第5話

 それは今までの聖女が通ってきたものと寸分違わぬ道筋だった。彼が通ってきたのは闇の回廊とチレらが呼ぶ空間で、無数の星は異世界と考えられている。  

「お前らは確かさっき、魔術がどーの、召喚がどーのと言ってたが」

「はい」

「そんな意味不明なものは、俺は信じない」

 テーブルに肘をついて、指先をチレに向ける。

「俺はきっと、地下鉄通路から出たとたん、事故にあったんだ。それか急に発作か何かに襲われて倒れた。それで今は生死の境をさまよってて夢を見てるんだ。そうとしか思えない。さっきの場所は死後の世界への入り口だったんだ。きっとそうだ」

 自分に言い聞かせるようにブツブツ呟いて、また酒を呷った。

「てことはクライアントには連絡がいくから、約束は何とかなるとして、戻ったら資料を……」

 話の途中で顔をあげる。

「おい、お前らは、俺はもう戻れないって言ったな」

「はい」

「はぁまじかよ。じゃあもう死んでんじゃん」

 盛大にため息を吐いて、テーブルに突っ伏した。

 この聖女のように、事故や病気のせいで意識をなくし今は夢の中だと思いこもうとした聖女は過去にもいる。

 そう信じてくれれば異世界への未練も薄まり、こちらにしてみれば好都合だ。だがチレは嘘はつきたくなかった。いつかはバレることなのだ。

「いいえ。あなた様は生きておられます」

 聖女が目だけをあげてくる。

「生きて、我らの召喚によって、この世界に召されたのです」

「召喚とか」

 男は口元を歪めた。

「それ一体、何なん? 何で俺がそんな意味不なものに巻きこまれたん?」

「それはですね……、話せば長くなりますので、神官を呼んで詳しい説明をさせましょうか?」

「いやいい」

「え?」

「お前が話せよ」

「えっ」

「かいつまんで、一行で。面倒だから」

「ええっ」

 チレは慌てて頭の中で整理をした。

「ええと……つまり、それは、……この世界には魔物が存在していて、それを退治するのが我らの力だけでは困難で、けれど異世界からやってくる聖女様の力があればたやすく退治できるため、我らは聖女様を召喚させていただくのです」

「はぁ?」

 聖女は首を傾げた。

「じゃなに? 俺にその魔物とやらを倒せってこと?」

「そうでございます」

「えなんで俺がそんなことしなきゃなんないの」

「……」

「それって、そっちの事情でしょ。俺関係ないじゃん。ていうかお前らだけでも倒せそうじゃん。全然倒せないわけじゃないんだろ。だったら他人に頼るなよ」

「ですが、我らの戦力にも限界がありまして。このままでは救世軍は全滅し、この世界の住人は残らず魔物に殺されてしまうのです」

「それが俺に何の関係あるんだよ」

「ですが……」

「俺の世界にだって、戦争や紛争はあって毎日人が何人も死んでたよ。けどそれはその国が抱えた事情であって、俺はラッキーにも平和な国に生まれてたけど、それでも日々の生活があって苦労があって、俺なりにめっちゃ大変な思いしながら生きてたんだよ」

「はい」

「そういうの全部、奪っといて、いきなりお前らのために戦えとか、そんなん簡単に通じると思ってんの?」

「まったくそのとおりでございます」

「お前らがやったのは誘拐。そして監禁。俺らの世界だったら警察に逮捕されるよ。弁護士に頼んで謝罪と慰謝料を請求するレベル」

「はあ」

 いささかわかりづらい単語が散見されたが、多分、謝って賠償金を払えと言うことなのだろう。

「申し訳ございません。それにつきましては、この国より正式な謝罪をさせていただくことも可能でございます」

「謝られても、帰れねえんだったら意味ねえだろ」

 うんざりした顔で、テーブルに突っ伏す。

「はー……。仕事放り出して、マンションそのままで……誰とも連絡取れねえで……俺、死んだことになった」

 チレは返す言葉がなかった。

「冷蔵庫のプリン……ゲームの課金……読みかけのウェブ漫画……サブスクの契約……」

 両手の間に顔を埋めて、意味不明の呟きをもらす。

「スマホも使えねえで、どうやって生きてきゃいいんだよ」

 声には絶望的な響きがあった。

 それを聞いていると、申し訳なさで一杯になって、チレはしおしおとうなだれた。

「まことに申し訳ございません」

 自分ひとりが謝罪して、どうなるものでもなかったけれど言わずにはおれなかった。

「確かにあなた様が仰るとおりでございます。我々は自分たちの利益のために、何も知らない異世界の方を、無理矢理に誘拐し、そしてここで死ぬまで働くことを強要するのでございます。そのことに、我々は今まで大きな罪を感じながらも聖女様の正義感と優しさに甘えきっておりました」

 心からの釈明に、聖女が目だけをあげてくる。

「謝るくらいなら俺を戻せよ」

「……」

 言葉につまるチレに、はあ、とため息をつく。

「俺はただのサラリーマンで、そんな魔物退治なんてやったことねえし、やる気もねえし。何とかして帰る方法を考えるわ。こられたんなら、帰るのだって不可能じゃないはずだ」

 そう言って立ちあがる。

「それに、俺は男だから聖女じゃねえしな」

 投げ捨てるように呟くと、男は椅子を蹴って部屋を出ていった。

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