たもつくん 第七話

 一瞬まばゆい光が僕たちを包み、気がつくと僕たちは草原の真ん中にいた。


「ここどこ?」


 あげはさんが戸惑う。僕だって戸惑っている。

 見渡す限りの草原、遠くに見える山が郷愁を誘う。空を見上げれば、二つの月が優しく僕らを見守っている。ぽつんと建てられている小屋の側にはヤギが二匹いて、仲睦まじく草を食んでいた。世界全体がどことなく優しく、僕らをほっとさせる雰囲気に包まれている。


「ここはたもつとやらの心象風景の世界だ。彼は善良な人間らしいね」


 人鬼ひとおにはもうたもつ君の姿をしていなかった。3mの巨体に角が一本、整った顔立ちをしているがまるでガラス細工のようなうつろな瞳をしている。

 その巨体は人と同じように肌色であり、スーツがその巨体を包み込みこんでいる。存在そのものが整合性の塊であり美しいが何かが決定的に間違っている。まるで象が玉乗りをすることが面白いと思っているかのように。そんな類の間違え方だ。


「君たちは大きく誤解をしているからひとついっておこう。私はたもつとやらに憑りついて社会の中に溶け込ませている。ただそれだけの存在だ。悪意もなければ、悪気もない。これがみんなのためになっている」


「みんなのため?たもつくんの意思はどこに行ったの?彼が望んだことなのか?」

僕は思わず反論を口にする。


「そんなわけないだろう。きみたち人類は古来より、和を乱さず協力することで生き延びてきた。それが君たちの鉄則であり不文律だろう。人は脆弱すぎて協力することでしか生き延びることが出来なかったが、幸いにも協力する術を知っていた」


人鬼はそこまで話すと一息ついて再び、話し始める。


「人は集団を危険に冒すものが現れないことを願った。集団の意思に反するものが現れないようにと願った。自分のことだけしか考えない輩が現れないようにと願った。その願いが我々の正体だ」


「つまり、君は人の願いのメタファーということか」


「まあ、そういう捕らえ方もできるだろう。その認識でかまわない」


「君たちは人々の願いが具現化されたもの、それはわかった。ただ、君たちの存在は時代遅れでもある。確かに今現在も我々は協力することでしか生き延びることができないだろう。しかし、我々には余力がある。悲しいことなのかもしれないがみんなで田植えをする時代は終わった。今は科学の力により、少ない人数で効率的に食料を生産することが出来る。これがどういうことかわかる?」


「だからどうした。例え、科学や化学とやらで環境が変わろうとも人の本質は変わっていない。結局は昔のままさ。だからこそ、この者も怒りを買っていたではないか。君たちは今も昔も同じものを求めているのだよ。科学も化学も泣いているだろう」


 確かにそうだった。僕たちは結局、集団に馴染めないものを村八分にする習性が残ったままだ。なぜ変わらないのだろう。僕たちはそんなことをしなくても生き延びれる環境を手に入れてるのに。なぜ争うのだろう?


「舞台は変われど振り付けは変わらず、我々はいつまでも時代遅れのメロディーを口ずさんでるってことか」


「そういうことだ。しかし、君たちが悪いわけではない。目まぐるしい変化に進化が追い付いていないだけだ。そのうち追いついていくのだろう。しかし、だからこそ、人類には我々の存在が不可欠ともなる。私のようなものが混乱を沈め、社会を安定させる。君たちはそのおかげで安心安全に暮らせる。そのためには個人の犠牲もやむを得ない」


「だからといって、自分を犠牲にしてまで集団を優先させる理由が個人にあるとは思えない。結局のところ、その人にとっては不幸せだからだ。君たちはそれを強制しているがそれは正しいことなのか?」


「そのものが幸せであるか不幸せであるかという問題ではない。集団を一つの生命と見立てれば、悪性部分を取り除くのは道理ではないか。そして、人は集団でしか生きられないのだから集団を一つの生命のようなものと捉えることは自然なことでもある」


「いやしかし…」


 僕は空を見上げた。人鬼の言っていることは正しいのだろうか。種の生存を優先し、個人を犠牲にする。それが正しいことなのだろうか。おそらくはそうなのだろう。そうしてこなければ、人類は生き延びていなかった。つまり、個人を尊重するなんて思想は、人類が生き延びることが出来たからこそ出てきたものなのだ。

 ニクニクニクニクニクが12が懐かしかった。僕はたまらなくたもつ君が話す宇宙の話を聞きたくなった。しかし、人鬼の牙城を崩すことは難しい。


「あなたはひとつだけ勘違いしていることがあるわ」

あげはさんがあきれたような表情で人鬼に言い放った。もちろん僕にもあきれていたと思う。


「なんだ?」


人鬼は意に返さず堂々と立ちはだかる。


「私たちは障碍者の授産施設に通所している。ここはね、就労のためのリハビリと謳っているけど、実際は社会に出れない人たちの社会的な居場所の提供という目的のほうが大きいの。私たちは障害があることを認め、社会に出れない自分を許し、その中で最善を尽くしてる。確かにたもつ君は変わりものだわ。しかし、そんな彼を受け入れ、彼を含めた集団を維持していこうという人も多かった。それは多くの人が彼が彼のままでいいと認めたことと同義よ。つまり、私たちという限定された状況ではたもつ君がたもつ君らしくいることで社会の輪に溶け込んでいると言い換えることが出来るわね。実際に渡辺君はスタッフに厳しくたしなめられていたし、あなたと距離を置いてたままだったでしょう?」


「確かに渡辺は私を避けていたが、それはあのような諍いがあれば当然の話ではないか。しかし、渡辺がスタッフに諫められていた?」


「私たちが所属する作業所はお互いに足りない部分があることを認め合い、それを補い合うことや許すことで社会性を維持しているの。昔だったら、私たちは座敷牢に閉じ込められていたわ。だけど、今の社会は私たちにも生きる意味を与え、社会的居場所も与えてくれる。社会はそこまで成熟したのよ」


うつろだった人鬼の瞳が優しく笑った気がした。


「そうか…。渡辺はスタッフに窘められていたか。それは気づかなかった。先ほど、社会を生き物と例えたが生き物であれば成長もするか」


人鬼はなにかに納得したようだった。


「あげはとやら。実はな、過去にも君と同じようなことをいう輩がいたよ。社会に馴染めないものにも馴染めない理由があり、その人たちが悪いわけじゃない。その人たちにも生きる権利があるし、その人たちを受け入れる社会を作らなければならないとな。そのものは村八分にされていたが……彼女の言う社会、それが実現すればいいとも思っていた。人の世はそこまで成長したと思っていいんだな?」


「人鬼…」


 僕は思わずつぶやく。

《それが実現すればいいと思っていた》?

 彼は本当に悪意もなく人の世が真っ当になることを望んでいただけだった。人の社会を守るための概念の一つに過ぎなかった。そのためにたもつ君に憑りついただけにすぎず、悪意はまるでない。僕はそれを強く実感する。

 そして、一番の救いは人鬼を通して見える人々の願いの中には誰も脱落しない社会という、ある種理想論が含まれていたことだ。これは大きな救いなのだと思う。イエス・キリストは存在し、紙が神に戻り、僕たちは正しい踊りを神にささげていたのだ。


「わかった。私が間違っていた。この者から出ていこう。現世の事情をよく知らせてくれた。君たち二人には礼を言う。それから、私が出ていった後、たもつとやらは元に戻るだけだ。何の影響もないから安心してほしい」


 人鬼はそういうとまるであたりの景色と同化するかのように少しずつ薄くなり消えていった。同時に草原、空に浮かぶ二つの月、相変わらず仲睦まじく草を食むヤギたちも同じように少しずつ薄くなっていった。僕はなんだか少し寂しい気持ちになり、人鬼に敬意と感謝をささげていた。

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