暴君聖女
第4話
「いいか、聖徒チレ・ミュルリ。今回の聖女様は、非常に気性の荒いお方のようである」
神官長が、聖女のために用意された部屋の外でチレに言った。
「はい」
チレは両手を白いローブの前であわせて、神妙な面持ちでそれを聞いた。
「しかし、召喚してしまったからには、なかったことにはできない。あの聖女様に異世界に帰ってもらい、他の聖女様を召喚しなおすことは不可能じゃ」
「はい」
「だから、我々は何とかして、あの聖女様に機嫌を直していただいて、我が国を救うために協力してもらわねばならぬ」
「はい」
チレが恭しく頭をさげて同意する。
「聖徒チレ・ミュルリよ」
老年の神官長が、ピンク色の手を掲げて厳かに言った。
「そなたは聖女様の世話役として、代々の聖女様を何も知らぬ異世界の客人から、勇ましい光の戦士へと導いた輝かしき功績がある」
「有り難きお言葉」
「その才を生かして、此度の聖女様も、同様に優秀な光の戦士として我らの役に立つよう、一日も早く覚醒に至らしめよ」
「…………」
つまり、あの暴れん坊をお前が何とかなだめて戦士に仕立てろと言うことなのだな、とチレは理解した。
「わかったか」
「はい。わかりました」
「では、すぐに取りかかりなさい。救世軍は魔物との八年にも及ぶ戦いで疲れ切っておる。民は皆、新たな聖女様の出現を心待ちにしておるのだ。その責任は、そなたの肩にかかっておる」
「……」
「よく承知しておろうな。失敗すれば全責任はそなたが負うことになろう」
脅しのような言葉を最後に投げて、神官長は去っていった。
ひとり残されたチレは大きく息を吐いた。その拍子に長いヒゲがふるふると揺れる。
歴代聖女に『可愛いハムスターのお世話役』と評されたチレは、淡い栗色の獣毛、そして焦げ茶色の瞳を持つルルクル人だ。身長は異世界人の三分の一ほど、手足は短く、尻尾は丸い。
この世界に住む『人間』はすべて、このような見た目をしている。聖女いわく『ネズミやモルモットやフェレットみたいな人間たち』が、七つの大陸に分布して生活していた。その内、この大陸に住むのがハムスターに似たルルクル人だった。
そして、この世界は今、大きな問題を抱えている。
それを解決できるのは、異世界からきた聖女と呼ばれる異界人だけだ。
異界人は見た目も、生活習慣も、持っている知識も自分たちとはまったく違う。そんな異界人に、この国の現状を話して理解してもらい、住民を救うための手助けをしてもらう手引きをするのが、世話役の務めであった。
三度ほど大きく深呼吸をして、部屋の扉に手をかける。
「……頑張ろう」
同じ人間なのだ。きちんと説明すればわかってもらえる。今までだってそうだった。
チレは心を決めて扉をひらいた。
中は聖女のために準備された居室になっていた。広い居間と衣装部屋、そして寝室。どの部屋も高級な家具や、美しい花の生けられた花瓶が並び、床にはやわらかな絨毯が敷かれ、柱や壁には女性が好みそうな花模様が描かれていた。
その居間のテーブルについた当代聖女は、豪勢な料理を前に、酒だけを浴びるように飲んでいた。半眼になった目は据わっている。
チレは彼の元に向かい、おずおずと声をかけた。
「……あのう、お料理もお召しあがりにならないと、身体に悪うございますよ」
しかし聖女はチレを無視した。ピッチャーから杯にエールをダバダバ注いで、それに蜂蜜酒を加えて一気飲みする。見るからに身体に悪そうな飲み方だ。やけっぱちの様相で飲んでいるので味は気にしていないらしい。
「で」
赤くなった顔の聖女が、睨みつけてきた。
「このネズミの国」
「はい?」
何のことかと問い返す。
「ここ、ネズミだらけのこの国は、一体何なんだ?」
「――ああ。はい。ここはですね、第二大陸西端ロジロン王朝第三国リカリエ州エエナ半島先端に位置するエクレシア・カテドラリスでございます」
「何その設定」
「設定」
聖女は酒を呷った。
「意味わかんね」
ぼやきながらテーブルの脚を蹴る。
「けど、この建物もハリボテじゃないみたいだし。お前らもぬいぐるみじゃないみたいだし……」
「はい」
「一体どうなってんだよ」
そして黒い髪をガシガシと掻く。
「……俺は」
酔いの回った口調でもらす。どうやらこの人は酒にはあまり強くないらしい。
「俺は、今朝、地下鉄の階段をのぼってた。通勤ラッシュの時間帯で、周囲には人が大勢いた。最後の一段をのぼり終えて地上に出た瞬間、いきなり周囲が真っ暗になった」
聖女は瞳をテーブルに落として話を続けた。
「訳わかんねえ。何が起こったんだよ」
そしてまた酒を飲む。
「あんとき、あたりを見回しても暗黒の闇ばかりで、そのうち目が慣れてきたら、周囲に小さな星がいくつも散らばってるのがわかった……」
目を細め、記憶を辿るようにして呟く。
「たくさんの星が頭上にも足の下にもあって、まるで宇宙空間に浮いてるみたいで、……怖くなって、パニックに襲われそうになったら、ふいに身体が大きな力で引っ張られて、そのまま高速で運ばれて気がついたら床に尻餅ついてた」
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