見切り品の『僕』が並んでいる。

泉田聖

見切り品の『僕』が並んでいる。

 他人に怯えながら生きていくのは平和的ではあるものの、得てして精神衛生上よろしくない結果ばかりを招く。


 思いながら歩道橋を下りた。

 深夜。日付も替わろうとしている時間に国道沿いの歩道を歩く人影は少なかった。

 金曜日になって自覚する足枷のような疲労感のせいで足取りは酷く重たい。あるわけがないのにスーツのズボンが濡れているような気さえして、僕は通りかかったコンビニの硝子を不意に見やった。

 若い男女の店員がレジの奥で談笑していた。僕は、半透明な幽霊になってそれを見ている。

 「うらめしやぁ」内心で冗談交じりに唱えながらコンビニの前で立ち止まる。

 自動ドアが無神経にさっと開いた。この自動ドアには幽霊じみた僕がまだ人間に見えているらしい。そのくらい引き留めなくてもわかっているのに。

 ……そう言えば夕食がまだだったな。

 この自動ドアはきっと僕の胃袋の事情を知っていたんだろう。そうでなければ道行く幽霊を呼び止めようだなんて思わないはずだ。

 知らず胃袋の辺りに手を当てていた。「どうだい胃袋。何か欲しいかい」「何でもいいさ。でも大腸のやつの調子が良くないから野菜がいいな」そんな会話を交わしながら僕はコンビニ奥の弁当コーナーへと向かった。


 日付の替わったそこには見切り品ばかりが並んでいた。僕を構成している細胞だった。


 昔から「特技はなんですか」「得意なことはありますか」そう聞かれるのが苦手だったのを不意に思い出した。

 そんなものがあるのなら僕はコンビニになんか来ない。こんな真夜中に。独りで。

 ……いや、訂正しよう。

 僕は僕の細胞を連れ添っている。およそ六〇兆の。陳列された見切り品のような粗悪な僕の細胞たちを。

 彼らは僕の指令にいつでも答えてくれる。素直に、愚直に。

 だから僕の人生には失敗が尽きないのだろう。


 よく道を間違える。

 携帯でマップアプリを見ながら歩けばいいのだが、それは僕の細胞たちが受け付けない。「人にぶつかったらどうしよう」「ほら。足下に蟻が居る。あそこには犬の糞がある」「もう若くないんだ。立派な大人として歩きスマホはよくないぜ、兄弟」そんな声が僕の内側で鳴り響く。だから歩きスマホはしない。だから僕はよく道を間違えて、迷って、その度立ち止まって道のりを確認する。だから僕はノロいのだ。


 僕はとにかく仕事が遅い。

 手を動かしている時間が少ないのだ。それは僕がよく道に迷うからだ。手よりも頭を働かせようとして、結果的に仕事が遅くなっていく。今日の残業だってもう少し要領よくこなせていればこんな遅い時間にはならなかった。一つ下の後輩が言う。「何年この仕事をやっているんですか? 後輩に負けて恥ずかしくないんですか?」いつもは温厚な彼女に冷たく吐き捨てられて心臓が潰れそうになった。僕はいつも女性を怒らせてばかりだった。


 恥知らずな自分を殺したかった。

 好きだった人がいる。僕より一つ下の控えめな笑顔が可愛い人だった。偶然好きな本が同じだった。意気投合してから付き合うまでは早かった。彼女を他の誰にも渡したくなかったんだと思う。でも、いざ手に入れると僕のなかで何かが消えた。たぶんそれは「彼女を僕のものにしたい」という欲求ただそれだけ。だから、いざ手にしてみると僕の抱いていた感情の正体は『そんなもの』でしかなかった。そんな程度の欲求を満たすために彼女の時間を奪っていた自分が恥ずかしくなって、僕は彼女を突き放した。僕はあの頃から恥に塗れている。今でも彼女のことを夢に見る日がある。恥の上塗りでしかなかった。だから『僕』から逃げる為に地元を出た。


 人に『僕』を知られることが怖かった。

 長く人と付き合うと僕は必ずどこかで失敗をする。失敗を繰り返す人間であることを他人に知られたくなかった。その度に信用を失っていくのが怖かった。冷たくなっていく視線が痛かった。白くなっていく視線が『僕』を浮き彫りにする照明のようだった。結論、僕は人の視線にばかり怯えている。人目を気にして、いつも尻込みばかりしている。僕は幼いことから何ら成長していない『おとな子供』の一人だった。


 散々悩んだ挙句、見切り品の弁当を手に取ってレジに向かった。途中目についたカップ麵を弁当の上に重ねる。七○○円と四○何円かの会計。千円札がなかったので仕方なく五〇〇〇円で支払った。

 お釣りを財布にねじ込んでコンビニを出る。自動ドアが静かに開いて、僕を闇夜へと放り出した。師走の凍てつく空気が顔に刺さって、足を舐るように撫でていった。

 音もなく背後から温かい談笑が聞こえてくる。背中はコンビニの空気が漏れて暖かかった。


「そう気を落とすなよ」しまっていく自動ドアに慰められた気がした。

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