命を全うし、この世を去ったのは八年前。それから毎日、召喚師らは欠かさず召喚の祈りを行ってきた。
次代の聖女を心から待ち望み、皆で強く願い、その甲斐あってついに次世代聖女は降臨した。のだが――。
「聖女様、おやめくださいまし」
「どうかお許しをっ」
書庫での大騒ぎを聞きつけ、チレが急いで向かってみると、そこでは聖女が大暴れしていた。
本を棚から数冊一気に抜き取っては、床に放り出している。
「い、一体、何を」
驚愕するチレに、横にいた神官が説明した。
「帰還方法を我らに調べろとおっしゃられてます」
「……何という」
チレは本を抱えた聖女の腰元にすがりついた。
「聖女様、どうかおやめくださいまし」
「うるせえ。早く探し出せ。見つけるまで全員外に出るな」
聖女はチレを引きずったまま書庫を出て乱暴に扉をしめた。中では神官らが泣きべそで本をめくっている様子だ。
「神官らを解放してください」
「ダメだ」
男は身体をブンッと捻ってチレを引き離すと、コロコロ転がるチレをおいて、「次は召喚師に問いただす」と息巻いて去っていった。
「聖女様……帰還方法は見つかりません……。誰も知らないのですから」
チレはローブに草の葉をつけて、悄然と呟くしかなかった。
「聖徒チレ・ミュルリよ」
ふいに背後から呼ばれて振り向くと、そこには神官長が立っていた。
「は、はい」
チレは慌てて起きあがった。
「此度の聖女様は、非常に扱いづらいお方のようであるな」
「まさにその通りでございます」
チレがお辞儀をすると、老神官長は深いため息をついた。
「このままでは王様にも国民にも聖女降臨を知らせぬことはできぬ」
「はい」
神官長が頭痛をこらえるようにして、額に手をあてる。
「役立たずの聖女を召喚したとあっては、召喚神殿の威信に関わるからじゃ」
「まことに仰るとおりです」
「聖徒チレ・ミュルリ。そなたは今まで四人の聖女様の世話をしてきた」
「はい」
「五人目も速やかに、立派な聖女として戦いの場に赴いて下さるよう説得するのだ」
「……」
どうやって? と疑問を覚えるもそれを神官長にたずねることはできなかった。多分神官長も知らないだろう。世話役の練達として長年働いてきたチレ以上に、異世界人の心理に詳しい者はここにはいないのだ。
「わかりました。最善の努力をいたします」
「努力はいい。結果を示しなさい」
「はい」
頭を垂れているうち、神官長は去っていく。ひとりになったチレは小さくため息をついた。
外はもう夕暮れだった。聖女降臨初日は、嵐のように目まぐるしくすぎようとしていた。
聖女のための居室にいくと、彼は窓辺にある長椅子に寝そべっていた。そろそろ夕食の時間だ。きっとお腹が空いているだろうと近よっていけば、くうくうと寝息を立てて眠っていた。さすがに疲れたらしい。
チレはそっと、その寝顔を見おろした。
――きれいな顔をしたヒトだ。
そう、感じた。
異世界人は皆、獣毛が生えていなくて皮膚はつるつるで、頭の天辺にだけふさふさした毛が生えているだけなので一見すると非常にみっともない。身体も縦に細長く、手も足もひょろっと伸びている。
顔の造りもルルクル人とは異なっていて、目は大きく、鼻はシュッと高く、口の周りは赤くふっくらとしている。
初めて異世界人を見たとき、チレは変な容姿だなあと思ったものだったが、長年のつきあいで見慣れてくると、段々不自然さも消えて次第に愛着もわいてくる。今では異世界人の中でも、美しいヒトとそうでもないヒトが区別できるほどになっていた。もちろんそれはチレの中での勝手な判断基準なのだが。
しかしこのヒトは、その基準の中で、一番整った容貌をしていると思われた。目の形が魅力的で、そこに引きこまれるような不思議な力がある。
性格はとてつもなく扱いづらいけれど。
聖女は片手をだらりと椅子の下にたらしていた。その先の床に、彼が肌身離さず持っている鋼の板――すまほがあった。きっと眠りに入ったときに手から落ちたのだろう。
チレはすまほを拾いあげた。ずしりと重い板は、チレが手にすると、急に光を放った。
「……ぁ」
水面に映し出すように、くっきりと、夜の街が出現する。まるで、そこに沈んでいるかのように。
驚いて思わず取り落としそうになった。それを掴み直す。
あらわれた街並みはとても美しかった。建物が高く聳え、色とりどりの光が宝石をちりばめたように輝いている。
――きれいな世界だ。
聖女の住む世界は、ここよりもずっと文明が進んでいることは知ってたけれどこれほど華やかだとは。
こんな夢のような場所が現実にあるなんて。このような世界に住んでるのなら、さぞやこの地は質素でみずぼらしく目に映ることだろう。
――だからあんなにも帰りたがるのか。
チレの心がぎゅうっと絞られるように痛んだ。
何ということをしてしまったのだろう。我々は、自分らの生活を守るために、この方の幸せを奪ったのだ。
もちろん、歴代の聖女に対しても、この国は同様のことをしてきた。家に帰してと泣いてばかりの聖女もいた。けれど皆、神官と世話役の粘り強い説得により、最後にはどうにか我らの願いを理解し、聖女として勇ましく立ってくださったのだ。
この方にも、どうにかして同じように悲しみを薄め、苦しみを鈍化し、そして新たな人生に何かしらの希望を持って、我らの世界に馴染んでいただきたい。
それはとても身勝手な頼みとわかってはいるけれど。
チレは脇にあるテーブルにすまほをおいた。しばらくすると表面は光を失い闇色となる。闇は彼の絶望を示しているようで、チレはひっそりとため息をついた。
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